『無い、無い、嘘でしょ』
「名前ー、何やってんの?」
『さつき……ジャージの上着忘れた!!』

 信じられない。今朝テレビで今日の気温を見て、うわー寒いなジャージ絶対忘れられないな、とか思ってたのに。確かに思ったのに。なのに何故、私のジャージは今ここに無い?
 今日は一日、クラス対抗でのドッジボール大会がある。その為お昼ぐらいしか屋内には戻らない。否、戻れないんだ。安全の為に施錠されてしまうから。
 さつきは他人事の様にドンマイと項垂れる私の肩を叩いてきた。可愛いけど今はムカつく。でも事実彼女にとっては他人事なのだからとやはり溜め息を吐いた。

「ねぇ名前。赤司くんに借りたら?」
『……はっ!? いやいやいやそんな事したら征十郎が寒いし、てか私が恥ずかしいし』
「でも赤司くんなら(無理矢理にでも、)」
「名前? 桃井も、まだこんな所にいたのか」

 !! うう噂をしたら影ってやつでしょうか。なななんと征十郎が。突然の登場に理由も無く驚いてしまう。
 振り返ると、こちらを見る怪訝そうな目とかち合う。未だに体操服のみの寒々しい私と、防寒ばっちりのさつきを見比べ、納得したようにあぁと頷いた。何も言ってないのに分かっちゃうなんて流石、と感心していたら、征十郎は徐に自分のジャージを脱ぎだした。そして私を手招きして呼ぶと、ふわりとそれを背中にかけてきた。一瞬にして征十郎の温もりと香りに包まれる。

「それだけじゃ寒いだろう? 風邪を引くといけないから着ていろ」
『でも征十郎が』
「僕は部活のジャージを着るから、着ていろ」
『はい』

 凄く笑顔で念を押された。この有無を言わさぬ笑顔に歯向かえる人なんている筈がない。
 そのままさぁ行くぞと手を引かれ、後を追ってきたこれまた超笑顔のさつきと三人でグラウンドまで歩いた。ジロジロと周りからの視線が痛い。二人が何等気にせずいれるのは、きっとその視線の中心にいるのが私だからだ。そりゃあ、ね。ジャージの胸に刺繍された文字が、あの有名な赤司征十郎の苗字。何でもない人ならここまで注目を浴びたりしない。手で押さえようにも、端から見たら胸を押さえてる人になってしまう。有り難いけど、は、恥ずかしい。
 それに堪えながらやっとグラウンドに着いた。征十郎は早々に、じゃあ名前達も頑張ってくれ、と残して男子チームの方へと歩いていった。どうやらやる気みたいだ。

「でもこれじゃあ皆にからかわれちゃうね」

 皆とは言わずもがなバスケ部レギュラーだろう。楽しそうですねさつきさん。そう表情で訴えると笑って誤魔化された。
 否だけど、いくら何でもあいつらもそこまで子供じゃ……。

「苗字さん、あ、いえ赤司さん」

 ……。

「名前ちーん、赤ちんと結婚でもしたの?」

 …………。

「いつの間に苗字から赤司に変わったのだ」

 ねぇ、何なのこいつら。あの緑間までこの様とはどういう事なの。トイレ前で黒子に、お昼食べ終わった後に紫原に(丁度征十郎とは別れた後だからまだ助かった)、擦れ違った拍子に緑間に。その緑頭に至ってはわざわざ振り向いてまで言ってくださった。
 本当に何なの!? 言われる度に私がどれだけ恥ずかしい思いをしてるか分かってるの!?
 折角貸してもらったのに脱ぐ訳にもいかず、全ての反応を五月蝿い五月蝿いと振り切ってきた。頭を抱えそうになる。
 そしてやっとの事で静かな場所に腰を下ろす事が出来たのは、男女共に準決勝が終わった頃だった。一息吐くと、小さくさつきが訊ねてきた。

「嫌なの? 赤司くんの苗字貰うの」
『え!? 何いきなり……い、嫌じゃない、けど』

 いつか貰えたら嬉しいなとか夢見てるのは見てるけど、それとこの現状とはまた訳が違うと言うか。
 皆が騒ぐグラウンドを眺めるように体育座りをする。あ、征十郎だ。格好良いな。二回戦目くらいであっさりと負けてしまった私達は、依然闘志を燃やす同級生を見るという仕事しか残されていなかった。
 何となく膝の上で組まれた腕に顔を埋めると、征十郎の香りがまだ残っていた。それだけで幸せになれる私には、多分まだ追い付けないな。そう思って目を瞑った。……のだが。

「名前っちと桃っちはっけーん」
「おい黄瀬引っ張んなよ」

 嗚呼、黄瀬と青峰とか、一番面倒なのが来た。
 多分表情にありありと表れているだろう。こいつらにだけはどうしても会いたくなかった。
 仕方無く顔を上げ、さつきの後ろに素早く回った。でも隠れるという事は肯定を表しているのと同じな訳で、黄色はにんまりと笑う。その顔凹ませてやりたい。

「本当に赤司のやつなんだな」
「ね? だから言ったでしょ?」
『どうでもいいからどっか行って』

 さつきがぽんぽんと頭を撫でて私を宥めようとしている間も、「お熱いッスね」「愛されてんだな」「もはや夫婦じゃないスか」等二人からの(主に黄瀬)冷やかしは止まない。
 こんな時、人間の順応性って改めて凄いと思う。相手が相手なのもあるだろうけど、段々恥ずかしさが消えてきた。いっそ堂々と歩いてやろうか。
 そう思った時だった。さつきが苦笑いをし、五月蝿かった二人が黙ったのは。

「楽しそうだねお前達」

 この声、征十郎?
 音も無く、いつの間にか背後に立たれていた。全然気付かずに、内心叫び声を上げて驚いた。毎度毎度心臓に悪い。
 何とか話を逸らしたい私は、取り敢えず当たり障りの無さ気な言葉を口に出した。

『そ、そうだ、決勝進出おめでとう! 相手はどこ?』
「名前はどこだと思う?」

 どこって……。
 会話を進める私達とは真逆に、一人だけ、青峰はどんどん蒼褪めていった。まさか、と。
 ああ、こいつか。証拠にさつきも黄瀬も憐れみの視線を向けている。可哀想に。それとごめん、当たり障りしか無かったね。

「さぁ、行こうか大輝」

 ズルズルと半ば引き摺られるように連れ去られる青峰。可哀想に。それとごめん、私は征十郎の応援をするね。
 遠ざかる背中に、それなりに大きな声で声援を送る。

『征十郎、頑張れ!!』
「ありがとう名前。だが、僕が勝つに決まっている」

 白いジャージを翻して、魔王は悠然とした足取りで去っていった。それがまた怖いんだけどね。


ありな様、リクエストありがとうございました!
260206

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