3
日が昇り、やがて沈み、そしてまた日が昇る。そうして四度目となる朝を迎えて、わたしはそうして横たわるベッドの上で静かに目を瞑る。
この見知らぬ森の中で目覚めてからというもの、わたしに与えられた生活はてなりの用意した食事を食べ、薬を飲み、てなりが帰るまでベッドの上で微睡み、そして穏やかな眠りの中に揺蕩う。わたしが未だ現状への理解が進んでいなかったこともあるし、わたしが勝手に彼の許可なく彼のものであろう部屋を物色するのも、外へ出ていくのも躊躇われたために目覚めて眠るだけを繰り返していたのだが、不思議とその行為に窮屈さを感じることはなかった。突如として変化した生活に慣れていないこともあるのだろう、目を閉じれば自然と眠りの中に落ちる。まるでそれが当然のことのように、あるいは現実から逃避するかのように。彼が帰宅し、わたしの肩を揺り起こすそれまでは、わたしは自身に巻き起こった異常事態を直視し、考える必要はなかった。思考を放棄するのは未だ現実を受けいれられないわたしにはとても優しく、そして楽な行為だ。
完全な眠りにつく前の、薄い意識だけが表層を揺蕩う感覚。わたしは睡眠という逃避を選び、ゆらゆら揺れる思考の中で、また同じように訪れる夜を待とうとしていた。
――けれども、迎えた四日目。この四日目だけは、いつもと何かが違った。
わたしは目を瞑っている。眠ろうとしている。けれど微かにある意識が、自分のものではない気配を嗅ぎとった。何かがある。いつもとは違う感覚がする。何かがある。何かがいる。何かが――誰かが、部屋にいる。
瞬間、わたしの不明瞭かつ曖昧な眠たげの意識が覚醒した。誰かがいる、てなりではないだれかが、そこに、傍にいる。ばちりと勢いよく目蓋を開けると、「うわあ」と驚く高い声がひとつした。
「×……××××××……×、××××××……」
「……え、っと……?」
ゆっくりとベッドから起き上がり、音の方向を見やれば、すぐ傍に尻もちをつく少女がいた。若草のような新緑の癖毛の髪にアメジストの瞳のその少女は、驚いたようにその大きな目をぱちくりと瞬いてわたしを見上げている。
わたしはというと、ベッドの上で彼女を見つめながら、しかし内心は困惑と驚愕でいっぱいになっていた。自分しかいないと思っていた部屋に気付けば彼女がいたものだから、どうすればいいのか分からなかったのである。なんて声をかければ良いのか、そもそも彼女は一体何者なのか、てなりの恋人なのだろうか、そんな考えを巡らせて、しかし答えなど出るわけもないので口を噤むことしかできない。きょろきょろ、と瞳を右往左往させても、ここにはてなりはいないし、そもそも彼が帰ってくるのはいつも日が落ちるころだった。
彼女は誰なのだろう。一体どうしてここにいるのだろう。どうすればいいのか分からなくなって、ぎゅうと布団を握り締めながら、じっと彼女を見つめていると、わたしの熱い眼差しに困ったように彼女が少し眉を下げた。
「×……××、×××、××××××××××××××××××……」
「え、えっと……えっと……」
「×、×××××××××××……? ×、×××……」
「……? ……??」
「×、××……××……×××××××××……!?」
彼女が何やらわたしに話しかけてくれているのは分かる。そして彼女はわたしに悪意を持っていないことも、また。彼女の語り掛ける言葉に首を傾げて困り果てていると、彼女の顔色が段々自信なさげに落ち込んできて、そして最後にはとうとうしょんぼりと俯いてしまった。
恐らく、彼女はわたしに何か≠伝えようとしたのだ。けれども、わたしが言葉を理解できないせいで思うように伝わらず、落ち込んでいる。そのあまりの落ち込みようを見ると、段々とわたしも申し訳なくなってきた。
「あの……ごめん……ごめんなさい……言葉、分からなくて……」
「××! ×××××××××××××××××××××!」
「あっ、あなたは悪くなくて……ただわたしが……!」
「×××××、××××……!」
二人してあたふた、おろおろとしながら通じない言葉を掛け合う。彼女の言葉は何ひとつ分からないが、不思議と「貴方は悪くない。自分が悪いのだ」と言ったニュアンスで語っているのだということは分かる。恐らくはお互いがお互いの弁解をし合っているのだろうが、一体わたしたちは何をしあっているのだろう。
やがて、わたしも彼女も冷静になって、黙り込んだ。彼女が何を言いたいのか理解できればこんな気まずいことにならなくて済んだだろう。それとも、ここにてなりがいたのなら、わたしと彼女の間を取り持ってくれただろうか。
言葉が通じないというのはストレスだ。交わす口があるのに、何も伝えることができない。このもどかしさといったら、なんとも形容し難い。結局わたしは彼女がここにいる理由も、彼女が何者なのかも分かっていないのだ。
もしも、ここにてなりがいてくれたのなら――。
「×××、××……あっ、××××××××? ×ィナリ=~××」
「!」
そんなことを考えていた時、ふと彼女が発した言葉の中に、聞き覚えのある名前が聞こえてわたしはばっと顔を上げた。
「てなり」だ。それは、わたしがこの地において唯一理解できる言葉である。言葉は通じずとも、その名前が何を指すかは分かる。やはり、彼女はてなりの知り合いなのだ! わたしは少し前のめりになりながらわたしの唯一知る言葉を繰り返す。
「てなり? てなり?」
「××! テ×ナリ=~×! 」
「てなり!」
わたしの「てなり」への食いつきように彼女も顔を明るくしてこくこくと頷いた。これぞまさしく言葉が通じた瞬間であろう。彼女はわたしの様子にはっとすると、ばっと懐から何かを取りだしてわたしに見せた。
包帯だ。それに、軟膏と思わしき小さな小瓶もある。
「ティ×リ=I」
「てなり? てなり!」
「ティ×リ=I テ×ナリ=I」
「てなり!」
彼女はそれらを指差しながら、てなりの名前を告げた。わたしがそれはてなりが頼んだものなのかと言う意味で菜を繰り返すと、彼女はこくこくと頷きわたしを指差して、再びてなりの名を告げる。
わたしは理解した。恐らく、彼女はわたしにある傷に薬を塗り、包帯を変えるようにとてなりに頼まれたのだ。あんなにも言語が通じず困り果てていたというのに、「てなり」の存在だけでこんなにも話が通じるとは。
彼女がわたしのいるベッドまで近付いて、恐る恐るわたしの手を取った。ばちりと交わる視線野中で、彼女は意気揚々といった様子でわたしに頷く。
「ティナリ!」
……多分、これは。これは、「じゃあ今から包帯を変えるぞ」という意味に違いない!