パチ。今日も一人で椅子に座る。私と対面しているのは将棋盤。
教室はがらんとしていて私以外の影はない。皆部活に行ってるんだから当然だ。
パチ。広く感じる部屋にそれだけが響く。チラチラと何度も時計と携帯を確認して、今日は遅いなと溜め息を吐いた。
パチ。パチン。
二度目の溜め息が部屋にもれたとき、丁度がらりと扉が開いた。同時に私の視線はそちらに注がれる。
「すまない、遅くなった」
『一人将棋崩ししてたから平気、です』
そう言えばその人は一人将棋崩しって、と小さく笑った。それだけなのに胸が高鳴り、ちょっと不自然になりながらも目を将棋盤に戻した。
彼は赤司征十郎くん。バスケ部のキャプテンをしていて、頭脳明晰。加えて沢山の女生徒から支持を集めている。
そんな高嶺の花とどうしてこんな密会するかのように会っているのかと言うと、少し前まで遡る。
赤司くんを好いている人は、皆遠巻きに彼を眺めている。勿論私もその一人だった。
バスケ部のマネージャーになれば赤司くんとお近づきになれる確率は上がるけど、自分のリスクを上げてまでそうなりたいかと言われたら、やっぱり自分が大事だ。叶うわけがないよと半ば諦めていながらも、目は変わらず赤司くんを追う毎日。
そんなある日、赤司くんは将棋が好きだと小耳にはさんだ。
将棋、かぁ。
そう言えば、小学生のときに一度だけうったことがあったっけ。いつも友達がしてるのを眺めてるだけだったからルールとかよくわからなくて、何度も失敗した。だけどその度に相手の子が分かりやすく教えてくれて、結果は負けてしまったけど、凄く楽しかった。
……それっきり、やったことはない。
(やってみようかな)
それが好きな人の好きなものだというだけで、何か特別なものに思えた。
思い立ったが吉日。私は早速図書室に足を運び、将棋に関する本を探した。何冊かパラパラと流し読みして、私にもわかりそうな簡単なものを選んだ。そしてさぁ借りようかと振り返った時だった。
「苗字さんも将棋するのか?」
(っ!!)
何で赤司くんがここに。
吃驚して本を落とした。ハッとして急いで拾おうとしたが、それより早く赤司くんが拾ってくれた。
「すまない、驚かせてしまったようだ」
『あっ、違、えと、ありがとう』
慌ててしまって上手く言葉を繋ぐことが出来なかった私を見て、赤司くんは目を丸くし、笑った。
かっこいい。思わず声に出してしまいそうになって口に手をやる。こんな至近距離で話すなんて夢のまた夢だったから、私はどんな話をすればいいんだろう。考えれば考えるほど話題がない。
本を抱えて黙りこんでしまった私に、赤司くんは何を思ったのか、
「苗字さんさえよければ、僕が教えるよ」
と言った。更に吃驚。
こんなチャンスを逃すわけにはいかない、と、当然私は首を縦に振った。
そして今に至るわけで。
願ってもない二人きりの状況に、今でも緊張している。しかも鋭い視線や暖かい笑顔を知れば知るほど好きが大きくなる。
あわよくば、お付き合いできたらなぁ……いやいやこれ以上望めない。望みたい、けど、秘密の恋で止めておこう。
でもこんなに近くにいたら、勘の鋭い彼のことだからそのうち気付かれてしまいそうだ。
将棋盤の上に駒を並べて赤司くんと向き合う。真剣な空気に包まれて、さっきとは違う意味で緊張した。
パチ、パチ、と駒を進めていく。赤司くんには29連敗中で一度も勝てたことがないから、せめて一回くらいは勝ちたい。
そして勝てたら、なぜ赤司くんが私に将棋を教えてくれるのかを訊こう。何で勝てたらかって、なんか、知りたいけど何となく怖いっていうか。がっかりするより知らない方がいいんじゃないかって思って。
「あぁ、なかなかいい手だね」
『っ』
頬が熱を帯びる。赤司くんが誉めてくれるなんて滅多にないから。それに、好きな人に誉めてもらえたら嬉しいものだ。
えへへと心の中で笑っていると、だが、と赤司くんの駒が動いた。
『あぁっ!!』
「まだ甘いな」
王手、と一言言われてしまえば、もう私の王は逃げ切れない。逃げ切れた例しがないのだ。
はぁ、と肩を落として、だけどとりあえず最後まではやろうと私も駒を動かす。どっちにしろ敗けは確定してるけどね。
今日こそはって思ったんだけどな。溜め息を吐く。
さぁ次のターンで私は敗けだと将棋盤を眺めていたが、彼の駒は一向に動かない。
どうしたのかと顔を上げると、赤司くんの鋭い双眸と目があった。
『な、何?』
「……いや、なぜ苗字さんは将棋をやろうと思ったのか、とふと思ってね」
ドキッとした。
何で今訊くの? て言うか、そんなの答えられるわけがない。好きな人の好きなものだからです、なんてもうただの告白だ。
誤魔化さなきゃ。
……本当は、勝ったら訊こうと思ってたんだけど……。
『あ、かしくんこそ、どうして私に将棋を教えてくれるの?』
ドキドキと鼓動が五月蝿くなる。
バスケの練習だって遅くまで忙しいのに。きっと本当は、早く帰って休みたいだろうに。
思えば思うほど、嬉しいけど申し訳なくなる。
暴れる心臓を抑え込んでじっと見つめ返すと、赤司くんはフッと笑った。そして私の王を奪い、これで僕の31勝だ、と言った。
ん? 31? 私の覚えが正しければ、30のはずなんだけど。
一人で首を傾げていると、覚えてないかい? と言われた。
「小学生の時に一度だけ、君に勝っている」
『……てことは、あの時教えてくれたのは』
「あぁ、僕だよ」
あちゃー、一杯一杯だったから全然覚えてない。
『……ごめん。誰かに教わったってことは覚えてたんだけど』
「昔のことだから仕方ないさ」
その時からずっと話したかったんだが、なかなか苗字さんに近付く話題がなくてね。
そんな時図書室で君を見かけて、しかも将棋の本が置いてある場所にいるなんて。
もしかしてと思って声をかけたんだ。
柄にもなく緊張したな、と腕を組んだ。
流れるように赤司くんの口から出た言葉達に私は何も言えなくなった。それって、それって、と自惚れた思考が顔を出す。
「これが僕の答えだ。さぁ、苗字さんも質問に答えてくれないか?」
もしもそうなら。
『将棋が赤司くんの好きなものだって、聞いたから』
赤司くんは一層笑みを深くした。
くおん様、リクエストありがとうございました!
251020
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