母の戦い

第三十二話「母の戦い」

冬の夜は、静かだ。

音が、吸い込まれるように消えていく。

風も、弱い。

だが――

その静けさの奥に、異物が混じっていた。

(……来てるな)

裏葉オビトは、窓際で立ち止まった。

見えない。

だが、分かる。

“虫”とは違う。

もっと、はっきりした意思。

人だ。

しかも、複数。

(……外か)

視線を向ける。

その時。

「オビト」

背後から、声。

振り返る。

綾乃。

いつも通りの顔。

だが、その目だけが違った。

「今日は、部屋にいなさい」

静かに言う。

優しい声。

でも、命令だ。

(……なんだよ、それ)

普段なら、聞き流す。

だが今回は。

体が、動かなかった。

(……ああ)

分かる。

これは、ただ事じゃねぇ。

「……分かった」

素直に頷く。

その反応に、綾乃は一瞬だけ目を細めた。

「いい子ね」

そう言って、頭を撫でる。

その手は、いつもと同じ温かさだった。

だが。

次の瞬間。

その背中が、変わる。

「宗一郎」

「分かってる」

短いやり取り。

そして。

二人は、外へ出た。

扉が閉まる。

静寂。

(……気になるな)

我慢する。

だが、完全にはできねぇ。

足が、勝手に動く。

窓へ。

そっと、外を見る。

――いた。

黒ではない。

“人”。

複数。

家を囲むように、立っている。

その中の一人が、前に出る。

「……裏葉綾乃」

低い声。

感情が、ほとんどない。

「久しいな」

(……知り合いか?)

様子を見る。

綾乃は、静かに立っている。

動かない。

「……帰れ」

短く言う。

それだけ。

だが、その言葉には、はっきりとした拒絶があった。

「それはできない」

男が、淡々と返す。

「君は“加茂”だ」

(……加茂?)

聞き慣れない単語。

だが、何か引っかかる。

「そして――」

男の視線が、家へ向く。

「そこにいる“可能性”を、見過ごすわけにはいかない」

空気が、張り詰める。

(……なんだよ、それ)

意味は分からねぇ。

だが。

危険なのは分かる。

次の瞬間。

動いたのは、綾乃だった。

一歩。

踏み出す。

それだけで。

空気が、変わる。

(……っ!?)

圧。

見えない何かが、一気に広がる。

男たちの動きが、一瞬止まる。

「……遅い」

綾乃の声。

静か。

だが、冷たい。

次の瞬間。

消えた。

いや、速すぎて見えない。

気づいた時には――

一人、吹き飛んでいた。

(……は?)

地面を転がる。

息が詰まる音。

一撃。

それだけ。

なのに。

完全に、無力化されている。

「くっ……!」

残りの男たちが、動く。

同時に。

囲む。

だが。

(遅ぇ)

オビトの中で、自然と判断が下る。

遅い。

全部。

綾乃が、動く。

最小限の動き。

無駄がない。

触れる。

弾く。

叩く。

それだけで。

一人、また一人と崩れていく。

(……すげぇな)

思わず、息を呑む。

技術。

精度。

力の使い方。

全部が、異常だ。

血も使っていない。

水もない。

ただ――

“力”そのものを、操っている。

(……なんだ、これ)

知らない。

でも、分かる。

すごい。

それだけは、はっきりしている。

最後の一人が、後退る。

「……やはり、か」

息を整えながら、呟く。

「加茂の血……」

その言葉に。

オビトの中で、何かが繋がる。

(……血?)

さっきの単語。

加茂。

そして。

自分の力。

血を操る。

(……まさか)

視線が、綾乃へ向く。

その背中。

強くて。

静かで。

絶対に、崩れない。

「……帰れと言ったはずよ」

最後通告。

それ以上はない。

男は、数秒沈黙した後。

「……撤退する」

短く言った。

そして、消える。

気配が、遠ざかる。

静寂が、戻る。

(……終わったか)

窓から離れる。

そのまま、少し考える。

(……あの人たち)

普通じゃない。

そして。

(母さんも、父さんも)

同じだ。

むしろ、それ以上。

扉が開く。

二人が戻ってくる。

何事もなかったように。

「……大丈夫か?」

宗一郎が、声をかける。

「ああ」

短く返す。

だが。

頭の中は、整理中だ。

「……なあ」

ぽつりと、口を開く。

「さっきの、なんだ?」

率直に聞く。

隠す気はない。

綾乃と宗一郎が、一瞬だけ顔を見合わせる。

そして。

綾乃が、静かに言った。

「……昔の話よ」

曖昧な答え。

だが。

それだけじゃ、終わらねぇ。

「加茂って、なんだ?」

さらに踏み込む。

沈黙。

数秒。

やがて。

宗一郎が、ため息をついた。

「……俺たちはな」

ゆっくりと、言葉を選ぶ。

「普通じゃない世界にいた」

(……やっぱりか)

納得する。

あの動き。

あの強さ。

普通なわけがねぇ。

「禪院と、加茂」

宗一郎が続ける。

「そういう家の出だ」

(……家、か)

血。

名前。

繋がる。

「……で、逃げた」

短く言う。

それだけで、十分だった。

(……なるほどな)

全部じゃねぇ。

でも、大体は分かる。

(……だからか)

自分の力。

血を操る。

あれが、繋がる。

「……ふーん」

軽く頷く。

それ以上は、聞かねぇ。

今は、それでいい。

沈黙。

少しだけ、空気が重い。

だが。

「……腹減った」

ぽつりと、言う。

いつも通りに。

その瞬間。

二人が、ふっと笑った。

「……そうね」

「飯にするか」

空気が、戻る。

日常に。

(……まあいいか)

全部は分からねぇ。

でも。

一つだけ、はっきりしてる。

(あの二人、すげぇな)

それで、十分だった。


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