虫が集まる家

増えている。

それはもう、はっきりと分かるほどに。

黒い靄――もとい、虫。

最初はぽつり、ぽつりと見かける程度だった。
窓の外に一匹、家の隅に一匹。

だが今は違う。

壁の影。
天井の角。
廊下の奥。

視界に入るたびに、いる。

(……多すぎだろ)

率直な感想だった。

だが不思議なことに、恐怖はない。

鬱陶しいだけだ。

理由は分からないが、あれは俺に害を及ぼせない。
直感的に、そう理解している。

むしろ。

(寄ってきてるよな、これ)

逃げるどころか、集まっている。

家の周囲。

窓の外。

夜になると、特に顕著だ。

黒いものが、ぞろぞろと。

まるで餌に群がるように。

(……気持ち悪ぃ)

完全に虫だ。

しかも質が悪い。

普通の虫と違って、叩いても音もしないし、潰した感触もない。

ただ、消える。

それだけ。

だが。

だからといって、放置する理由にはならない。

(全部、潰す)

それだけだ。

――そのはずだった。

「すやぁ……」

俺は、寝ていた。

布団の中。

柔らかい温もり。

安心できる空間。

そして。

完全に、無防備。

だが。

身体は、眠っていても。

“中身”は、眠らない。

どくん

どくん

どくん

血が、脈打つ。

意識がないはずなのに。

力が、勝手に動く。

指先。

いや、全身。

血が、滲むように浮かび上がる。

細く、糸のように。

無数に。

(――……)

夢の中のような、曖昧な感覚。

だが。

標的は、正確に捉えている。

壁の隅。

天井の影。

窓の外。

そこにいる、“虫”。

血が、伸びる。

滑るように。

音もなく。

そして。

ぷすっ

ぷすっ

ぷすっ

次々と。

突き刺さる。

黒い靄が、弾ける。

消える。

また一匹。

また一匹。

まるで自動のように。

休むことなく。

正確に。

確実に。

駆除していく。

寝ながら。

完全に無意識で。

それは、もはや本能に近い動きだった。

“邪魔なものは排除する”

ただ、それだけのために。

身体が勝手に動いている。

そして。

朝。

「……あら?」

綾乃が、ふと首を傾げた。

「どうした?」

宗一郎が新聞から顔を上げる。

「なんだか……空気、綺麗じゃない?」

「……ああ、言われてみれば」

窓を開ける。

風が入る。

澄んでいる。

妙に、すっきりしている。

「最近、ずっとよね」

「確かに」

宗一郎も頷く。

「前はもっと、こう……じめっとしてた気がするけど」

「ねぇ」

綾乃が、柔らかく笑う。

「住みやすくなったわね」

(……そうか?)

布団の中で、ぼんやりと思う。

よく分からない。

だが。

確かに、あの“虫”は減っている。

見える範囲では、ほとんどいない。

(まあいいか)

快適なら、それでいい。

深く考える必要はない。

また、眠気が来る。

(……寝るか)

思考が沈む。

その間にも。

ほんのわずかに。

血が、揺れる。

外。

家の外。

電柱の上。

黒い虫たちが、群れていた。

だが。

以前とは違う。

近づかない。

近づけない。

距離を取って。

じっと。

裏葉家を見ている。

まるで――

そこに、とんでもない怪物がいるかのように。

そして、家の中。

布団で眠る、赤ん坊。

その小さな身体から。

静かに。

だが確実に。

膨大な力が、溢れている。

目には見えない。

誰にも感じ取れない。

両親でさえも。

ただ。

確かなことが、ひとつ。

裏葉オビト。

この赤ん坊は――

この世界にとって。

あまりにも。

規格外だった。


〆栞
PREV  |  NEXT
LIST
#novel#