疲れ顔の彼と





最近、風見くんの目の下の隈がひどい。

背筋を伸ばして緊張した様子で電話を受けては、足早に去っていくことが増えた。
任務を共にすることが減った。庁内で見かける機会も減った。

新しい任を負っているんだろうな。彼は部内でも優秀と言われているから、もしかしたらゼロとの連携の要を担っているのかもしれない。
私は彼とは同期だけど、彼ほど任務にストイックで真面目でぶれない人間はいないと思っている。
まっすぐな分損をする機会も多そうだけど、そういうところも含めて彼の魅力だ。
個人的に、私は風見くんのことをもっと知りたいと思っている。
同期以上、好き未満。

会議室への移動中、壁に囲まれた無機質な廊下。
ここ数日登庁することのなかった彼の後ろ姿を見かけて、思わず声をかけた。

「風見くん、おはよう」
「ああ、萱島か。おはよう」

ぽん、と深くくすんだカーキ色のスーツの肩を叩くと、彼は栄養ドリンクを手にしていた。
目の下の隈は相変わらず。というか、ますます濃くなってはいないだろうか。

「最近見かけないけど、忙しい?」
「…いろいろあって。確かに忙しいな」

所属部署の特殊さ故、仕事の内容は同僚にも明かせないことが多い。それを承知で尋ねているのであいまいな回答ももちろん理解できるが、それにしても多忙すぎやしないか。

「大丈夫?疲れてる風だし、隈ひどいよ」

気になるそれを指摘すると、彼はもともと三白眼気味な目を少しだけ見開いた。実はこの表情は私のお気に入りだ。
それから双眼の間を右手の親指と人差し指で押さえる仕草。

「そうか、情けないな」
「寝れてる?」
「いや、それが少々睡眠不足気味で」
「そのわりにはスーツにしわ寄ってないね」
「まめにクリーニングに出すようにしている」
「ああ、がっつり外注してるのか」
「そうしないと生活が回らなくてな」

なるほど。家事は外注、溜めないタイプか。
決まった時間に帰れないことも多い部署だ。合理的だと思う。
おそらく食事も栄養ドリンクやカロリーのあるもので適当に済ませているのだろう。
そうしてでもきっちり仕事に時間を割く、私の知る風見裕也はそんな人間だ。

「…無理しすぎるのもあれだから、たまには休みなね」

彼の彼らしさを否定する気はない。だから、こうして少しだけ気遣いを向ける程度のことしか私にはできない。
同期として、同僚として、彼の出世は喜ばしいことだ。でも、そのために体を壊していては元も子もない。
自分を犠牲にしてでも頑張ってしまうタイプだと知っているからこそ、心配になってしまう。

「ありがとう、今の任務がひと段落ついたら公休消化するよ」
「有休も相当溜まってるんでしょ」
「萱島もだろう」
「へへ、そうだった」

こんな風に庁内を並んで歩きながら話せることもあまり多くない今、貴重な時間だと内心では笑んでいるなんて彼はきっと気づきもしないだろう。
仕事のことで彼の瞳は満たされている。いつでも、まっすぐ前を向いて。

「萱島は、最近どうなんだ」
「うーん、追ってる案件があるけど進捗はいまいちかな」
「そうか、お互い様だな」
「いや、でも風見くんよりは私の方が寝てると思う」
「………」

黙らせてしまった。
決して彼の働きが悪いわけではなく、それでも寝食を削らないことには進まないような任務を抱えているんだと思う。しょうがないことだし、彼も寝たいし食べたいはずだ。

「あ、ごめん」

優しい言い方ができない自分なのが残念だ。
だから気づいたときにはすぐ謝ることにしている。男社会でもまれた結果、こうなってしまった。

「いや、萱島が謝ることはないんだ。俺の余裕が足りないだけで」

ああもう、とことん謙虚な人間だ、風見くんは。
毎回こうして反省する。彼を気遣いたいだけなのに、追い立ててしまっている気がするのだ。

「や、ほんとごめん。私より絶対風見くんの方が忙しいのに」

目線を少しだけ向こうにやって、風見くんは頭を掻きながらいつものトーンでさらっと言った。

「落ち着いたら息抜きに酒に付き合ってくれ、さすがに疲れてるのは自覚してるし息を吐きたいんだ」

次は私が目を丸くする番だった。
風見くんがこんなことを言うのは珍しい。他人に弱音を吐いたり自分が疲れていることを話すような人間ではなかったはずだ。
よっぽど疲弊しているか、私のほのかな気遣いを受け止めてくれたか。
どちらにしても、付け込む隙を手に入れたことには間違いなさそうだ。

「うん、私もひと段落ついたらお酒飲みたいな。
忙しそうだしそっちの都合に合わせるから、声かけて」

賛同の意を示すと、彼は私の肩越しにわずかに口の端を持ち上げ、笑った。

「早々に片を付けるさ。そっちも頑張れよ」

じゃ、と言うと右手を軽く上げてから角を右に曲がり、風見くんは去っていった。
その後ろ姿はいつもと変わらず背筋が伸びていて、スマートだ。

(…頑張ってやろうじゃない)

各々に抱える仕事は違えど、命を張って日本を護るという思いは同じ。
互いに仕事人間であることはきっとこれからも変わらないだろう。
ただ、たまにはこういうご褒美があってもいい。

彼の目に留まらないところで私もにっと笑い、同じように背筋を伸ばした。
小気味よく低いヒールの音を鳴らし、気合いを入れる。さて、今日も歩いていくとしよう。


(爆速で任務を片付けて、結局彼にまだかいつかと予定を迫る未来が見えた)
(まあたぶん、これからもそんな感じだろう)


top