父の決断

第十二話「大事なこと」

「……いや、戻してる場合じゃないだろ」

宗一郎は、ぽつりと呟いた。

腕の中で眠る我が子を見て、さっきまで完全に頬が緩んでいた自覚はある。
あるが――

「違うだろ、今のは」

さっきの光景。

血が、浮いた。

しかも、自在に動いていた。

あれはどう考えても、ただの現象じゃない。

「術式……」

口に出して、すぐに首を振る。

「……にしては、早すぎる」

赤ん坊だぞ。

生後数ヶ月だぞ。

術式どころか、自我すらまだ曖昧な時期だ。

それなのに。

あの精度。

あの制御。

「……ありえん」

視線の先。

綾乃が、オビトを抱いている。

「ほら、オビトー。いい子いい子」

優しく揺らす。

あやす声は、いつも通り穏やかで、柔らかい。

その光景を見ながら。

宗一郎の中で、ひとつの“式”が浮かぶ。

禪院。

加茂。

――掛け合わせ。

「……ハイブリッド」

呟く。

ありえる。

両家の血を引いている。

術式が発現する可能性は、確かにある。

「……なるほど」

一瞬、納得しかける。

だが。

「……なるほどじゃない」

即座に否定する。

「違う、どういうこと!?」

思わず声が大きくなった。

綾乃が、きょとんとする。

「どうしたの?」

「いや、どうしたもこうしたもないだろ!」

頭を抱える。

整理が追いつかない。

禪院の肉体性能。
加茂の血の術式。

それが混ざるのは、理屈としては分かる。

だが。

「赤ん坊であれはおかしいだろ!」

声を潜めつつも、熱は抑えきれない。

「しかもあの量……」

思い出す。

あの空気。

あの圧。

普通の呪術師じゃない。

明らかに、桁が違う。

「……」

沈黙。

嫌な想像が、頭をよぎる。

「……バレたら」

ぽつりと。

「終わる」

その一言に、全てが詰まっていた。

綾乃の表情も、静かに引き締まる。

「ええ」

短く、頷く。

分かっている。

この子は、普通じゃない。

それはもう、はっきりしている。

そして。

普通じゃないものは――狙われる。

「禪院も、加茂も……」

宗一郎が、低く言う。

「こんなの、見逃すわけがない」

「ええ」

綾乃の目が、わずかに細まる。

「むしろ、奪いに来るわね」

断言だった。

血。

術式。

価値。

あの家にとっては、それが全てだ。

愛情など、二の次。

むしろ利用される。

確実に。

「……絶対に、嫌だ」

宗一郎の声に、強い感情が乗る。

「この子を、あんなところに渡す気はない」

「同じよ」

綾乃も、はっきりと言う。

一切の迷いはない。

「この子は、私たちの子だもの」

それだけで、十分だった。

だが。

問題は、それだけではない。

「今日、呪術師と会った」

宗一郎が、言う。

空気が、さらに重くなる。

「……そうだったわね」

綾乃が、静かに息を吐く。

「気づかれた?」

「完全じゃない。だが……」

言葉を選ぶ。

「違和感は、持たれた」

それで十分だ。

あとは、時間の問題。

調べられる。

掘られる。

辿られる。

「……気づかれる」

確信だった。

遅かれ早かれ。

この場所は、特定される。

そして。

オビトの存在も。

「……」

沈黙。

短い。

だが、決断には十分だった。

宗一郎が、顔を上げる。

「……引っ越すか」

あまりにもあっさりと。

だが。

それが、最善だった。

「ええ」

綾乃も、即答する。

迷いはない。

「ここは、もうダメね」

「ああ」

頷く。

決まりだ。

「呪術界に、バレないように生活する」

宗一郎が、指を折りながら言う。

「なるべく、俺たちが先に祓う」

「この子の力は、極力使わせない」

綾乃が続ける。

「そして――」

二人の視線が、同時にオビトへ向く。

小さく眠る、命。

「絶対に守る」

重なる声。

強い意志。

そして。

「バレたら」

宗一郎が、真顔で言う。

「絶対絶対ぜーったい!やばいことになるから!」

一気に現実味のある言い方になる。

「ええ、本当に」

綾乃も真剣だ。

だが、どこか焦っている。

その空気に。

「……あぶぅ」

オビトが、目を覚ました。

きょとんとした顔。

何も知らない。

ただ、二人を見ている。

「……」

一瞬。

沈黙。

そして。

「……ぐう、可愛いな!」

「ふふ、ほんとに」

――ダメだこいつら。

内心で、オビトは思った。

いや思ってない。思えない。

赤ん坊だからな。

だが。

どこかで。

ほんの少しだけ。

感じていた。

何かが、変わろうとしていることを。

そして。

その決断が。

これから先の運命を、大きく動かすことを。


〆栞
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