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 一等星のような人だった。彼にとっては何よりも眩く輝く星のような人だった。この教令院に属する人々が夜空に瞬く星々だとするなら、きっと彼女はその中で最も美しく輝き、人々の目を引いては魅了する一番星であるのだ。
 ただひとつをまっすぐに見つめて追いかける純粋な瞳は、いつだって未来への期待に輝いている。たったひとつの理想を手に入れるためにひたむきに走り続ける様が眩しくて眩しくて、しかし同時に羨ましかった。彼女はいつだって全力で、何に曇らされることもない。前だけを見つめるあの瞳は、自身の伸ばした手の先にある理想に手が届かないことなんて考えもしたことがないのだろう。未来に向かって走り続ける人はどうしてあんなにも美しいのか。あの一等星のような人を、彼はずっと後ろから見つめていた。
 理想を追いかける中で、普通であれば必ず挫折を経験するはずで、現実の厳しさに打ちのめされる瞬間があるだろうに、彼女はそんな時もすぐに立ち上がって、また走り始めるのだ。そんな彼女の眼差しの先にはいつも夢があった。決して揺らぐことのない理想。汚れることのない夢。実現すると信じて疑わない心。彼は彼女を見ると目が焼けるような感覚を覚える。同じ理想を追いかけ続ける人間同士であるけれども、彼は彼女のようにはなれないと分かっていたから。壁にぶつかって、立ち止まって、苦悩して、それでも前に進む彼とは違う。彼女はずっと走り続けている。ひたむきに。立ち止まることなく、手を伸ばし続けている。ずっと、夢を、理想を追いかけている。誰よりも純粋に、誰よりもまっすぐに、誰よりも真摯に向き合って、誰よりも美しく輝いている。
 彼はあのように光れなかった。けれども、あの光に並び立って共に走りたかった。
 ――一等星のような人だった。彼にとっては何よりも眩く輝く星のような人だった。この教令院に属する人々が夜空に瞬く星々だとするなら、きっと彼女はその中で最も美しく輝き、人々の目を引いては魅了する一番星であるのだ。彼もまた、瞬く星々たちと同様に、その一番星に惹かれた一人だった。その一番星に焼かれた一人だった。あの光が、あの眼差しが、あのひたむきな心が、見つめて追いかける先にある光景を共に見てみたいと思った。
「彼女が見つかったよ」
 前を見つめ続けていた彼女は、その理想に追いつくためにまた一歩を踏み出した。その前進となる行為がかの璃月への旅行であり、彼女の切願でもあったから、彼は彼女の出立を祝福した。その時のことは今でもよく覚えている。きらきらと輝く瞳が彼を見つめ、ふわりと花が綻ぶような笑顔を浮かべて告げたのだ。カーヴェ、君に璃月のお酒を買ってくるから楽しみに待っててね=\―。
「遺体は……見つからなかった。ただ、森に残された血痕の真ん中に彼女の……この指があったんだ。恐らく、彼女は、もう……」
 ティナリから彼女が見つかったという報を聞いた時酷く安心したのだ。ああ、やはり彼女は生きていたのだと。璃月から出立した、彼女も乗っていたはずの馬車が魔物に襲われて全滅したと聞いた時、がらがらと足元が崩れ落ちていくような感覚を覚えた。平衡感覚を失って、自分が立っていることすらも分からなくなるくらいの絶望。視界が真っ暗になり、今いる現実がすべて夢であるのだと何もかもをも否定しようとした。そんな時、彼女の死体だけが見つからなかったと言われたから、彼は信じていたのだ。神に祈り、そして彼女を守ってくれることを願った。きっと彼女は生きている。彼女のような美しくまっすぐで優しい人がこんなところで死ぬはずがないのだ。まだ彼女は理想を掴んでいない。まだ夢を追っている最中で、道半ばで倒れることなどあるはずがないのだから。故に、ティナリの言葉を信じられなかった。遺体が見つからなかった。指だけしか残っていなかった。彼女は? 彼女はどこへ行ったのだろう。ここに彼女がいなくてはおかしい。見つからないはずがないのだ。彼女は神に祝福されている。愛されている。切望されている。だから生きているのだ。そうでなくてはならない。そうでなくてはならないのに。
「これが残された唯一の彼女≠セ」
 ――ハンカチの中に包まれていたのは、土で黒く汚れた一本の指だった。温度を失って青白くなったそれは酸化した血の黒に染まり、人の指であると告げられなければそれが何であるのかすぐに理解することはできなかっただろう。ひび割れた爪、切り取られた一本の指には、似つかわしくない輝きを持って光るサングイトの指輪が嵌められている。それは彼女が璃月に発つ数日前に会った時に、キャンディスにお守りでもらったものなのだと嵌めていたものだった。
 指輪なんてありふれている、これが彼女のものとは断言できないと言えたならよかったのに、彼の聡明な頭と優れた記憶力は、それが彼女のものであると冷静に判断を下す。ハンカチの中にあるものは彼女だった。唯一帰ってきた、彼女℃ゥ身だった。
 
 ――一等星のような人だった。彼にとっては何よりも眩く輝く星のような人だった。
 
 だけど一等星は死んだ。
 呆気なく。
 誰に看取られることもないまま、誰に救われることもないまま、故郷へ帰ることもできずに、一人寂しく森の中で死んだ。
 
 ――死んだなんて嘘だ。
 彼女が死んだのだと理解した瞬間に、彼は震える声で呟いた。
 ――そんなことがあるわけがない。
 信じたくなかったから。信じられなかったから。
 だって彼女は約束を破らない。まだ叶えていない約束だってたくさんあるのだ。いつか彼女が研究者として大成したときは豪邸を作ってやる約束をしたし、その時は一緒に酒盛りをしようという約束だってした。また二人で砂漠へ探索に行こうという約束もしたし、スメールで一番高い場所で星見をする約束もした。璃月から帰ってきたら璃月の酒とスメールの酒を飲み比べする約束もしたし、二人でモンドに旅行に行く約束もした。まだたくさん、たくさん叶えていない約束がある。
 死ぬはずがない。こんなところで終わるはずがない。彼女は彼の一等星だった。かけがえのない一番星だった。いつだって目の前で輝いて、彼を照らしてくれる、太陽みたいな星だった。
 だから死ぬはずがない。死ぬわけがない。こんなの出鱈目だ。現実のはずがない。きっとひょっこり帰ってくるに決まっている。ただいま! いやあ、迷って帰ってくるのが遅くなっちゃった。死ぬかと思ったよ≠ネんて言いながら帰ってくるはずなのだ。彼女は嘘を言わない。嘘をついたことがない。いつだってまっすぐで、正直で、ひたむきで――明日も、明後日も、彼のことを照らしてくれる。そうに決まっている。そうに決まっている、のに。
 
 ――なら、どうして君はまだ帰ってきてくれないんだ。

 *

「いらっしゃいませー!」
「あ」
「……一名様ご案内でーす!」
 速報:バイト先に友人がやってきた!


 璃月旅行が決まったからといって、わたしの日常は変わらない。具体的に言うと、アルバイト漬けの生活。それはもう朝から夜にかけてみっちりとお金のために働いている訳だが、わたしはこれでも学者として研究に身を費やす立場にあるのに、今は研究をしている時間よりアルバイトをしている時間の方が長い。学者の本分とは。我に返ると虚しくなるが、しかしこれも研究費のない貧乏学者の定めというものである。夢のためには多少寄り道することも大切なのだ。まあ研究自体は睡眠時間を削って夜な夜な行っているわけなので、ちっとも進んでいないというわけでもない。そんな訳で、研究の為にとあくせく働いていた訳だが、その日のわたしはシティにあるプスパカフェにて、日中の忙しい時間帯のヘルプ要員として駆り出されていた。ら、そこに友人がやってきた。――カーヴェだ。
「君……昨日は酒場で働いてなかったか?」
「こんにちはーご注文はいかがなさいますかー?」
「それに一昨日は雑貨屋で働いていたし……学者の本分はどうしたんだ、学者の本分は」
「ご注文は珈琲とバクラヴァですねーかしこまりましたー」
「おい、勝手に注文を決めるな! ……パティサラプリンもつけてくれ」
「承知致しましたー食後にお持ちしますね〜」
 呆れたような顔をしてカーヴェがくどくど言い始めたのでわたしは勝手に注文をしてあげた。するとカーヴェがむっとしたように眉を寄せたが、追加で更にデザートを注文してくる。今は昼も過ぎた八つ時だ。こんな時間にやって来る時、カーヴェは大抵一仕事を終えて小腹を空かせていることが多い。そして、労働をした後なので軽く腹に溜まりつつも糖分を摂取できるものを求めているはずだ。そうなると、教令院の学生人気ナンバーワンのバクラヴァが適切なのだ。程よく重く、そして十分な糖分も摂取できる。学生時代、試験前にカーヴェと二人で料金を折半して頼んだものだ。そんなわけで、学生時代から折半して様々なカフェや店を梯子したわたしからすれば、カーヴェが何を求めているのかを悟るなど御茶の子さいさいというものである。まあ、パティサラプリンも追加で頼んでくるとは思わなかったが。
 料理ができあがってカーヴェのいる席にまで配膳をしに行くと、カーヴェは何やら難しい顔をして地図を見ていた。仕事だろうか。小休憩の時くらいは仕事から離れてもいいと思うのだが、まあわたしも研究に専念している時は食事を疎かにしてしまうタイプなので彼のことを強くは言えない。
 お待たせ致しました〜バクラヴァです〜と机にことりと料理を置いてやれば、カーヴェはそこで初めてわたしがやってきたことに気が付いたのか、いそいそと地図を折りたたんで机に置くと礼を言ってきた。律儀なひとだ。
「カーヴェ。まったく君はどうしてわたしのバイト先に的確にやって来るのかな?」
「君こそ、どうして僕の行く先々で働いてるんだ。……というか君、仕事はいいのか?」
「今はランチタイムも終わったからね。もうすぐ上がりだし大丈夫大丈夫」
 何故かは分からないが、わたしがアルバイトをしている時にカーヴェが客として来店してくることは非常に多い。示し合わせているわけでもないのに鉢合わせるので、カーヴェからすれば訪れる店々にわたしがいるため、わたしが異様なほどの掛け持ちをしているように見えるのだろう。実際のところは短時間の単発バイトを一日に複数個詰めたりしていることもあるというだけで、わたしがカーヴェの行く先にいるというよりかは、カーヴェがわたしのところに来ているだけであるのだが。そう言うと、カーヴェは半目でわたしを見つめた。流石に働きすぎだろう、ということだろう。確かに、これではどちらが本業なのかも分からない。わたしはやれやれと呆れたようなポーズをとりながら教えてやった。わたしがいかに貧乏であるのかを、この同じく金欠仲間の彼に。
「カーヴェ。君とわたしは金欠仲間なんだから分かるでしょ。お金がないんだよ、お金が……」
「……また教令院で研究費の申請が通らなかったのか?」
「通らなかった……今年もまたバイトで研究費を稼いでやりくりしつつになりそうだよ。まあ、夢のためには多少の苦労も必要だからいいけどね。カーヴェは? ここにいるってことは、今は懐にも余裕があるんだ?」
「えっ? ……まあ、うん、そんなところかな……うん」
 研究費のことは考えても耳が痛い話であったので、適当に濁してカーヴェに質問し返したところ、カーヴェが分かりやすく言葉を濁して目をすすすと横に逸らした。
 ここでわたしはぴーんと閃く。さてはカーヴェ、今そこまで懐に余裕があるわけではない。そもそも貯蓄のできない彼のことだ、借金の返済に給料の一部を当てると、その後は大抵酒や娯楽に散財する。自分もお金がないくせに給料が入ると金欠仲間のわたしを酒場に連れ込むとにっこりと嬉しそうな顔で「今日は僕の奢りだ!」なんて大口を叩くくらいには貯蓄を知らないのだ。(もちろん、わたしは彼に集るほど困窮はしていないので、きちんと自分の分は払っている)だがしかし、彼は今ここに来た。糖分摂取でもなく、小腹を満たすためでもない。何かの目的があって、わざわざこのカフェに来たのだ。
「……カーヴェ、のに何か言いたいことがある?」
「! な、何がだ?」
「いやだってもじもじしてるから何かあるのかなって」
「う、……それは……」
 ようなものでがそう問いかけると、カーヴェはうろうろと目を泳がせながら言い淀んだ。もごもごと口の中で何か言葉を言いあぐねて、それでもわたしがじっと彼を見つめていると、誤魔化すように珈琲を口にする。カーヴェはちらりとわたしに目線をやって、わたしが「君の言葉を聞くまでは逃がしません」という態度で佇んでいたことから、やがてはあ〜っと大きな溜め息を吐いた。しばらくそうして黙り込むので、わたしはこてりと首を傾げる。よほど言いづらいことを頼むつもりだったのだろうか。それとも、このカフェでの注文を払う金がないとか。流石にそうであれば立て替えてやるつもりだが、金がないのに店に入るのはどうかと思う。
 なんて勝手に想像を巡らせていると、彼がばっと顔を上げた。きりりと目尻を釣り上げて、何か決意をしたような顔で。
「……君、砂漠に鉱石を探しに行きたくないか?」
「はい?」
「実は近々僕も砂漠に行く予定があるんだ。ほら、もし君にそういう予定があるなら、一緒にどうかなと思って。君は戦えないし、だからといっていちいち傭兵を雇うのも大変だろ? それに比べて僕は多少の荒事にも慣れているから護衛費はいらないし、もしもの時は君くらい守れるし――」
「要は旅費を半分こしたいってこと?」
「ウッ……」
 一体何を言われるかと思えば、ただ単に砂漠へ行く旅費を浮かせたいがための誘いだった。早口で告げられるそれはどこか必死に感じる。そういえば、以前は度々一緒に彼と砂漠へ行っていた。わたしはサングイト目当てに、彼は砂漠に建築する場所や建築素材の視察だとか、そういう理由で。最近はわたしがアルバイトを詰めに詰めていたこともあってなかなか砂漠方面に足を運ぶことはなくなっていたけれども、なるほど確かに一人で行くより二人で行けば旅費が浮く。まったくわたしの働いているところにわざわざ来ているのはどっちだと言うのか。少なくとも今回においては意図的に来たのだろうなあ、それにまた砂漠の方面で仕事があるのだろうなあ、と思いながらカーヴェを見やると、ぎくりとお手本のように肩を跳ねさせた。
「わ、悪い話じゃないだろう? 君にだって利点はあるはずだ」
「利点はあるけど別に今すぐ行かなくてもいいかなあ。砂漠ならいつでも行けるし……」
「この間傭兵を雇う金がなくて全然深部まで採掘に行けなかったって言ってたじゃないか。いい機会だと思わないか?」
「やけに食い下がるじゃん……」
 恐らく、彼には金がないのだ。とはいえ仕事に必要なことではあるから砂漠に行かなければならない、しかし旅費が非常に財布に大打撃を与える、アルハイゼンには頼りたくない、ならば一緒に砂漠へ行ってくれるような人は……と考えた時、わたしが思い浮かんだのだろう。学生時代もそうだが、こうして大人になった今もわたしはよく彼と利害の一致で砂漠に行っていたのだから。ふいに脳裏に蘇るのはより純度の高いサングイトを求めてずんどこずんどこと地下奥へ進もうとするわたしの首の根を掴んで引き摺るカーヴェと、依頼人がわたしたちにご馳走してくれた食事と酒にカーヴェの気がすこぶる良くなってわたしにウザ絡みしてくるので、黙らせるために必死に彼の口に料理を運んでいた記憶だ。碌な記憶ではなかった。カーヴェとの旅は楽しいけれども、お互い夢中になると止まれないタイプであるので制止役になると非常に大変だ。閑話休題。
 さてカーヴェに砂漠へ行くことを誘われたわたしであったが、わたしはううんと唸りながら首を捻った。確かにいつもなら即答していた。彼の誘い文句にある通りわたしは戦えないし、採掘のための探索で最深部まで着いてきてくれるような傭兵を雇う金を浮かせられるというのは大きい。しかし。
「今は……今はさあ、少しでもお金貯めたいんだよね。旅行に行くからさ〜」
「! もしかして君、璃月に行くのか?」
「そう! へへ、念願の璃月旅行だよ。いいでしょ?」
 ふふんと胸を張りながら自慢する。何せ念願の璃月だ! 学生時代は互いに何度も夢を語り合ったものだが、彼には飽きるほどに璃月に行きたいという話を聞かせていたので、旅行と聞いて行く先がどこかはすぐにピンときたらしい。わたしが目的地を告げる前に彼は当ててみせただけでなく、まるで自分のことのように嬉しそうにその秀麗な顔を綻ばせた。
「へえ……! よかったじゃないか、昔から行きたいといっていたものな! いつ行くんだ?」
「二週間後だよ! カーヴェ、君に璃月のお酒を買ってくるから楽しみに待っててね」
「僕のことなんて気にするな。土産代だってタダじゃないんだ、せっかく璃月に行くんだからやりたいことに使え」
「チッチッチッ、だからこそだよ。璃月に行けない金欠のなんとかくんに外国の美味しいお酒の味を知ってもらうのも、旅行の醍醐味ってやつだからね〜」
「き、君……せっかく僕が気遣ってやったのに……」
 揶揄うわたしわたしの言葉にぴくりと眉を上げてカーヴェは口を引き攣らせたが、間もなくその猩猩緋の眼を伏せて小さく息を吐いた。
「それなら、はあ……仕方がないか。君の言う通り、砂漠にはいつでも行けるし……」
「いや、別にいいよ?」
「はっ? いやでもいま旅費を貯めたいって」
「……キャンディスに会いに行こうと思ってたんだ〜。普段砂漠に行く時にお世話になってるし、お土産は何がいいか聞いてこないといけなかったからね〜」
 本当は砂漠に行く予定はなかったが、しばらくカーヴェとも過ごしていなかったし、少しくらいならばいいかと手のひら返しをする。パンケーキを焼く時のように鮮やかな返しだ。まあ、キャンディスにいずれ会いに行こうと思っていたのは事実であったし、長期間遠くに行くことになるのだ、彼女にも挨拶はしておきたい。旅費に関しては……まあ、バイトを増やせばなんとかなるだろう。
「そう、なのか……。……それ、僕に気を使っていってるわけじゃないよな?」
「まさか〜。まあでも、君が言い出しっぺだし? たくさん扱き使わかせてもらおうかな! 旅費は六対四でいいからさ」
「ぐっ……。……いいさ、好きに使ってくれ。僕をこんな風に扱えることなんて普通はないんだからな!」
 いや君は割と自分の顧客にいいように扱われているのでは? と思ったが、わたしは空気の読める人間なので静かにそっと微笑むだけで流してあげた。普通は十回以上ものリテイクを追加費用なしで引き受けたりはしない。特にスメール一の建築デザイナーであるカーヴェに依頼するのだ、彼の名前だけで建造された建物に箔がつく。有名料ということで様々なオプション料金をつけてもいいくらいだが、彼はいささか優しすぎる嫌いがある。いくら建築に関する理想があるとはいえ、十回以上ものリテイクには怒っていいし、仕事だってもっと選んでいいはずだ。まあスメール一の大建築デザイナーであることをさほど誇りに思ってはいないのだろう。そう呼ばれている自覚はあるが、それが自身の価値であるとは思っていないに違いない。カーヴェは昔からそういうやつだった。彼の価値になるのは名声ではなく、自身が手がけた建築物だけだ。残されたものだけが彼の功績であり、誇りになる。まったく珍しいやつだと思う。わたしだったら、自身の名声をたくさん利用して研究費を稼ごうとするというのに。背に腹はかえられない。金がなければ最低限の尊厳すら手に入れられないのだ。理想と現実の両立は難しい。それは、現在の借金を背負った彼自身と、アルバイトばかりをしてまともに研究ができないわたしの人生が証明している。
「いつ砂漠の方に行くの?」
「君さえよければ今日にだって。僕の方は、いつでも君に合わせられるよ」
「ふうん……まあ、行くなら早い方がいいよね。明日から行こう!」

 次回! 砂漠探索が始まる!
 ……その前に、明日からのアルバイトの予定をキャンセルしなければならない。店長たちと顔馴染みでよかった。たくさんの宝石を持ち帰って、それを迷惑料に許してもらうことにしよう。

NoaNovel