虎杖倭助
第十六話「虎杖倭助」
静かに、風が通る。
仙台郊外の住宅地。
昼下がりの空気は、穏やかで、柔らかい。
その中で。
ひとつだけ、異質な流れがあった。
――澄んでいく。
まるで、見えない何かが。
淀みを払い、霧を散らし、空気そのものを磨いているように。
それは、自然ではない。
だが、誰も気づかない。
気づけない。
ただ一人を除いて。
虎杖倭助は、少し離れた場所から、その様子を見ていた。
腕を組み、壁にもたれながら。
視線は、動かない。
一点に、固定されている。
その先――
虎杖香織。
「……」
彼女は、笑っていた。
柔らかく、穏やかに。
良き妻として。
良き隣人として。
何の違和感もない振る舞い。
「今日はお引っ越しだったんですね」
「ええ、やっと落ち着きそうです」
言葉のやり取り。
自然な流れ。
誰が見ても、普通の光景。
だが。
倭助の目には、そうは映らない。
(……)
何も言わない。
ただ、見ている。
香織の仕草。
声の抑揚。
視線の動き。
すべてを。
そして。
ほんの一瞬。
香織の動きが、止まった。
「……?」
わずかに。
ほんのわずかに。
何かを感じ取ったように。
空気の変化。
流れ。
異質な“澄み”。
だが。
すぐに、それは消える。
「どうかしました?」
綾乃の声に、香織は首を傾げる。
「いえ……なんでもありません」
笑顔。
完璧な、仮面。
(……気づいちゃいねぇな)
倭助は、内心で呟く。
あの女。
“分かっている”わけじゃない。
ただ。
“感じた”だけだ。
理解には至っていない。
それが、逆に不気味だった。
そして。
もうひとつ。
視線をずらす。
家の中。
カーテンの隙間。
そこに。
小さな影。
虎杖悠仁。
まだ幼い。
すやすやと、眠っている。
何も知らずに。
何も背負わずに。
(……同じくらいか)
外の赤ん坊。
裏葉家の子。
あれも、同じくらいの歳だろう。
だが。
違う。
明らかに。
質が。
倭助の視線が、再び外へ戻る。
そして。
ぶつかる。
じっと。
見ている。
裏葉オビト。
赤ん坊。
だが。
その目。
ただの赤ん坊のものではない。
(……なんだ、こいつは)
言葉にならない違和感。
警戒。
ではない。
敵意もない。
ただ。
分からない。
そして。
オビトもまた、見ていた。
香織を。
(……)
違和感。
何かがおかしい。
だが。
分からない。
知識がない。
経験も、この世界では足りない。
だから。
ただ、“変だ”としか思えない。
(なんだ、あれ)
普通じゃない。
だが。
それ以上、掘り下げることはできない。
(まあいいか)
結論は、いつも通りだ。
問題がないなら、放置。
虫じゃないなら、放置。
それだけだ。
視線を外す。
興味を失う。
その様子を見て。
倭助は、わずかに口元を緩めた。
(……なんとも不思議な赤ん坊だ)
理解はできない。
だが。
悪いものではない。
少なくとも。
あの空気の澄み方。
あれは、“浄化”に近い。
害ではない。
むしろ。
(……悪くねぇ)
ぽつりと、内心で呟く。
そして。
再び、香織へと視線を戻す。
表情は、変わらない。
だがその目には。
わずかな警戒が、宿っていた。
静かに、風が通る。
仙台郊外の住宅地。
昼下がりの空気は、穏やかで、柔らかい。
その中で。
ひとつだけ、異質な流れがあった。
――澄んでいく。
まるで、見えない何かが。
淀みを払い、霧を散らし、空気そのものを磨いているように。
それは、自然ではない。
だが、誰も気づかない。
気づけない。
ただ一人を除いて。
虎杖倭助は、少し離れた場所から、その様子を見ていた。
腕を組み、壁にもたれながら。
視線は、動かない。
一点に、固定されている。
その先――
虎杖香織。
「……」
彼女は、笑っていた。
柔らかく、穏やかに。
良き妻として。
良き隣人として。
何の違和感もない振る舞い。
「今日はお引っ越しだったんですね」
「ええ、やっと落ち着きそうです」
言葉のやり取り。
自然な流れ。
誰が見ても、普通の光景。
だが。
倭助の目には、そうは映らない。
(……)
何も言わない。
ただ、見ている。
香織の仕草。
声の抑揚。
視線の動き。
すべてを。
そして。
ほんの一瞬。
香織の動きが、止まった。
「……?」
わずかに。
ほんのわずかに。
何かを感じ取ったように。
空気の変化。
流れ。
異質な“澄み”。
だが。
すぐに、それは消える。
「どうかしました?」
綾乃の声に、香織は首を傾げる。
「いえ……なんでもありません」
笑顔。
完璧な、仮面。
(……気づいちゃいねぇな)
倭助は、内心で呟く。
あの女。
“分かっている”わけじゃない。
ただ。
“感じた”だけだ。
理解には至っていない。
それが、逆に不気味だった。
そして。
もうひとつ。
視線をずらす。
家の中。
カーテンの隙間。
そこに。
小さな影。
虎杖悠仁。
まだ幼い。
すやすやと、眠っている。
何も知らずに。
何も背負わずに。
(……同じくらいか)
外の赤ん坊。
裏葉家の子。
あれも、同じくらいの歳だろう。
だが。
違う。
明らかに。
質が。
倭助の視線が、再び外へ戻る。
そして。
ぶつかる。
じっと。
見ている。
裏葉オビト。
赤ん坊。
だが。
その目。
ただの赤ん坊のものではない。
(……なんだ、こいつは)
言葉にならない違和感。
警戒。
ではない。
敵意もない。
ただ。
分からない。
そして。
オビトもまた、見ていた。
香織を。
(……)
違和感。
何かがおかしい。
だが。
分からない。
知識がない。
経験も、この世界では足りない。
だから。
ただ、“変だ”としか思えない。
(なんだ、あれ)
普通じゃない。
だが。
それ以上、掘り下げることはできない。
(まあいいか)
結論は、いつも通りだ。
問題がないなら、放置。
虫じゃないなら、放置。
それだけだ。
視線を外す。
興味を失う。
その様子を見て。
倭助は、わずかに口元を緩めた。
(……なんとも不思議な赤ん坊だ)
理解はできない。
だが。
悪いものではない。
少なくとも。
あの空気の澄み方。
あれは、“浄化”に近い。
害ではない。
むしろ。
(……悪くねぇ)
ぽつりと、内心で呟く。
そして。
再び、香織へと視線を戻す。
表情は、変わらない。
だがその目には。
わずかな警戒が、宿っていた。
【〆栞】