不運で運命的なプロローグ
まあ言ってみれば、不運な事故だったのだ。
なまえは自身が平凡な人間であるということをよく理解している。物語の主人公のように特別な能力などひとつもなければ、数奇な運命に人生を左右されるわけでもない。今後一生を変えるような出会いも、世界が一変するような偶然も、なにひとつない。なまえはただいつものように目を覚まして、寝ぼけ眼で朝食を食べ、そして外へ出かける。大多数の凡庸な人間の送る生活こそがなまえの人生だった。
別にそれを悲観することもないし、疑うこともしない。誰もが渡った人生のレールを同じように歩いていくことを、なまえは悪いことだと思っていなかったからだ。むしろ、それは当然のことなのだと考えていた。なにしろ、なまえは特別なんて何もない平凡な人間だったので。
――だからこそ、これは不運な事故であったのだと思わざるを得ない。
きっとこんな
なまえは、見知らぬ森の中にいた。
正しく言えば、目覚めたら知らない森の中だった。
これにはなまえも驚いた。というよりは、現実を正しく現実と認識することができなかった。まだ夢の中にいるのかな、とぱちぱちと瞳を瞬きながら、戦ぐ風に遊ばらながらもだらんと地面に身体を投げ出して流れる雲を見つめていた。当然、なまえには夢遊病の気もなければ、眠りにつく前にダイナミックなキャンプに勤しんでいたわけでもない。まあ、ベッドですやすやのなまえを誘拐して森の中に放置して逃げ去るような奇体な人間が存在するとしたならばまた別の話になるだろうが、少なくとも現状ただなまえ一人だけが森に転がっている。部屋着のままで。
当然、これは普通のことではなかった。とんだ異常事態、現実には到底有り得ないことである。普通の人間であればここで狼狽して、「ここはどこ? わたしはどうしてここに?」と疑問を抱くことだろう。少なくとも物語の主人公ならばそうする。
しかし、なまえは物語の主人公ではなかったので。たったワンシーンにかろうじて映り込んでいるような端役のなまえは、突如として舞い降りた不幸な事故≠フ中で、ぼけっと空を眺めながら「やけけにリアルな夢だなあ」と呑気なことを考えていた。
やがて、なまえはむくりと起き上がった。ただ何もせずぼんやりと空を眺めていることにも飽きてきたのだ。この時、なまえは地面に手をついて身体を起こしたわけだが、その時手のひら越しにダイレクトに伝わる土の感触になまえは疑問を持つこともなかった。未だにこれを夢だと思っていたので。四方見渡す限りの木々が広がる中で、なまえはぐっと伸びをしながらどこかへ歩いてみることにした。夢の中であるならば、凡庸なこの状況を打破する何かが現れるものだと考えて。
ここは夢の中ではなく、紛うことなき現実。頬を切れば痛みは感じるし、物に触れば感覚もあるし、腹だって減る。しかし変なところで楽天的ななまえは、未だにこの異常事態が現実であることに気が付かない。
――さて、これは不運な一般人であるなまえが、突然異世界へと迷い込んでしまった話である。
そして、同時にこの話は、いつかなまえが元の世界に帰るまでを綴った小説である。
不可思議な世界の中で、いつか元の世界に帰る日を夢見て足掻く人間の物語を、今ここに記していこう。