日光浴の効果



今日は日曜日。珍しく安室さんとオフの日が重なり、お昼前から彼の部屋にお邪魔してのんびり過ごすことになっていた。
風もなく、柔らかな日差しが気持ちいい。天気も上々だ。
MAISON MOKUBAへ向かう道すがら、スーパーに寄ってカップのアイスをふたつ買った。ティータイムのお供にと思ったのだ。
アイスコーヒーに浮かべてコーヒーフロートもいいな。そんなことを思ってにやけながら歩いてきた。
彼の部屋のインターホンに手を伸ばせる距離まで来たところでがちゃりとドアが開き、隙間からいつもの笑顔が見える。

「どうぞ、あかりさん」
「お邪魔します」

足元にじゃれつくハロにも挨拶をして、私は玄関に上がり靴をそろえた。

休日の安室さんは普段ポアロのカウンターに立つ姿とは違う空気を纏っていて、私はそれがとても好きだ。
部屋着の白いTシャツと落ち着いたネイビーのデニム姿とか、そのデニムの膝あたりにくっ付いているハロの白く細い毛とか。
そのうち私の服にももれなくそれは付いてきて、いくら払っても自宅に持ち帰ってきてしまう。帰ってからそれを見つけるとなんだかほっこりとした気持ちになるから嫌いじゃない。

「少し早いかとは思いましたが、昼食の準備をしていて。お腹の具合は?」

小首をかしげて私を見遣る彼の仕草がたまらなくて、心臓がきゅっと縮んだ。私がそのしぐさを物凄く好んでいることを知っていてやっているとしか思えない、この人は優しさの塊のようで実は極悪人じゃないかと時々思ってしまう(言わないけど)。

「歩いてきたのでいい具合です、お腹空いたあ」

私がそう返すと、にっこりと彼の口元が弧を描いた。

「あ、お土産にアイス買ってきました。お昼あとにでも食べませんか」
「いいですね、今日は暖かいからアイスがおいしそうだ。ありがとうございます」

がさがさと音を立てて小さなレジ袋を安室さんに渡す。
昼食の準備はもう整っていて、あとはパスタを茹でるだけだったらしい。
何も言うことのない、完璧なタイミングに整えられていた。


お湯が沸いて、二人分のパスタを手にしたまま、塩の入ったポットを取り出す。
ふと、ダイニングテーブルの上の安室さんのスマホが震え出した。さっと手に取り、数回画面をタップしたあと、彼は少し苦い表情を見せて私に告げた。

「すみません。探偵の方の仕事で、急ぎ来てもらいたいと連絡が」
「急用なんですね、大丈夫でしょうか。きっと相当お困りの事態なんじゃ」
「いえ、僕が気にしているのはあかりさんの方です。せっかく来てもらったところだったのに…」
「ああ、私なら大丈夫ですよ。もし安室さんが嫌でなければハロと一緒にお留守番してます」
「嫌だなんて。安心して留守を任せられます。2時間程度で戻れると思いますので、先に昼食をとっていてください」

パスタのソースならもう小鍋に。温めるだけで大丈夫です。サラダも冷蔵庫に入れてありますから。
そう伝えて、私の手にパスタの束が手渡された。一人分だけ茹でて食べて、ということらしい。

「安室さんは、お昼は?」
「僕は戻ってからゆっくりいただきます。できるだけ早く戻りますね」

彼は私に笑顔を向けたあと、軽めのジャケットを羽織って、ちらりと鏡を見遣ってからあっという間に出て行ってしまった。
こういうことは初めてじゃないからさほど驚いてはいない。
でも、本当に忙しい人だなあ。



***



結局パスタは茹でられないまま、キッチンで二束並んでいる。
一人だけでは昼食をとる気にならず、私は麦茶を飲みながらぼんやりとベランダの外を眺めていた。
少し風が出てきたようで、網戸越しのそれを受けて薄いカーテンがひらりと舞う。
その足元、ぽてぽてと歩いてきたハロがこてん、と横になり、気持ちよさそうに四肢を投げ出した。
日向ぼっこか。
目を細めて、その暖かさを全身で享受しているハロを見ているとなんだか羨ましくなった。

この子は安室さんに拾われて、ご飯に困ることなく生きられるようになった。散歩に連れて行ってもらい、やんちゃをしては怒られて、同じ寝室で安心して眠ったり、撫でられたり名前を呼ばれたり。
なんて幸せなんだろう。私もハロになって安室さんに可愛がられたい。いたずらをしたり駄々をこねたりして、「しょうがないな」と安室さんを困らせてみたい。

昔から、誰かに甘えるのは得意じゃなかった。
甘えが依存になり、その存在がないと立つことすらできなくなるんじゃないかと怖かったのだ。
特に、普段から私にとても優しく接してくれる安室さんならそれはなおさらで、
彼なしには私の生活が立ち行かなくなるんじゃないかと思うくらいに、彼の優しさは甘く、緻密だ。
私の隙間にするりするりと入り込んでいくような感覚がある。

さっき、もし私が残念そうな顔を見せたとしても、「寂しい」と伝えたとしても、
きっと彼は嫌な顔せずに受け止めてくれる。そう思うけど、やっぱり、どうしても彼の荷物を増やしたくない。
急がせて事故にでも遭ったら。焦らせて何か判断を違えてしまったら。
私ごときのわがままでそのパフォーマンスが鈍ることはないんだろうけど、人の命にも関わるような大事な仕事をしている彼に、できるだけノイズは与えたくない。

ただ私が甘えるのに億秒で、もし何かがあったときに自身の行動を振り返って悔やみたくないと思ってしまうだけ。

もやもやと考えていると、気が付いたら足元のハロはすっかり寝息を立てていた。
気持ちよさそうだな。
羨ましく思うついでに、ハロと一緒に私も日向ぼっこをしてみようかと、腰をあげた。

ハロのすぐそば、フローリングに横になってみるとそこは思っていたよりも温かい。
太陽のぬくもりを吸収していて、床に触れたところから私の肌にもそれが伝わってくる。
自分の片腕を枕にして、体を少し丸くして横向きに寝転がってみたけど、想像以上に気持ちがいい。
程よい暖かさに包まれて、なんだか、悶々としていた気持ちなんてどこかにいってしまいそうだ。
確か日光浴には、脳内のセロトニンを増やす効果があったはず。いつか安室さんが教えてくれた。

肌のために日焼け止めを塗るのを否定はしませんが、たまには太陽の光を浴びることも大事ですよ、なんて。
ビタミンなんとかが作られてカルシウムの吸収を助けたり、あとはセロトニン、いわゆる幸せホルモンを増やす効果もあるとかなんとか…
安室さんの蘊蓄は、嫌味がなくて勉強になるから好きだ。

彼がそこにいなくても、彼の存在を感じられる。暖かさがそこに残っている。
あぁ、ほんとうに気持ちがいい。
ハロの規則的に上下するお腹を見つめながらまどろんでいるうちに、私もふわふわと意識を手放していた。



***



予定通り2時間ほどで戻ってくることができた。
あかりさんを放って出て行ってしまった罪悪感。せっかくの休みだったのに、申し訳ないことをしてしまった。
マンションの階段を駆け上がり、吸い込まれるように鍵を差し込んでドアを開ける。

「戻りました。あかりさん、」

ドアを開けたことでベランダから入り込んだ風が通っていき、ふわりと前髪が浮いた。
窓を開けてあるのか。中は静かで物音がしない。
呼びかけに応答がないことにどきりとして、いささか乱暴に靴を脱ぐ。

「すみません、お待たせしました」

そう告げてダイニングを見渡すとテーブルにはその姿がなくて、…足元にハロと寝転がっているあかりさんがいた。
まったく不用心に窓も開け放して、ハロと一緒に穏やかな寝顔ですうすうと小さく息を立てている。
ハロもこれじゃ番犬になんてなりゃしないじゃないか。
ふっ、と噴き出して、彼女のそばに座り込む。
思い切り寝入っているのか、目を覚ます気配もなく彼女の髪の毛とカーテンが静かに揺れていた。

ジャケットを床に脱ぎ捨てて、きれいに閉じられた目にかかる前髪を梳かしその小さな耳にかけてやる。
その延長で、頭をゆっくりと撫でて。

「もう、あなたという人は」

陽の光を浴びて透けて見える彼女の髪はほんのりと温かい。

「引き止めたり、わがままを言ってくれたっていいものなのに」

苦笑いをして、ひとりごちる。溶けるように眠っている彼女にはきっと届いていないだろう。

「ハロの方がよっぽど手がかかるよ」

まったく、と呟いて、温まった床に一緒に寝転んでみることにした。
なるほど、とても気持ちがいい。


***



私が床で目を覚ましたとき、後ろに安室さんも寝転んでいて、その片腕が私を抱きしめていたからひどく驚いた。心臓が止まったかと思うくらいだ。
安室さんの顔は見えないけれど、静かな寝息が聞こえてきたからしばらくそのままでいることにした。
日は少し傾いたように見える。気温が落ちるまでにはまだ時間があるから、せめてあと少しだけでも。

ハロと安室さんの寝息に挟まれて、私はとても幸せだ。
彼が忙しかろうが、甘えることに戸惑っていようが、この暖かなひとときがすべてなかったことにしてくれるのだから。



(お昼ご飯の代わりに私が一人でアイスを食べてしまったこと、実に残念がられてしまった)
(これくらいなら許されるよね)


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