こいつは目を離すと何をやらかすか分からない、俗に言うトラブルメーカーだ。怖いもの知らずと言うべきか、人の食べているものを容赦無く盗っていくし、先日なんかは高い木に登って下りられなくなっていた。
こいつがいることで騒がしさが三割増と言っても過言ではない。こいつ――苗字名前は俺の一つ下の学年で、一応俺の、その、彼女である。時々、否しょっちゅう、何故自分がこんな無鉄砲な奴と付き合っているのか疑問にさえ思ってしまう。というのも、少なくとも、苗字は俺の得意なタイプではないからだ。
『せーんぱい! 緑間先輩!』
「……何だ」
噂をすれば影、というやつだろうか。
また厄介事でも連れてきたんじゃなかろうかと、少しだけ気構えてしまう。しかし屈託無く笑う名前に、僅かだがその緊張が解ける。
話だけでも聞いてやるかと正面に向き直ると、最大限の笑顔で俺に手を差し出してきた。
『大好きな先輩にプレゼントです』
プレゼント? 何故このタイミングで?
不思議に思ったが、どうにも俺はこいつのこの表情には弱いらしい(黄瀬や青峰に散々冷やかされた)。加えて、行動の殆どが彼女にとっての善意によるものであると知っている。経験から来る嫌な予感をひしひしと感じながらも、無下にすることは出来なかった。
返事の代わりに手のひらを出すと、ボタッと何かが落ちた。
「※▽#×◆%!!?」
『今日の先輩のラッキーアイテムです! ちゃんとおは朝見てきたんですよ』
……善意に、よるものである。
手のひらに乗る蛙(本物)に、先程までの自分の考えを疑った。
「何なのだよこれは!」
『安心してください! 捕りたてホヤホヤですよ!』
「誰もそんなことは訊いてないのだよ!」
いつも部活でうっている3ポイント宛らに蛙を投げ飛ばす。あ!! 何てことを!! とか聞こえたがそれはこちらの台詞だと声を大にして言いたい。
大体何だ捕りたてホヤホヤとは。響きが非常に気持ち悪い。
近くにあった水道で丹念に手を洗う。まだあのなんとも言えない、よく分からないぬるりとした感じが残っている。ぶすくれた顔で後ろにいる名前は、同じ感覚があっただろうに言葉通り何もしない。
それどころかその手を伸ばし、あろうことか俺の制服を掴んだ。
『緑間先輩』
「うわ、っ汚いのだよ! 手を離せ! そして洗え!」
『酷い!!』
何が酷い、だ。ふざけるな。
腕を引っ張って洗わせると、名前の口から痛みを訴える声が発せられた。全力でやっているのだから当然だ。
嘘泣きをしながらハンカチで手を拭く名前に、つい溜め息が出る。遠くから、あー、またやってるぞ。カップルってより、母親と娘みたいな感じッスねぇ。と笑う声がした。誰が母親だと言い返したいが、このトラブルメーカーを前に生憎そんな余裕は無い。
ほら見たことか。もう既に何かを企んだような笑顔だ。しかし、今日は一段と泣いたり笑ったり忙しいやつだ。
『そんなことより、これからどっか遊びに行きませんか?』
「午後からはどうする気だ」
『サボります!』
今すぐにでも走り出しそうな名前の首根っこを掴んで引き留める。
当然のようにああだこうだと暴れていたが、暫く経つとそれも大人しくなった。
諦めたか……?
それに伴い、俺も僅かに力を緩める。すると、これまでの威勢は何処に行ったのか、名前は、消え入りそうな声で、悲しそうな顔で俯いた。
『……いいじゃないですか。もう、明日から暫くは会えなくなるんですから』
“明日から”という単語が頭の中で旋回する。
明日は卒業式である。忘れる筈がない、所謂一大行事だ。
それ過ぎれば、俺は学校に顔を出すことはなくなる。完全にだ。
それどころか、束の間の休みを、進学先の制服の採寸であったり、課題であったり、それらをこなす為に時間を費やさなくてはならない。
当たり前に、名前に割ける時間は現在より少なくなる。高校に通いだしたら、部活もあるから余計にそんな機会は減ってしまう。
こいつはそれを気にしていたのだ。いつもの面影が無くなるくらいに、しおらしく項垂れて。
気が向いたと言うべきか、魔が差したと言うべきか。気付いたら名前の手をとっていた。
『……先輩?』
「行くんだろう? それとも、大人しく授業に出るか?」
眼鏡のブリッジを押し上げながら問うと、途端に溢れんばかりの笑顔に変わった。無意識的に、俺の口角も上がる。
嗚呼、この笑顔とも暫くはお別れか。そう考えたら、柄にもなく寂しさを覚えた。
刧
等と思っていた頃が、既に懐かしい。
凄い勢いで近付いてくるそれに、思わずラッキーアイテムの蛙のぬいぐるみを取り落としてしまった。
『緑間せんぱーい! お待たせしましたー!』
「真ちゃんアレ何?」
「……目眩がするのだよ」
振り回される日々の再来に辟易しながらも、相変わらずの笑顔に何処か安心感を抱いたのは、俺だけの秘密である。
270308
← →