荷作りの夜

夜。

虎杖家の中は、いつもより少しだけ慌ただしかった。

段ボールがいくつも並び、床にはまとめられた荷物が広がっている。

生活の痕跡が、少しずつ“移動”という形に変わっていく。

「これ、いるか?」

オビトが箱の中身を見ながら問う。

「んー……あ、それいる!」

悠仁が振り向きざまに答える。

その時だった。

「――小僧」

声が、響いた。

低く、嘲るような声。

悠仁の頬に――

口が、現れていた。

ぬるりと。

皮膚を割るように。

「この程度の準備で――」

何かを言いかける。

だが。

「……気持ち悪いな」

オビトが、素で言った。

一切の遠慮もなく。

一切の動揺もなく。

ただ、率直に。

「おい」

宿儺の声が、ぴたりと止まる。

一瞬。

空気が、変わる。

だが。

オビトは気にしない。

というか――

「それどころじゃねぇんだよ」

箱にガムテープを貼る。

ぺたん、と。

「こっちは忙しい」

晩飯の準備もある。

荷造りもある。

やることが多い。

「おい、聞け」

宿儺の口が、再び開く。

「貴様――」

悠仁が、慌てて頬を押さえる。

「うわっ、出た!」

手で覆う。

だが。

次の瞬間。

その手の甲に――

また、口が現れる。

「無駄だ」

宿儺が嗤う。

「どこに隠そうと――」

「うるせぇ」

ぺたん。

オビトが、迷いなくガムテープを貼った。

悠仁の手の甲に。

強粘着。

容赦なし。

「は?」

悠仁が固まる。

「え、ちょ――」

「封印」

短く言い切る。

「待て待て待て!」

悠仁が慌てて振る。

だが、びくともしない。

「二次被害!!」

叫ぶ。

「俺の手!!」

「我慢しろ」

即答。

「家政婦舐めんなよ」

どこか誇らしげに。

(なんでだよ)

悠仁は心の中でツッコむ。

だが。

言い返せない。

「……っ」

手の甲の下で。

もごもごと、何かが動いている。

確実に、喋っている。

だが。

聞こえない。

完全に封殺されている。

(……やば)

悠仁は思う。

(宿儺が……黙ってる)

いや、正確には。

黙らされている。

力ではない。

術式でもない。

ただの――

ガムテープ。

(なんでだよ)

理解が追いつかない。

「ほら、次」

オビトが、次の箱を差し出す。

何事もなかったかのように。

「これ運べ」

「……はい」

逆らえない。

完全に。

立場が固定されている。

しばらくして。

悠仁が、意を決してガムテープを剥がす。

「いってぇ!!」

ベリッ、と。

皮膚が持っていかれる勢い。

「だから言ったろ」

オビトが、淡々と返す。

「問答無用だ」

頬に、また口が現れる。

「貴様ら……!」

宿儺の声。

だが。

「はい封印」

ベリッ。

再びガムテープ。

「うおおおお!!」

悠仁の悲鳴。

「だから俺の手!!」

「慣れろ」

冷静すぎる返答。

圧倒的。

家政婦の鬼。

圧倒的。

兄貴気質。

そして――

圧倒的。

ガムテープの王。

「……」

悠仁は、もう何も言えなかった。

完全に、頭が上がらない。

だが。

ふと、気づく。

(……あれ)

胸の奥。

さっきまであった重さ。

じいちゃんのこと。

死刑のこと。

宿儺のこと。

全部が、少しだけ。

軽くなっている。

(……なんでだ)

理由は、分かっている。

昔からだ。

(オビトがいると)

隣を見る。

段ボールを運びながら、淡々と作業を続ける背中。

(……楽なんだよな)

自然と、息ができる。

怖くても。

不安でも。

「……まだモゴモゴ言ってる」

悠仁が、手の甲を見て呟く。

ガムテープの下で。

確実に、何かが抗議している。

(……つーか)

ふと、思う。

(オビト、怖くねぇのか?)

あれは。

呪いの王。

普通なら。

恐怖で、動けなくなる存在。

なのに。

(……全然ビビってねぇ)

むしろ。

うるさいから封じた、くらいのノリだ。

「ほら、終わったら飯だ」

オビトが言う。

振り返らずに。

「手、使えねぇなら口で食え」

「鬼か!!」

反射的に叫ぶ。

だが。

その声には、少しだけ笑いが混じっていた。

夜は、まだ続く。

騒がしく。

いつも通りに。

少しだけ、変わった日常の中で。


〆栞
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