己を知る

朝は、いつも通りだった。

だが。

(……違うな)

布団の中で、目を開けた瞬間から分かる。

何かが、変わっている。

体の奥。

静かに流れていたものが、はっきりと輪郭を持っている。

血。

それは、もう当たり前だ。

動かせる。

操れる。

理解している。

だが――

(それだけじゃねぇ)

もっと、深い。

もっと根源的な“何か”。

火。

風。

雷。

土。

水。

木。

そして。

形のない、陰と陽。

全部が、内側にある。

混ざっている。

繋がっている。

(……あれは夢じゃねぇ)

昨夜のことを思い出す。

あの光景。

あの感覚。

(記憶だ)

間違いない。

俺の。

前の人生の。

(……十年か)

この世界に来て。

十年。

その間。

俺は、この世界を知ることに時間を使ってきた。

当たり前だ。

知らなかったからな。

車も、電気も、全部。

最初は何も分からなかった。

だから、覚えた。

慣れた。

馴染んだ。

(……その分、か)

気づけば。

前の記憶が、薄れていた。

完全に消えたわけじゃない。

でも。

遠くなっていた。

(……忘れてたな)

大事なことを。

忘れちゃいけなかったことを。

俺は――

(罪人だ)

間違えた。

道を踏み外した。

世界を壊そうとした。

多くのものを、奪った。

(……大罪者だ)

それは、変わらない。

どれだけ時間が経っても。

どれだけ世界が変わっても。

事実は消えない。

(……それでも)

ふっと、息を吐く。

空を見上げる。

青い。

穏やかだ。

(赦された、のか)

この世界は。

俺を、生かした。

贖罪の縛りを解いて。

新しい場所で。

新しい人生を。

(……チャンス、か)

そう考えるのが、一番しっくりくる。

なら。

やることは決まってる。

(今度は、間違えねぇ)

同じことは繰り返さない。

後悔は、もう十分だ。

(だったら)

踏み込む。

逃げない。

分からないことは、知る。

避けない。

「……よし」

小さく、呟く。

布団から出る。

足が、しっかりと地面を踏む。

そのまま、部屋を出る。

リビング。

宗一郎と綾乃がいる。

いつも通り。

だが。

(……聞くか)

迷いはない。

「父さん、母さん」

二人が、こちらを見る。

「ん?」

「どうしたの?」

その目を、まっすぐ見る。

逃げない。

「禪院って何だ」

空気が、止まる。

一瞬。

「加茂って何だ」

続ける。

止まらない。

「二人は、何だ」

核心。

踏み込む。

「俺にも関係あることだろ」

沈黙。

重い。

だが。

引かない。

「知らないままは、嫌だ」

はっきりと言う。

「無知は罪だ」

その言葉に。

二人の表情が、変わる。

ほんの少しだけ。

驚きと。

そして――

納得。

宗一郎が、ゆっくりと息を吐いた。

「……ああ」

観念したように、頷く。

綾乃も、静かに目を閉じてから、開く。

「そうね」

逃げない。

その覚悟が、見える。

「話すわ」

短く。

だが、重い言葉。

それだけで、十分だった。

だが。

オビトは、もう一つだけ口を開く。

「……最後に」

少しだけ、間を置く。

「裏葉って、意味あんのか?」

その問いに。

二人が、少しだけ顔を見合わせる。

そして。

宗一郎が、ふっと笑った。

「……あるぞ」

静かに、語り出す。

「名字を決める時な」

遠くを見るように。

「木の葉が舞ってるのを見たんだ」

風に乗って、ひらひらと。

落ちていく葉。

「家を捨てて、表からも消える」

その決意を、重ねた。

「だから、“裏葉”にした」

表じゃない。

裏。

もう戻らない。

そういう意味。

だが。

「読み方を、“うちは”にしたのはな」

少しだけ、言葉を区切る。

綾乃が、隣で微笑む。

「二人だけの“家”を、作りたかったからだ」

“うち”。

それを、形にしたかった。

「それに――」

宗一郎が、少しだけ照れたように笑う。

「なんとなく、そう読んだ方がいい気がした」

理由なんて、それで十分だった。

「オビトを授かった時に、決めたんだ」

その言葉に。

オビトは、少しだけ目を細める。

(……そうか)

理解する。

全部じゃない。

でも、十分だ。

「……いいじゃねぇか」

ぽつりと、言う。

悪くない。

むしろ――

(……気に入った)

そう思えた。

静かな空気。

だが。

さっきまでとは違う。

一歩、踏み込んだ。

それだけで。

何かが、確実に変わっていた。


〆栞
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