わたしちゃん、捕まる

『大変なことになりました』
青ざめた顔をより一層青くしたわたし≠ェ汗をだらだらとかきながらそう告げた。はて、一体何をそこまで焦っているのだろうか? わたしはフォンテーヌにあるカフェ・ルツェルンのホイップクリームコーヒーをずずず、と飲みながら、目線だけでわたし≠ノ続きを促した。
『悪いことは言いません。早くこのフォンテーヌを出ていきましょう』
「なんで?」
『なんでも何もありませんッいッいたんです……いたんですよお……あの男がッ』
わたし≠ェそう言った瞬間に、わたしの後ろやら隣やら前やらで人に見えないことをいいことに好き放題していたわたし≠スちがざわりとざわついた。
『あっ……あの男が……!? そ、それは、本気ですか……!?』
『わたしが嘘を言うとでも!? ああもうこの世の終わりです……! わたしがあんな終わりをするなんて見てられません!』
『ヒッゆる、ゆるしてくださいッ、ゆるしてッあ、あしだけは、あしだけは……!』
『ああっわたし! しっかりしてくださいっ、わたしーーッ!』
『あもうだめですね。発狂者は隅にポイしてくださ〜い』
「こわ……なに……?」
 各国を巡る中で、わたしは様々な人々と出会ってきたが、その中で必ず一人は発狂して隅にポイされるので、かつてわたし≠ェ辿ったという軌跡を余すところなく知りたくなる気持ちに駆られる。もう慣れた有り様とはいえ、自分と同じ顔が碌な目に遭っていないと知るのは少し、いや大分思うところがあるというものである。わたしはホイップクリームコーヒーを一口口にした。しかし、最早味も分からない。戦きながらわたし≠ノ続きを促すと、わたし≠ヘ誰かに見えるわけでもないのに何故かきょろきょろと辺りを警戒して、やがてささめくような声で静かに告げた。
『……公爵です』
「なに?」
『公爵って言ったんですよ!!!! 死にたいんですか!!!!』
 いや知らないが。ああもう終わりだ〜とさめざめ泣いているわたし≠わたし≠スちが慰めている。どんな図なのだろう。わたしがまたやってるよ……と白けた瞳で見つめていると、ぐすぐす泣いていたわたし≠ェきっ、とわたしを睨みつけるように顔を上げた。
『ウッウッ……公爵によって罪のないわたしたちがどれほど死んだか……』
「いやそんなことを言われても……」
『いいんですか一生水の上に行けなくても! あーんなじめじめして陰鬱な所に一生ガッションですよ! いいのかそんな人生で!』
『そうだそうだ! いいのかー!』
「よくはないけど……」
わたし≠ェ言うには、かつてのわたし≠スちはこのフォンテーヌで法を犯して水の下の監獄に行ってしまったらしい。そしてそこで公爵と出会い、数多のわたし≠スちに色々あったらしい。そのいい例は先程隅へ連れていかれたわたし≠セろう。『いや水の下に行かなくても捕まることはあるんですが……』数人のわたし≠スちが国外逃亡を勧めてきたが、まだわたしは旅人を見つけていない。それはできないと首を振って、早く逃げるようにと勧めるわたし≠スちにわたしは優しく言い聞かせた。
「まあつまり法さえ犯さなければ監獄に行くことだって――」
「こんにちは、あなたは観光客ですね」
「はい?」
 すると突然下からわたし≠ナはない声がして、わたしは下に目を向けた。すると、そこには水色の毛並みをした彼女たち――メリュジーヌがわたしを静かに見上げていた。
「あなたには昨日さくじつ歌劇場にてフォンテーヌ法海鮮スープを巡水船、歌劇場、トイレなどの公共の場で食べてはならない≠ノ違反しました」
「え」
「よって逮捕させていただきます。失礼します」
 がちょん。わたしの手首に手錠が嵌められる。悲鳴を上げるわたし≠スちを背景に、わたしはだらだらと汗を流していた。――わたしはこれから公爵≠ェいるという水の下の監獄に行くのだ。
 いやだって海鮮スープが美味しそうだったから! でもそんなことで捕まるなんて、そんな、そんなことある!?

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