疲れ顔の理由と本心と



「風見くんさあ、絶対つながってるでしょお、ぜろと。いいなあ出世コース」
「萱島、…酔ってるな」

任務にひと段落ついたら酒でも。と、風見くんと約束をしていた。
やっとお互い区切りがついて日程調整に移れたのは約束からひと月半も後のことだ。
夕食を兼ねた食事とグラスビールを一杯ずつ。それから二軒目へと繰り出したのはなじみのバーだった。
庁舎からもほど近く、仕事帰りに一息つくのによく利用するその店は地下にあり、外の雑音が入らないのが私好み。カウンターでぼんやりとお酒を飲みながら頭をリセットさせるのが好きだ。

慣れた場所だからとついお酒が進んでしまった。
いや、風見くんとこうしてお酒を酌み交わすのが久々だったから、ちょっと張り切ってしまったところは否めない。
カウンターに並んで座り、彼は私の左隣で澄ました顔をしてバーボンのロックを愉しんでいる。私の手にはロンググラスのジンリッキー。

「酔ってない、けど、気分はいいなあ」
「それをほろ酔いと言うんじゃないのか」
「ねえ、絶対ぜろとの連絡役やってるんでしょ」
「黙秘する」
「無言は肯定と捉えますよー」
「ああもう飲みすぎだ、萱島」

彼のチェイサーが私の前に差し出され、飲むように促される。
酔っぱらってなんかいないけど、とりあえずグラスの半分ほどを飲み下した。

「だって風見くん前にも増して忙しそうだし、電話鳴ると目の色変わるし、なんかしょっちゅう招集かかってるし。疲れてる顔してることも増えたしさ、羨ましいけど心配なんだよ」

まだ三十。これからの彼の警察人生は長い。今無理をして体を壊されては困る。
ただでさえ実直で繊細な人間なんだから、「至急」とか「火急の事態」とか、あんまり彼に無茶をふらないでやってほしい。
誰かも分からないゼロの上司とやらに向けて愚痴る。
…頭の中でだけ愚痴ったものと思っていたが、それは口から駄々洩れていたらしい。

「萱島、殺されるぞ」
「誰にだよ、やっぱりゼロなんじゃん」
「いやその、それは」

あからさまに言葉を濁す風見くんにやっぱりな、とジト目を向ける。

「…いいんだ。
確かに無茶な指示もあるが、あの人はこの国のことを何より大切にしているし、筋の通らないことはしない人間だから。そうでなければ俺もついていけなかったはずだ」

骨ばった手の中でグラスを傾けてその琥珀色を眺めながら、薄っすらと笑みを湛えて彼は上司を評した。
なんだよ余裕じゃない。
というか、風見くんもなんだかんだその上司と志は一緒なんだろう。

「ふうん、ならいいんだ。風見くんがいいならね」
「何だ、不満そうだな」
「だって最近そっちに夢中でしょー風見くん。明らかに寝食削ってるし目の下の隈もひどいし。さすがに私も心配してるんだって」

ぷい、と向こう側を向いてしまった。素直に身を案じているのだと伝えてしまえばいいのに、私も不器用無配慮極まりない。
気付いたら彼のくれた水の入ったグラスも、カクテルのグラスも空になっていた。

「…ああ、萱島の気持ちは分かってる。俺がうまく調整できてないだけだから」

ああもう、どこまでも謙虚。それから完全なるサポートタイプ。相手の意図汲もうとしすぎ。優しすぎ。

「だから、風見くんは優しすぎ。頑張りすぎ。気回しすぎ。
私の前でくらい気い抜いてよ、もっとだらけてよ、酔っぱらってよ」

あーもう、駄々洩れに次ぐ駄々洩れ。
もういいや、今日くらい。好きに言わせてもらおう。

「口うるさい同僚でごめんねー、是非うまいこと出世してお隣に席構えてさ、いつか私を呼んでよ、風見くんのもとに」

嫌味たらしくなってしまった。引っ込めたいけど口にしてしまった言葉は戻らない。さすがに後悔する。
それでも風見くんの目は優しい。菩薩だろうか。

「そうだな、出世するなら萱島も一緒に。
さ、そろそろ出よう。タクシーは呼んである。住所は言えるだろう?」

ふ、とまた微かに笑んで、彼は私の腕を引いた。
手を握るとかじゃないところが私達らしい。
体を支えてしっかり立たせてから、その腕は離れていった。

愚図ったり甘えたりしたいときもある。
風見くんのそれを受け止められる私でありたくてこうして共に時間を過ごしているというのに、結局私ひとりが甘えさせられてしまう。
もっと彼を崩したいのに、なかなか隙を与えてくれない。悔しいけどこれが今の私の限界か。

「はー、帰るかあ」
「頼むからちゃんと帰宅してくれよ。どこにも寄らずに、家のそばに車を着けてもらうんだ」
「疑り深いなあ、ちゃんと帰るし顔も洗って寝るってー」
「…家に着いたら連絡してくれ。一応だ」
「もう風見くんお母さんみたいー」

ぐずぐずと会話しながら、彼の呼んでくれたタクシーに乗り込んだ。
見えなくなるまで、彼の顔はこちらを向いている。風見くんはやっぱり真面目で律儀だ。



***



「…もう少し飲んでもよかったか」

ほろ酔いを少々超えていた萱島を見送って、歩きながらひとりごちる。彼女と一緒にいろいろ飲んだが、解散した今の頭は比較的クリアで冷静だ。
どうやら彼女は俺に息抜き以上の場を提供しようとしてくれていたらしい。愚図りながら話していたことから推測するにそういうことだろう。
それならそうと、もっと距離を詰めてもよかったのかもしれない。

(酔いに任せてどうこうがあってはいけないと気を張っていたのがいけなかったか)

上司の扱いもこちらの扱いも簡単にはいくまい。
次は「お母さん」より先を。


(帰宅の連絡を待っている間、自室でバーボンをもう一杯飲んだ)
(なかなか連絡を寄こさないのに心配こそしないものの焦れてしまった。母親か)




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