花束を君に



気付いてしまった。
久しぶりのデートで少し遠出しようという話になって、迎えに来てくれた風見くんの車の助手席に乗り込んだその一瞬、目に入ったのは後部座席に置かれた小さな花束。
もしかしてこれ、私に、だろうか。いや、もしかしなくてもそうとしか考えられないんだけど。
珍しい。というか、初めてじゃないだろうか。風見くんから花束のプレゼントなんて。
心臓が静かに跳ねた。さすがに驚いてしまったけど、顔に出さないようにする。幸いにもこういうのは仕事柄得意だ。気付かないふりで、努めていつも通り振る舞う。

「わざわざ迎え、ありがとう。風見くんの車久しぶりだね」
「公用車じゃドライブにはならないからな」
「気張って周りに目配らなきゃいけないようなドライブはちょっとねー」
「全くだ。今日はお互い気を抜いて行こう」

気、抜いていけるかな。
いや、今は忘れよう。いつ振りか分からない二人の時間に集中したい。
今日向かうのは、車で1時間半ほどの場所にある温泉街だ。足湯に浸かって、適当なところで立ち寄り湯を利用して、戻ってからどこかで夕食を、という予定を立てている。
都内だとどうしても仕事感が抜けないということで練られたプランだった。

隣の風見くんは、まっすぐ前を見てハンドルを両手で握っている。教習所で教わった運転姿勢の手本を連想させた。それでいて余裕があって、時折私の表情に気を配っているのを感じる。眠くないか、疲れてはいないか。どこかに立ち寄ろうとか飲み物はどうかとか。
余りにも気が回るので、いつスイッチを切っているのかと思ってしまうくらいだ。
反面私は助手席で好き勝手しているのだから、それでいいのかと尋ねたこともあるがそれでいいと満足そうに微笑まれたのを覚えている。まったく、心の広い男だ。
時折サイドミラーに目線をやる仕草が私のお気に入り。タイミングよくそれに気付けるとラッキー、と思ってしまう。丁寧ながらも男らしさを感じるその姿を近くで見られる、ドライブの醍醐味はこれに尽きる。言ってはやらないけど。

「疲れたら言ってね、運転代わるから」
「…あかりさんの運転は少々荒いからなるべく俺にさせてほしいな」
「何それひどい」
「いや、すまない」

風見くんはくっくっと笑い、骨ばった手で口元を押さえた。
二人の時はこうして名前で呼んでくれる。公私をきっちり切り分けるタイプの彼らしく、特別感があって好きだ。

高速に乗り、途中で数回の休憩をとりつつ、予定通り目的地に着いた。
雰囲気のある温泉街を並んで歩く。浴衣を貸し出している店が目につき、せっかくだから着てみようと誘った。だって浴衣姿が似合わないわけない。風見くんは純和風顔だもの。
そう言うと、少しだけ不満げに一瞬眉をひそめたあと、「あかりさんも着るなら」と承諾してくれた。
何それ可愛い。風見くん、素朴に可愛くていい。

様々な柄の浴衣と帯の組み合わせを見せてもらい、私は控えめに、墨色に近い薄紫の生地に白の朝顔があしらわれた浴衣とからし色の帯を選んだ。別の部屋から出てきた風見くんは、くすんだ藍色を私より少し暗めのからし色の細帯で締めて、深い赤茶色の落ち着いた羽織を纏っていた。
やばい。思った通り、似合っている。浴衣の裾から伸びる素の足首やアキレス腱の筋がやけに色っぽい。さすがにそれは言わないけど。

「…浴衣なんて何年振りに着たか」
「風見くん、ほんと似合う。格好いいよ」

見惚れた。多分それが駄々洩れな顔をしていたと思う。

「そんなに褒められるとは思わなかったな。
…あかりさんの浴衣姿もすごくいい。似合ってる」

律儀に褒め返してくるところが彼らしい。

「いやほんと、多分私の知る限りの成人男性の中で一番似合ってるよ、それ」
「…俺のことをそんな風に褒める女性なんて君くらいだ」
「真剣に褒めてるからね、真剣に受け止めてよ」
「…承知した」

照れている。可愛い。
少し目を伏せた彼の腕を取って、小気味良い下駄の音とともに歩き出す。
お目当ての温泉の手前にある足湯に浸かりながら少し喋って、抹茶味のアイスクリームを食べた。苦みと甘さの塩梅が丁度良くて、いいチョイスをしたと嬉しくなった。
それから立ち寄り湯でお互い体を温め汗を流して、浴衣を返却し、ぶらぶらと温泉饅頭やちょっとした土産物を買ってみた。
普段はスーツという戦闘服を纏って、並んで歩くことが多い私たち。こうしてくだけた雰囲気と私服姿で日常から離れた場所にいるのが不思議で、大きな特別感を味わえる。きっと互いにワーカホリックなんだろう。だからこそこういう非日常に気分が高揚してしまうのも、同じなんじゃないかと思う。
いつもより緩んだ表情の風見くんに、はしゃぎ気味な私。二人だけの空間。たまにはこういうのもいい。



******



同じ距離をまた車で走らせて、都内へ戻ってきた。気分的に和食だな、ということになり、重くならない程度にお蕎麦と天ぷらを食べた。風見くんは私だけでも飲めばいいのにと言ったけれど、今日は彼が車を出してくれたのだし、ノンアルコールにした。お酒を飲むなら一緒に楽しみたい。そう返すと、あかりさんは律儀だな、と言われた。律儀なのは風見くんの方だよと思ったけど、なんだか嬉しくてその言葉は飲み込んだ。

別れ際、車を降りようとドアに手をかけると、ちょっと待って、と風見くんが私を呼び止めた。
ああ、そうだった。後部座席の花束。忘れていた。一緒にいると、他のことがどうでもよくなってしまうのは長所なのか短所なのか。とりあえず切り替えの上手いタイプということにしておく。
風見くんが後部座席に腕を伸ばしたかと思うと、ふわりと生花の匂いが近寄った。

「これ、」

目の前に差し出された花束をまじまじと見つめてしまう。薔薇やガーベラなんかの華やかなセレクトでないところがとても彼らしく思えて、つい顔が、口元がほころぶ。

「花束なんて、くれたことなかったよね」
「…あかりさんを迎えに行く途中、花屋が目に留まって。らしくないと思いながらつい、買ってしまった」
「真っ白だね。綺麗」
「花の名前や花言葉なんて知らないから完全に俺の直感だ」
「だと思った」
「だから、似合うだろうというだけで選んだものだ。もらってくれるか」

真っ直ぐな目でそう告げられた。らしくなく照れてしまう。両耳が熱い。
控えめな大きさの、澄んだ白い花弁。シンプルにそれだけを集めた小ぶりな花束に、言葉で愛を告げられるよりストレートに気持ちが込もっているような気がした。
花束なんて柄じゃないのはお互い様だけれど、それでも嬉しい。だからこそ嬉しい。

「…もちろん。ありがとう、風見くん」

私の気持ちはちゃんと伝わっているだろうか。受け止め上手な彼のことだから大丈夫だとは思うけど、

「すごく楽しかった、またね」

そう言って、さっと彼の頬にキスをして車のドアを開けた。
私は言葉を扱うのが余り得意じゃない。行動に出す方がきっと伝わる。
車を降りて、できるだけ丁寧にドアを閉める。片手には花束、もう片方の手をガラス越しの彼に振った。

顔、赤くないかな。悟られなかったかな。
さすがに恥ずかしい。
なるべくスマートに、と振り返り歩き出した。途中、アスファルトのわずかな角に爪先を引っ掛けてしまいちょっとよろけたが、彼には気づかれなかったと思いたい。

風見くんのくれた花束、大事に飾ろう。時間が経ったらドライフラワーにして、形にして残そうと思う。
そしていつか彼に、あのときの花束だよと話したい。きっと満足そうに笑むのだろう。
それを楽しみに、また明日からの仕事と向き合う覚悟を決めたのだった。


(贈るのも贈られるのも柄じゃないけど、どうにかして花の種類と花言葉を調べてやろうと思った)





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