呪いを呼ぶ指

病院の廊下は、やけに静かだった。

白い壁。

消毒液の匂い。

どこか現実感の薄い空間の中で、オビトは受付に立っていた。

手続きを進める。

淡々と。

書類に名前を書く。

必要事項を埋める。

それだけの作業なのに、妙に指先が重い。

(……終わり、か)

倭助の顔が、脳裏に浮かぶ。

あの最後の言葉。

消えない。

消える気もしない。

「……」

ペンを置く。

一つ、息を吐く。

やることは、まだある。

止まってる暇はない。

その頃。

待合のベンチ。

虎杖悠仁は、静かに座っていた。

肘に顔を埋めるようにして。

何も言わず。

何も動かず。

ただ、そこにいる。

時間だけが、過ぎていく。

「――おい」

声が、落ちた。

低く。

まっすぐな声。

悠仁が、ゆっくりと顔を上げる。

視線の先。

黒い髪。

鋭い目。

見慣れない少年が立っていた。

「虎杖悠仁だな?」

確認するように。

「……お前は?」

悠仁が、警戒を含んだ声で返す。

「伏黒だ」

短く名乗る。

伏黒恵

「今、名前はどうでもいい」

一歩、踏み込む。

「お前が持っているものを渡せ」

その言葉に。

悠仁は、少しだけ考えた。

そして。

「ああ、あれか」

ぽつりと呟く。

落葉箱で拾った、古びた箱。

あれのことだと、すぐに分かった。

「これか?」

持っていた箱を差し出す。

伏黒は、すぐにそれを受け取る。

開ける。

中を確認する。

「……空だ」

声が、わずかに低くなる。

「中身はどうした」

問い詰める。

悠仁は、あっさりと答えた。

「ああ、それなら」

何でもないことのように。

「先輩たちが今夜、学校で布外すって」

一瞬。

空気が、凍る。

「……!」

伏黒の目が、見開かれる。

「何かヤバいのか?」

悠仁が、首を傾げる。

その問いに、伏黒は言いかける。

「ヤバいも何も――」

だが。

その言葉は、途中で遮られた。

「死ぬぞ」

静かな声。

背後から。

二人が振り返る。

オビトが、そこに立っていた。

「……オビト」

悠仁が、呟く。

伏黒の視線が、鋭く向く。

「お前……」

ただの一般人じゃない。

その一言で、理解する。

「その箱」

オビトが、ゆっくりと口を開く。

「呪いの残滓が、濃すぎる」

感じる。

はっきりと。

「……やっぱりか」

伏黒が、舌打ちする。

「学校まで案内しろ」

即座に言う。

悠仁は、立ち上がった。

迷いなく。

「わかった、行こう!」

そのまま、走り出す。

オビトも、続く。

伏黒も、後を追う。

三人は、夜の街を駆け抜ける。

風が、頬を打つ。

呼吸が、荒くなる。

だが、止まらない。

止まれない。

そして。

校門前。

立った瞬間。

空気が変わる。

重い。

淀んでいる。

肌にまとわりつくような、不快な圧。

(……来てるな)

はっきりと分かる。

「……ここで待て」

伏黒が、二人を制止する。

「中は危険だ」

当然の判断。

だが。

「俺は行く」

悠仁が、即答する。

「俺が拾ったんだ」

拳を握る。

「だから、助ける!」

そのまま。

止まらない。

走る。

校舎へ。

「おい!」

伏黒が、叫ぶ。

間に合わない。

そして。

もう一つの足音。

オビトも、動いていた。

追う。

当然のように。

「おい!」

伏黒が、苛立ちを滲ませる。

「これは一般人のお前らが突っ込んでいいもんじゃない!」

危険だ。

明確に。

だが。

「知ってる」

オビトは、短く返す。

その言葉に。

伏黒が、一瞬だけ言葉を失う。

「……なに?」

「だからって」

オビトは、前を見たまま言う。

「悠仁は止まんねぇし、聞かねぇよ」

その通りだ。

分かりきっている。

「だから俺は」

一拍。

「守りに行く」

その言葉に。

迷いはなかった。

伏黒は、歯を食いしばる。

「……くそ!」

手を、地面に向ける。

影が、揺れる。

そこから――

白と黒の犬が現れる。

玉犬

低く唸り、牙を剥く。

「へぇ」

オビトが、わずかに目を細める。

「式神ってやつか」

その言葉に。

伏黒の目が、鋭くなる。

「……見えるのか?」

普通は見えない。

だが。

「まあな」

あっさりと答える。

「それより急ぐぞ」

それだけ言って、先に走る。

伏黒も、すぐに続く。

校舎の中。

暗い。

静まり返っている。

だが。

奥から、気配がする。

濃い。

強い。

そして――

禍々しい。

(……これが)

呪い。

その中心。

悠仁は、すでにそこにいた。

先輩たちを庇いながら。

巨大な存在と、対峙している。

(……間に合ったな)

オビトは、瞬時に状況を判断する。

先輩二人。

恐怖で動けない。

悠仁は、前に出ている。

なら――

(優先はこっちだ)

すぐに動く。

先輩たちの元へ。

「動くな」

短く言う。

安心させるように。

「俺がついてる」

その言葉に。

ほんの少しだけ、震えが収まる。

その間にも。

戦いは、進む。

伏黒が動く。

式神が吠える。

悠仁が、前に出る。

そして――

その先にあるもの。

呪いを呼ぶ、指。

運命が、動き出す。

止まらない。

もう。

戻れない。

その一歩を。

三人は、すでに踏み込んでいた。


〆栞
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