2038年11月5日。アメリカ合衆国ミシガン州に位置するデトロイトは、真冬でなくても夜は酷く冷え込む。まだ雪こそ降ってはいないが、生憎と窓の外は雨模様であり、空調の整った屋内にいてもどこか腕をさすりたくなるほどだ。
それはこのデトロイト市警察署も同じだった。気分転換にと外を眺めていた私は、しとどに濡れた景色に身震いした。こんな時に見るんじゃなかった。失敗したと後悔しつつパソコンへと視線を戻す。
『……このあたりで切り上げるか』
何だか急に身体の芯から凍えたように思えて、区切りがついたようなついていないような仕事を無理やり終わらせる。
全くやってられない。それもこれも全部私に仕事を任せてふらついているあの上司のせいだ。
浮かんだ白髪頭に段々と怒りがわいてくる。こんなにも頑張っているんだからそろそろ連日で休暇とってやろうか。否、そろそろじゃない。明日早速休んでやる。ファウラー警部ならなんだかんだ分かってくれる。画面に表示されたウインドウを力任せに片っ端から閉じつつ考える。ついでにシャットダウンのボタンも押した。
色々な物で溢れかえった上司の机に、唯一の仕事道具のように存在するキーボードの横に置かれた紙コップを手に取り、椅子のバックレストに深くもたれ掛かりながら中身を飲み干す。温かかった筈の珈琲は遠の昔に冷え切ってしまったようだ。
それもその筈だ。時計の針は22時30分を回っている。
ったく、何で私がこんな時間まで。
画面が消えたこと確認すると、荷物を手に取り、ぐしゃりと握り潰したコップをゴミ箱に捨てて執務室を出る。ゲートをすり抜け受付を過ぎようとした時、怒りと疲れの原因である上司の名前が耳に入った。
「アンダーソン警部補にお会いしたいのですが」
「警部補は現在署にはおりませんが」
あの人に客なんて珍しい。しかし何故夜中に会いに来る? 普通こんな時間にいるなんて思わない。まあ、現に私はこうしているわけだけれどね。
足を止めてボーッとその様子を見ていると、振り返った男、もとい警部補の客らしき人と目が合った。
──あれ? この人見たことがある。
おでこを出すようにピシッと固められた焦茶の髪の毛(ポンパドゥールって言うんだったかしら)。いかにも好青年と言えそうな顔立ち。かっちりと着こなされたスーツのような服。胸には青く光る三角形、更に腕には同じ色の腕章。誰だっけ。
くるくると記憶を辿り、出てきたのは今年の夏の夜の記憶だった。私は署で中継された映像を見ていた。確か家事用アンドロイドの変異体が、仕えていた家族の主人を殺し、娘を人質にとった事件。それを見事に解決し、負傷した警官も助けた敏腕”アンドロイド”だ。ただ変異体はヘリに乗ったSWATの銃撃によって壊れてしまったが。
でも何で彼がこんなところに、しかも上司を訪ねて来たのだろうか。
「すみません」
『……は』
「アンダーソン警部補はどこにいらっしゃるかご存じですか」
何だこいつ。何故私に訊く。私が知っているかどうかなんて分からないだろう。知ってるけれど。急に話しかけられて少し動揺してしまう。
『失、礼ですが、警部補に何の御用ですか。こんな時間になって押しかけてくるなんて、ただの客ってわけではないですよね』
加えてそれが人間ではないと来た。アンドロイドを嫌っている警部補にこんな知り合いがいるとはとても思えない。私も正直あまり関わりたくない。
疑いの眼差しで彼を睨めつける。別に自慢出来ることでもないが、私は自他ともに認める目つきの悪さだ。小柄な日本人女性ということもあり嘗められがちだが、この目でガン飛ばしておけば大抵は怯んでどこかへ行ってしまう。
しかし彼は怯むどころか意に介すことも無く、淡々とした口調で話を続けた。
「私はコナー。アンダーソン警部補がアンドロイド事件捜査の担当となったため、補佐として私がサイバーライフから派遣されました」
────は?
『ほ、補佐? 聞いてませんけど』
「変ですね。ファウラー警部には話が行っている筈ですが」
あんのやろーー!! そういう話は事前にしておけーー!!
漫画よろしく拳を作り方を震わせる。
『警部補なら、今頃は行きつけのバーにでもいるかと。日々飲んだくれてますから』
「バー?」
アンドロイドはピカピカとこめかみのLEDを点滅させながら首を傾げる。きっと周辺のバーの情報でも集めているのだろう。まあそんなところも様になることで。
この人にはなるべく関わりたくはないけれど、このまま勝手に行かせたところで、事件とあっては警部補に呼び出されるに違いない。
『一緒に行きましょう。私も警部補に用があるので』
用なんか全くない。やっと帰れると思ったのに。立ち止まったのが失敗だった。
零れるため息を隠せないまま、私は足を外へ向けた。