加茂の血
第十一話「父の疑問」
夜。
裏葉家は静かだった。
日中の穏やかな空気とは違い、どこか張り詰めた気配がある。
その理由は、ひとつ。
「……なあ、綾乃」
宗一郎の声は、いつもより低かった。
キッチンに立っていた綾乃が振り返る。
「どうしたの?」
「今日な……妙な奴が来た」
その一言で、空気が変わる。
綾乃の表情が、わずかに引き締まった。
「……呪術師?」
「ああ。たぶん現役だ」
宗一郎は、ゆっくりと息を吐く。
「この辺りの“異常”を調べに来たらしい」
沈黙。
短いが、重い。
「……気づかれたの?」
「完全には、な」
曖昧な答え。
だが、それで十分だった。
綾乃も、察する。
「……やっぱり、普通じゃないのね」
「だろうな」
苦笑する。
だがその目は、真剣だった。
「俺も、ずっと思ってた」
視線が、奥の部屋へ向く。
布団の中。
小さく眠る影。
「この家……妙に静かすぎる」
「ええ」
綾乃も頷く。
「“いなさすぎる”のよね」
それが、正しい表現だった。
普通なら、もっといる。
感じるはずだ。
呪いの気配が。
だがここには、それがない。
「……確認するか」
宗一郎が立ち上がる。
「ええ」
二人は、静かに外へ出た。
夜の空気。
冷たい。
そして――
いる。
黒い靄。
虫。
電柱の上。
屋根の影。
遠くに、うごめいている。
だが。
近づいてこない。
一定の距離を保ったまま、こちらを見ている。
「……やっぱりだ」
宗一郎が呟く。
「完全に避けてる」
「ええ」
綾乃も、目を細める。
「結界みたいに……弾いてる」
だが、二人とも分かっている。
これは結界じゃない。
術式の痕跡がない。
もっと、自然で。
もっと、異質な何か。
「……中、戻るか」
宗一郎が言う。
二人は、再び家の中へ。
そして。
その“原因”の元へ。
布団の中。
眠る赤ん坊。
裏葉オビト。
「……」
しばらく、見つめる。
何の変哲もない。
普通の赤ん坊。
そう見える。
だが。
「……宗一郎」
綾乃が、小さく声をかける。
「ええ」
宗一郎も、同じ違和感を感じていた。
空気。
この部屋だけ。
妙に、澄んでいる。
まるで。
ここを中心に、広がっているかのように。
「……まさか、な」
呟いた、その時だった。
ぴくり、と。
オビトの指が、動いた。
「……?」
宗一郎が、目を凝らす。
次の瞬間。
空気が、わずかに揺れた。
そして。
赤い粒。
血。
それが、ふわりと浮かび上がる。
(――!)
二人の目が、見開かれる。
血は、そのまま。
形を変える。
細く。
鋭く。
針のように。
ゆらり、と揺れながら。
空中に留まる。
「……おい」
宗一郎の声が、低くなる。
「これ……」
「ええ……」
綾乃も、息を呑む。
理解している。
これは、ただの現象じゃない。
術式。
しかも。
「加茂の……」
綾乃が、かすかに呟く。
血を操る。
それは確かに、見覚えのある系統。
だが。
「……こんな、赤ん坊が?」
ありえない。
普通は、ありえない。
覚醒どころか、認識すらできない年齢だ。
なのに。
目の前で。
血が、自在に動いている。
しかも。
揺れない。
ぶれない。
精度が、異常だ。
宗一郎は、ゆっくりと息を吐いた。
「……この子、何だ?」
率直な疑問。
恐怖ではない。
だが。
理解不能への、純粋な問い。
その時。
「……あぶぅ」
小さな声。
オビトが、目を開けた。
ぼんやりとした視線。
こちらを見る。
(……なんだ?)
特に何も考えていない。
ただ、起きただけだ。
「……」
沈黙。
数秒。
そして。
「……ぐう、可愛いな!」
宗一郎が、崩れた。
さっきまでの緊張が、一瞬で消える。
顔が緩む。
完全に、親の顔だ。
「もう、あなた」
綾乃も、くすりと笑う。
「さっきまで真剣だったのに」
「いやだってな……!」
宗一郎が、オビトを抱き上げる。
「見ろよこの顔!」
「ふふ、ほんとね」
撫でる。
優しく。
穏やかに。
空気が、元に戻る。
(……なんだよ)
オビトは、内心で思う。
さっきまで、なんか変な空気だった気がする。
だが。
まあいい。
(眠い)
それだけだ。
そのまま。
再び、目を閉じる。
意識が沈む。
そして。
二人は、顔を見合わせた。
ほんの少しだけ。
真剣な表情に戻る。
「……宗一郎」
「ああ」
短い会話。
だが、意味は十分に伝わる。
この子は。
普通じゃない。
間違いなく。
だが。
それでも。
「……俺たちの子だ」
宗一郎が、静かに言う。
迷いはない。
「ええ」
綾乃も、頷く。
同じ結論。
どれだけ異質でも。
どれだけ規格外でも。
関係ない。
この子は。
守るべき存在だ。
それだけは、絶対に変わらない。
静かな夜。
裏葉家の中。
小さな寝息が、穏やかに響いていた。
夜。
裏葉家は静かだった。
日中の穏やかな空気とは違い、どこか張り詰めた気配がある。
その理由は、ひとつ。
「……なあ、綾乃」
宗一郎の声は、いつもより低かった。
キッチンに立っていた綾乃が振り返る。
「どうしたの?」
「今日な……妙な奴が来た」
その一言で、空気が変わる。
綾乃の表情が、わずかに引き締まった。
「……呪術師?」
「ああ。たぶん現役だ」
宗一郎は、ゆっくりと息を吐く。
「この辺りの“異常”を調べに来たらしい」
沈黙。
短いが、重い。
「……気づかれたの?」
「完全には、な」
曖昧な答え。
だが、それで十分だった。
綾乃も、察する。
「……やっぱり、普通じゃないのね」
「だろうな」
苦笑する。
だがその目は、真剣だった。
「俺も、ずっと思ってた」
視線が、奥の部屋へ向く。
布団の中。
小さく眠る影。
「この家……妙に静かすぎる」
「ええ」
綾乃も頷く。
「“いなさすぎる”のよね」
それが、正しい表現だった。
普通なら、もっといる。
感じるはずだ。
呪いの気配が。
だがここには、それがない。
「……確認するか」
宗一郎が立ち上がる。
「ええ」
二人は、静かに外へ出た。
夜の空気。
冷たい。
そして――
いる。
黒い靄。
虫。
電柱の上。
屋根の影。
遠くに、うごめいている。
だが。
近づいてこない。
一定の距離を保ったまま、こちらを見ている。
「……やっぱりだ」
宗一郎が呟く。
「完全に避けてる」
「ええ」
綾乃も、目を細める。
「結界みたいに……弾いてる」
だが、二人とも分かっている。
これは結界じゃない。
術式の痕跡がない。
もっと、自然で。
もっと、異質な何か。
「……中、戻るか」
宗一郎が言う。
二人は、再び家の中へ。
そして。
その“原因”の元へ。
布団の中。
眠る赤ん坊。
裏葉オビト。
「……」
しばらく、見つめる。
何の変哲もない。
普通の赤ん坊。
そう見える。
だが。
「……宗一郎」
綾乃が、小さく声をかける。
「ええ」
宗一郎も、同じ違和感を感じていた。
空気。
この部屋だけ。
妙に、澄んでいる。
まるで。
ここを中心に、広がっているかのように。
「……まさか、な」
呟いた、その時だった。
ぴくり、と。
オビトの指が、動いた。
「……?」
宗一郎が、目を凝らす。
次の瞬間。
空気が、わずかに揺れた。
そして。
赤い粒。
血。
それが、ふわりと浮かび上がる。
(――!)
二人の目が、見開かれる。
血は、そのまま。
形を変える。
細く。
鋭く。
針のように。
ゆらり、と揺れながら。
空中に留まる。
「……おい」
宗一郎の声が、低くなる。
「これ……」
「ええ……」
綾乃も、息を呑む。
理解している。
これは、ただの現象じゃない。
術式。
しかも。
「加茂の……」
綾乃が、かすかに呟く。
血を操る。
それは確かに、見覚えのある系統。
だが。
「……こんな、赤ん坊が?」
ありえない。
普通は、ありえない。
覚醒どころか、認識すらできない年齢だ。
なのに。
目の前で。
血が、自在に動いている。
しかも。
揺れない。
ぶれない。
精度が、異常だ。
宗一郎は、ゆっくりと息を吐いた。
「……この子、何だ?」
率直な疑問。
恐怖ではない。
だが。
理解不能への、純粋な問い。
その時。
「……あぶぅ」
小さな声。
オビトが、目を開けた。
ぼんやりとした視線。
こちらを見る。
(……なんだ?)
特に何も考えていない。
ただ、起きただけだ。
「……」
沈黙。
数秒。
そして。
「……ぐう、可愛いな!」
宗一郎が、崩れた。
さっきまでの緊張が、一瞬で消える。
顔が緩む。
完全に、親の顔だ。
「もう、あなた」
綾乃も、くすりと笑う。
「さっきまで真剣だったのに」
「いやだってな……!」
宗一郎が、オビトを抱き上げる。
「見ろよこの顔!」
「ふふ、ほんとね」
撫でる。
優しく。
穏やかに。
空気が、元に戻る。
(……なんだよ)
オビトは、内心で思う。
さっきまで、なんか変な空気だった気がする。
だが。
まあいい。
(眠い)
それだけだ。
そのまま。
再び、目を閉じる。
意識が沈む。
そして。
二人は、顔を見合わせた。
ほんの少しだけ。
真剣な表情に戻る。
「……宗一郎」
「ああ」
短い会話。
だが、意味は十分に伝わる。
この子は。
普通じゃない。
間違いなく。
だが。
それでも。
「……俺たちの子だ」
宗一郎が、静かに言う。
迷いはない。
「ええ」
綾乃も、頷く。
同じ結論。
どれだけ異質でも。
どれだけ規格外でも。
関係ない。
この子は。
守るべき存在だ。
それだけは、絶対に変わらない。
静かな夜。
裏葉家の中。
小さな寝息が、穏やかに響いていた。
【〆栞】