ぼんやりとした視界にカレンダーが映る。今日の日付だけ、ボールペンで黒く塗り潰されていた。そうか、日曜か。
 先日の荒み具合は何処へやら、妙に落ち着いるのが自分でも気味が悪かった。
 今頃、綺麗な服に身を包んだ女性と一緒にいるんだろう。そしてその内、後は若い者同士で、とかいったお決まり展開になって……。そこまで考えて、胸がツキンと痛んだ。
 あーやめやめ。馬鹿じゃないの。
 じめつく気分を変えようとカーテンに手をかけたが、すんでで止めた。そう言えば、この部屋からは征十郎の家が見えるんだっけ。四季折々に変化する立派な前庭が見渡せるここは、宛ら観光スポットのようだった。
 思い出してしまえば気になって、おちおちゆっくり出来ない。仕方無い、余計なものを見ない為にも一階に降りるか。

『どうせ今日は誰もいないし、一人でのんびり過ごせるし』

 静かな空間に、私だけがぽつんといる。それが憂鬱さに拍車をかけていた。自然と漏れた溜め息が、何よりの証拠だった。
 お見合いと言ってもまだ結婚出来る年齢じゃないし、成功したら清きお付き合いが始まるってことなんだよね。良いとこのそれは即ち婚約だから、やっぱり最後には、だよなぁ。
 ……何で私、普通の家なんだろう。世の中はお見合い主義ではなくなったが、やっぱりお金持ちはお金持ち、か。
 ここに来て二度目の溜め息を吐いた時、ピンポーンと玄関チャイムが響いた。
 誰だよこんなナーバスな状態の時に。思い腰を上げ、これでもかと睨み付けながら玄関の扉を開けた。
 その苛立ちは、すぐに驚きへと変化した。
 あれ、今お見合い中なんじゃないの?

『せ、征十郎?』
「すまない、事情は後で話すから、一先ず入れてくれないか」

 ムッとする気持ちはあったが、何処か焦燥感を滲ませながら話す征十郎に、力になりたいと乙女心が攻撃してきて、私は上げざるを得なかった。(と言っても二人で玄関に突っ立っているのだが)
 頻りに外の様子を気にしているようだったが、本当に何しに来たんだろうか。

『お見合いは? 今日だったでしょ?』
「あぁ、今日だ」

 今日だ、って。
 困惑状態の私にあっけらかんと言い、徐に携帯を取り出して征十郎は電話をかけ始める。するとすぐに、甲高い声がスピーカーから聞こえた。
 誰と連絡をしているのか。何故いきなりここに来たのか。まさかドタキャンしたなんて、征十郎に限ってそんなことあるまい。
 訊きたいことは沢山あったが、それどころじゃないような気がして何も訊けない。

「態々来てもらったのに、本当に申し訳無いと思っている。しかし見る限り、貴女自身も乗り気ではないんじゃないか?」
「“……“」
「動揺していらっしゃるのが、何よりの事実だ」
「“……!!“」
「……女々しい言い方だが、俺には心に決めた人がいる。だから、え? 今から?」

 盗み聞きしていた訳じゃないが、隣にいるから否が応でも聞こえてしまう。もしかしなくとも甲高い声の主は相手の方だろう。
 しかし内容がおかしい(今ここに征十郎が居る時点でおかしいけど)。「申し訳無い」とか「乗り気じゃない」とか。そして何より「心に決めた人がいる」、とはどういうことか。
 何だ。破断しようがしまいが、不毛な恋は不毛な恋のままだったようだ。征十郎にここまで言わせるなんて、悔しいなぁ。
 眉間に皺が寄る。やだもう。征十郎の顔を見ていられなくなり、リビングに戻ろうと足を踏み出した。しかし勢いよく掴まれた手により、それは敵わなかった。

『ちょ、何』
「何も言わず、俺についてきてくれ」

 言うや否やその掴まれた手が思い切り引っ張られ、いつの間にか開けられた扉から外に出た。引っ掛かるようにサンダルが履けたのが奇跡だったと思う。
 何も言わずと言っても、そもそも何も言えないし、考える余裕も無いし。焦る焦る。
 こうやって手を引かれるのも何時振りだろうか。悔しかった筈なのにたったこれだけで喜ぶなんて、馬鹿みたいに暴れだす私の心臓は何処までも単純だ。訳は分からないけれど、それだけは事実。じわりと頬が熱くなり、思わず俯いてしまう。
 次第に、その視界に映るものが、アスファルトから砂利に変わった。

「征十郎さん!」

 前方から甲高い女性の声が聞こえた。
 顔を上げただけで、自分が今、あの庭にいるのだと即座に理解した。昔と変わらず、綺麗に整えられている。見えていたのは、枯山水の砂利だったらしい。
 只一つ違うのは、そこに見知らぬ女性がいること。多分あれが先程電話していた相手なのだろう。とても美人で、気品に溢れている。一目で敵いっこないと分かった。
 こんな人を振るなんて、と思ったが、そう言えば心に決めた相手がいるんだっけと思い出して、舞い上がっていた心が鎮静した。
 そんな彼女は、不機嫌そうにつかつかと此方に近付いてきた。

「そちらの方が?」
「あぁ」

 ……は? 私?
 私が何なんですか、なんて訊ける程の余裕は無かった。
 手を掴まれたまま棒立ちの私を美人の両目がとらえ、それらはまるで品定めでもしているかのように上下に動いた。一体どう反応するのが正解なのだろうか。
 存分に私を見て何かしら満足したのか、両手を腰に当てて彼女は息を吐いた。そんな動作さえも様になっている。
 綺麗な唇が弧を描いた。

「貴方の御気持ち、分かりましたわ。私も、御父様の方が婚約等まだ早いと仰っていたので、白紙にして頂いて構いません」

 そう言った直後、ビシッと効果音が付きそうな程の勢いで、彼女は征十郎を指差す。

「但し、いいですこと? 私との縁談を断ったのだから、その方を必ず幸せにしないと許しませんからね」
「勿論、約束しよう」

 征十郎がしっかりと返すと、彼女は「ならば良いのです」と笑った。そして思いを馳せるように、「心に決めた人、かぁ」と呟いて颯爽と消えていった。



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