あ、黄瀬だ。
 それは二階の渡り廊下を歩いている時の事だった。
 意味もなく外を眺めていたら、丁度眼下に黄瀬と知らない女の子が見えた。二人がいたのは人気のない建物と建物の間に挟まれた狭い通路。
 どこに行ったかと思えば、こんな所に……。
 こういったシチュエーションと言えば、思い当たるのは二つ。
 一つ目は告白。漫画やらアニメやらで、昔からよくあるネタだ。
 二つ目はいじめ。でも黄瀬が女の子相手に、てか誰かにそんな馬鹿な真似するとは思えないし、女の子の方は尚更だ。
 じゃあ、そうなんだろうな。思わず溜め息を吐いた。
 別に盗み見しようとかそんなわけではないけど、気になって仕方無い。午後の授業まではまだあるし。自分の周りに誰もいないことを確認すると、俺は二人から見えないように少し屈んで様子を窺った。
 距離があるから、流石に声は聞こえない。てか、立派な盗み見じゃねぇか。あははと一人苦笑いを溢した。
 あ、女の子が真っ赤になった。今気付いたけど、あの娘はなかなかに可愛い。そうそう断るやつなんかいないだろうな。
 ……黄瀬、何て返したのかな。動作だけみたらどっちともとれる。心なしかピンクのムードが漂っているようにも見える。

「イエス、か?」

 どうかノーであるようにと願う俺は、どうかしてしまったのだろうか。
 その時、女の子が黄瀬に抱き着いた。抱き着かれた黄瀬も、優しく頭を撫でている。視線の先にいるのは笑顔の二人で、俺は手を握り締めた。
 モヤモヤする。胸が痛い。……見なきゃよかったかな。
 ぐ、と下唇を噛んで、俺はその場から立ち去った。動作の一つ一つが、どうしてか胸に突き刺さった。
 くそっ、何でこんなに泣きそうなんだよ。わけわかんねぇ。

「(俺にはそんな顔、してくれないのに)」

 本当に、わけわかんねぇよ。
 壁を思いっきりスリッパの底で蹴りつけた。でも、全然スッキリしなかった。



 あと少しで授業が始まる。余裕で間に合った俺は、ずっと机に突っ伏していた。
 ちょうどそんな時だった。

「名前っち寝てるんスかー? もう授業始まるッスよ」

 ひょっこりと現れた黄瀬は、間延びした声で俺に話しかけてきた。
 人の気も知らないで。今お前の顔を見たくないんだ。
 頭の中にはさっき見た風景がずっとループしている。ずっと無視していれば勘違いして別の所に行くかと思い何の反応もせずにいたが、一向にいなくなる気配はない。
 それどころか、何かあったんスか? と寝たふりを見抜いてきた。やば、と何故か焦って指か僅かに動いてしまった。それにああやっぱり起きてたと笑われ、鎌を掛けられたと苦虫を噛み潰した。

「本当に、何かあったの?」
『別に』
「……俺、何かしちゃった?」

 頭上から絶えず降ってくる声についに顔を上げた俺は、うっかり、勢いよく、口を滑らせてしまった。

『っそういうお前こそ、告白どうだったんだよ』

 しまった、墓穴掘った。そう思った時には既に遅かった。
 何やってんだよ、こんなのそれが原因だって言ってるようなものじゃないか。あーもう、この馬鹿。
 頭を抱えて俯くと、黄瀬は、見てたんスかとさっきと同じトーンで言った。

『……悪い』

 誰だって見られて気持ちいいわけがない。

「いや、俺は別にいいッスけど。てか見てたの気付いてたし」

 チラリと黄瀬を見ると、いつものように端整な顔立ちで笑っていた。
 って、はぁ!!?
 驚きのあまり思わず立ち上がって直ぐ様座った。一度教室に訪れた沈黙は、直ぐにもとの騒がしさを取り戻した。
 気付いてたって、あの距離で隠れてた俺にどうやってだよ。
 黄瀬の顔は、さっきまであった告白なんてとうに忘れたとでも言うようにけろりとしていて、わけもわからずうだうだと悩む自分がアホらしく思える。それで謎のむかつきが消えるわけじゃないけど。
 口許をニヤリと歪めると、黄瀬は言った。

「気になるッスか? 俺がなんて答えたか」

 無視。

「いやぁ、まさかここまで反応してもらえるとは思わなかったッスよ。嬉しいッス」
『だあああああ!! で、どうなんだよ! さっさと言え!』

 恥ずかしくなって早口で催促する。どうせはいと答えたんだろ、と半ばなげやりな態度全開で姿勢を変えた。
 頬杖をつきながら目の前に立つ黄瀬を見上げると、断ったッスよと予想外な返事をくれた。
 抱き締めといて、断ったぁ?
 呆けた表情になった俺を見て黄瀬は笑い声をあげる。
 何がしたいんだよこいつは……。

「ははははっ、あれはせめて一回だけ抱き締めてって言われたからそれに答えたまでッスよ。あぁ、あと、名前っちの反応が見たかったからってのもあるんスけどね」

 じゃあ、あれは疑似ピンクのムード? 付き合ってないの? 何なの?
 驚くほど静まっていく胸の内に、ホッと安堵の溜め息を吐いた。
 心底よかった、なんて思う自分がいて、やはり俺はどうかしてる。

「嫉妬とか、可愛い反応貰えて嬉しいッスわ」

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でられてしまえば、モヤモヤなんてどこかに消えてしまった。
 そうか、俺は嫉妬して……。代わりに、頬を真っ赤にして茹で蛸状態の俺が出来上がったのだった。
 一から十までこいつの手の中かよ、笑えねぇ。


さな様、リクエストありがとうございました!
251008

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