電波電波to異世界人

「今日皆さんにお話するのは、ポケモンを自由にしましょうということです」
  森を抜けた先、辿り着いた小さな町にて。なまえは意味の分からない宗教演説の現場に立ち会ってしまい、ぽかんと口を開けて呆けた顔を晒した。

 突如として見知らぬ異世界に迷い込み、緑溢れる森の中で目覚めた不幸ななまえであったが、幸運なことにそこは街の傍に隣接する小さな森であったらしい。宛もなく草木を掻き分け、木々の隙間から見える人工的な建造物を目指して進んでいくと、そこにはひとつの町があった。白い石畳に、赤煉瓦の民家が並ぶどこか古風な町並み。町の憩いの場であろうベンチの置かれた芝生は、定期的に整えられているのか、草丈が綺麗に揃っている。都会の喧騒からは遠ざかった町なのだろう、大規模なショッピングモールやビル群といった大型施設はないようで、唯一目立つ施設と言えば赤い屋根の近代的な施設のみである。
 なまえはきょろきょろと辺りを見渡しながら、なんてリアルな夢なのだろうと感嘆の声を漏らした。何せ、その町はなまえが住んでいた国では見られない町並みをしていた。思い描くは旅行雑誌で見られる外国の町並み。映画などで見るような住宅街は、凡そ眼前に広がる光景をしていた。なまえ自身は外国に行ったことはなかったが、しかし夢にしては細部までよく作られている。まるで本当の外国の町のように。夢と呼ばれる現象は、本来脳内に溜まった過去の記憶や直近の記憶が結びつき、睡眠時に処理され纏められた記憶たちはひとつのストーリーとなって映像化するものだと言われている。そのため本来は自身の知る情報を逸脱したものが明確な形として現れることはそうないのだ。そもそも、大抵の夢は事象がごちゃまぜ・・・・・になることが多い。夢の中では怪獣はいるし、宇宙人だって出てくるし、魔法も剣も突然現れる。ここまで整えられた夢を見ることは珍しいのだが、未だ「夢」から覚めていないなまえは、自分の想像力の大きさに自画自賛していた。
 さて、大した苦労もなく町に辿り着いたなまえだったが、そこであるものを目にすることになる。憩いの場であろう芝生の公園に、人集りができていたのだ。ざわざわと口々に言葉を漏らす住民たちに、なまえは好奇心がむくりと頭を擡げるのを感じた。つまり、野次馬根性である。いそいそと人集りに近寄ったなまえは、人の群れの中を潜って前の方へと躍り出た。そうして――冒頭の台詞へと繋がるわけである。

「我々人間はポケモンと一緒に暮らしてきました。お互いを求め合い、必要とするパートナー……そう思っておられる人ばかりでしょう。ですが、本当にそうなのでしょうか?」
 なまえの前には、黄緑色の長い髪をした背の高い男が演説をしている。まるでSFの世界から持ち込んできたよう赤のモノクルを右眼に付けて、エジプトのピラミッドに描かれている壁画の如く印象的な眼球のローブを羽織るその男は、この穏やかな町の中では明らかに異質な存在だった。彼の後ろには、皆一様に同じ格好をした人間がずらりと一列に並んでいる。修道服を模したような白い服に、水色のインナー。胸元には英字の「P」を稲妻で打ち付けたような紋章が縫い付けられており、一目でそれが団服なのだと分かった。彼らは男の後ろでにこにこと口元に笑みを浮かべながら、じっと後ろに控えている。
 問い掛けられるその言葉にざわめく人々の中で、なまえは抱いていた好奇心が冷めていくのを感じていた。むしろ、反対に嫌疑感が湧き上がったほどである。何故なまえがこんなにも見知らぬ団体を冷めた眼で眺めているのかと問われれば、その見知らぬ団体がどう好意的に見ても怪しい新興宗教でしかないからだった。
 そして、案の定そうだった。つらつらと並べ立てられる言葉を要約すれば、人間はポケモンをパートナーだなんだと言っているが、それは人間のエゴでしかないのではないか。ポケモンを自由にすべきだ。人間からポケモンを解放しろ≠ニいうことである。つまりこの怪しい新興宗教団体は、動物愛護団体過激派ということなのだった。
 どうして宗教の教祖と呼ばれる人はこんなにも浮いた怪しい格好をしているのだろう。なまえは白けた瞳で男を見つめた。ようは犬猫を人間の都合で交配させて販売することに意を唱えている人間なのだろうが、それにしたって「ポケモン」などと新たな名称を名付けるなんておかしな話である。動物に人権でも与えようとしているつもりなのだろうか? いや、この場合は動物権と呼ぶのだろうが、あまりに独り善がりで身勝手な主張であったので、なまえはすっかり興醒めしてしまったのである。動物たち自身が解放しろと自ら主張したならまだしも、動物たちと言葉も正しく交わせない人間がそれを汲み取って動物たちの代わりに代弁したつもりになっているのも、またエゴでしかないのではないか。
 そう思うと段々なまえには彼らが詐欺師にしかか見えなくなった。信じるのも馬鹿馬鹿しい話である。語るだけ語って満足して去っていたいんちき集団を見つめながら、なまえは変なことを聞いてしまった、と眉を下げた。どうして夢の中でこんな妙ちきりんなことを聞かなければならないのか。なまえの夢であるというならば、もう少しまともで楽しいものを見せて欲しいものである。
 なまえはなんだかどっと疲れてしまって、ふらふらとベンチに向かうと、ぽすりと座り込んだ。そうして、ぼけっと空を眺める。
 ――わたしはなんておかしな夢を見ているのだろう。これは近年稀に見るおかしな夢ランキングの上位に入るぞ。
 その思考が既におかしいのだが、なまえは少しズレていたので気が付かなかった。ちなみにポケモンとは犬猫のような動物の新名称ではなく、なまえが迷い込んだ異世界に住まう不思議な生き物のことを称しており、なんなら教祖の言葉を清聴する人々の中には傍に連れている者もいたのだが、未だに夢を見ていると勘違いしていたのでなまえは現実にまったく気が付かなかった。おめでたい奴である。
 やがて人も掃け、公園にはなまえだけが残っていた。空が青い。流れる白い雲が綿あめのようだった。
 夢は覚めない。覚めることはない。何故なら、それは現実であるからだ。どんなになまえが呑気に空を眺めていても、おかしな夢を見たと思っていても、目を開けたら自室だった、なんてことはない。帰る場所もなければ身よりもない、時間が経てば夜が訪れて、雨風の当たらない屋根のある寝床すらなまえには存在しないというその恐ろしい現実が傍にあるというのち、なまえは未だにこれが夢だと信じきっている。馬鹿もここまでくれば愚かだと言えるだろうが、残念ながらそれを指摘してくれる人間はどこにもいなかった。
 なまえは呑気である。物事を深く考えず、楽観的に考える傾向がある。誰かの意見に流されやすく、そして長いものに巻かれるタイプだった。
 その性格が今の行動にも現れていた。もちろん現状を夢だと認識しているのもあるが、なにか行動に移すわけでもなく、ただ何かが起きることを待つことに決めたのだ。じっと空を眺めて、何をするでもなく、現実に目を覚ますことを待っている。
 空が青い。傍から見れば、ただ日向ぼっこをしているだけのなまえに、わざわざ声をかける人間はいない。穏やかな風が肌を撫でるのを感じながら、なまえは早く夢が覚めないかなあとそんなことばかり考えていた。
「お前、ここで何してんの?」
 その時、声がした。ふっと視界に影がかかり、なまえが上を見上げると、そこには赤い帽子を深く被った茶髪の少年がなまえを見下ろすように立っていた。水色のパーカーに肩掛けのバッグを背負い、少しだぼついたカーゴパンツの、そのポケットに両手を突っ込んでいる。
「……空、見てました?」
 なまえはなんて返すべきか少し悩んで、こてりと首を傾げながらそんな言葉を返した。
 これが、地球産異世界人と現地産異世界人の邂逅であり、そしてこの出会いがなまえの人生を変えることになるとは、この時なまえは思いもしなかった。

 ――さて、ここでなまえが出会った少年の話をしよう。
 少年の名前はトウヤ。カノコタウン出身で、つい数時間前に幼馴染であるチェレンとベルとともにイッシュ地方を巡る旅に出る一歩を踏み出したばかりの新人トレーナーだった。
 アララギ博士からほのおタイプのポカブを譲り受け、未知なる世界に期待を膨らませながら意気揚々と旅路に出たはいいが、トウヤの弾んだ心はカラクサタウンに足を踏み入れたところで消沈した。意味のわからない演説を聞いてしまったからである。
 ポケモンは未知の可能性を秘めた生き物だ。だから人間がモンスターボールで捕まえて支配しているのはおかしい。人間とポケモンは対等になるべきだ。ポケモンを解放し、自由にするべきだ――。まるで至言であるかのように堂々たる態度で語られる言葉に、トウヤは眉を顰めた。もしもポケモンが人間と共にいることを嫌っているのなら、ポカブは今トウヤの隣にはいないだろう。足元のポカブにちらりと目を向けると、ポカブは不思議そうな顔をして、すぐに嬉しそうに破顔して鳴いた。その表情からもよく分かるまっすぐな好意から、ポカブはトウヤと共にいることを厭うようには見えない。ポケモンの気持ちを代弁したつもりでいるあの怪しげな演説には隣に佇む幼馴染のチェレンも訝しげに眉を寄せていたので、トウヤは自分の感じた感想が間違っていないのだと思った。
 出発早々おかしな話を聞いてしまって、少し気分は下がったが、しかし彼にはまだ冒険が待ち受けている。さて気を取り直して進もうと前を向いたその時、彼は再び気分を降下させるような出会いをすることになる。
 トウヤとチェレンの前に立ちはだかったのは、黄緑色の長い髪をしたNという名の青年だった。二人に早口で語りかけるその青年は、どうやらモンスターボールにポケモンが閉じ込められていることを憂いているようで、不思議なことにポケモンの声が聞こえるらしい。唐突に現れた人間に対して、はあ、だとか、へえ、だとか、気の抜けた返事を返していると、突然Nはトウヤにバトルを仕掛けてきた。
おかしなことを言う人間に出会ったかと思えば、またもやおかしなことを言い出して唐突にポケモンバトルを仕掛けてくる人間に出会ったので、トウヤはうんざりしてしまった。もちろん、トウヤはこんな変な人間には負けやしなかったが、嬉しい楽しい冒険の始まりの日にこんなにも変な人間に出会ってしまったことは、なんだか旅の出発の喜びを汚されてしまったかのように感じてしまうのだった。
 まだ故郷のカノコタウンを出て一日も経っていないのに、トウヤの心はすっかり疲弊していた。チェレンはすぐにカラクサタウンを旅立ち、次の町であるサンヨウシティへと向かったようだが、どうにもトウヤにはそんな元気もなかったので、少し町で休んでから次の町に進もうと考えた。
 そんな時、今はもう人気も掃けているが、先程まで行われていた演説によって人が集まっていた公園のベンチに、ふと一人の人間がぼんやりと座り込んでいるのが見えた。印象的なその黒髪は、先程トウヤも目にしたから覚えている――確か、あの演説を先頭で聞いていたのだ。初めこそ、この町に住んでいる人間なのだろうかと考えたが、その顔付きや服装からどうにも違うように見えた――第一、故郷の町であるからといって明らかな部屋着で外に出る人間などそういない。
 もしかしたら、先程の演説にショックを受けてしまったのかもしれない。トウヤは真に受けることはなかったが、優しい人間であれば、自身がポケモンを縛り付けていると知ったら傷付く人もいるだろう。そう考えると、トウヤは決してそんなことはないと否定してやりたくなった。チェレンがトウヤに対してNの言葉を気にしなくていいと言ってくれたように、トウヤもまた優しい慰めの言葉をかけてやりたくなったのだ。トウヤには人並みの正義感や優しさがあったので、もしも悲しんでいるならそれを取り払ってやりたいと、完全なる善意の気持ちで声を掛けたのだった。
 つまりは、トウヤがなまえに声を掛けたのはそんな優しさから来たものだったのだが、トウヤは次の瞬間、なまえに声を掛けてしまったことを後悔することになる。
「いやあ、あのお……この夢、いつ覚めるんですかねえ」
「は?」
「もう十分満喫したのでそろそろ終わってくれていいんですけど……空眺めてても、全然目覚めてくれなくてぇ……」
 怪しい演説を聞いても、Nとかいう電波青年に出会っても、その忌避感をほとんど顔に出すことはなかったのだが、なまえのこの発言にはトウヤはとうとう顔をぐしゃりと顰めてしまった。またおかしなことを言う奴に出会ってしまった! トウヤは自分の善意を呪った。出発してそんなに時間も経っていないのに、三人もおかしな人間に出会ってしまうなんて、あまりにも運が悪すぎる。すっかり引いた顔をしているトウヤに気付かず、なまえは降って湧いた自分の話を聞いてくれる存在にべらべらと一方的に語りかけた。
 ――わたしって想像力豊かなんだなって今日知りました。夢の中ですけど外国に来るのは初めてです。でももう動物愛護団体が出てくるのはいいかな。もっと楽しい夢を見たい、空を飛んで見たりだとか。
 率直に感想を述べるのであれば、トウヤはなまえの勢いに引いてしまった。おかしな奴に話しかけてしまったと後悔もした。どう見たって起きているのに、夢を見ているのだと思い込んで語る様は異常だった。精神に疾患でも抱えているのではないか、と錯覚するほどに。流石に三人目になるおかしな人間≠ノ付き合う気にはなれなかったので、トウヤは適当に相槌を打ってその場を後にすることにした。
「あ、そ。じゃあ俺、もう行くから」
「あ! 待ってください、わたしの話し相手になってくださいよ。一人でぼうっとしてるのも飽きたところなんです」
「そんなの俺の知ったことじゃない。離してくれる? 俺ポカブを回復させなきゃいけないんだ!」
「ポカブ? ポカブってなんですか? あなたのペット?」
「ペットだって? 違う! 俺の最初の相棒だよ!」
 出会ってまだそう時間は経っていないが、自分と旅に出ることを選んでくれたポカブがペット扱いされたことにトウヤは憤慨した。決して愛玩するために傍にいるわけではない。度重なるおかしな出来事に気分が降下していたのもあったが、相棒を侮辱されたように思ったのだ。
 トウヤが怒気を強めて放った言葉に、なまえはぱちくりと瞳を瞬いた。するとあっさりと「気を悪くしてしまったんですね。ごめんなさい」と謝るものだから、トウヤは拍子抜けをしてしまった。悪気があって言ったわけではないことはなまえの態度からも見て取れ、怒りがひゅるると空気の抜けた風船のように萎んでいくのを感じた。「や……別に。怒鳴って悪かったな」なんだか怒っていた自分が恥ずかしくなって、トウヤはうろうろと目を泳がせながらぽつりと呟いた。
「あ、もしかして、その足元の子……その子がポカブ……ですか?」
「え……ああ、うん、そうだよ。ポカブを見るのは初めて?」
「初めて何も……ええと、新種の豚か何か……? それともその模様は、ペイント……?」
 なまえはポカブを見て驚いた顔をした後、まじまじとポカブを見つめた。何せ、なまえの世界にはポカブのように色鮮やかな豚は存在しないのだから。大きなくりくりとした瞳に、黒と赤の体毛のそのポケモンの姿になまえは好奇心がうずうずと膨らんでいくのが分かった。だってファンタジーだ。それこそ小説や映画の中にしか存在しないような、空想の生き物が目の前にいる。なまえは先程までの気持ちも忘れて、なんていい夢を見ているのだろう! と舞い上がった。夢から覚める前に一度触ってみたい、と思った。
 そんななまえの内心は、傍から見てもよく理解できた。トウヤはなまえがポカブを初めて見たからこそこんなにも珍しげに見つめているのだと思って、ちらりとポカブに目配せをしてからなまえにそっと提案をひとつする。
「……撫でてみる?」
「! いいんですか?」
「いいよ。いいだろ、ポカブ?」
「ぶう!」
「ありがとうございます! それじゃ、その、遠慮なく……わ、ふわふわ! ふふ、触った感触もあるなんてすごくリアルな夢だなあ……」
 トウヤの言葉になまえはにっこりと嬉しそうに笑うと、強く首を縦に降った。ポカブも自分の身体に触れられることは嫌ではないようで、トウヤの足下からとてとてとなまえの前へとやって来ると、行儀よくお座りをする。トウヤはなまえの唇が声もなく「かわいい」と動いたのを見逃さなかった。なまえはポカブの前にしゃがみこむと、優しくその背を撫でやる。ポカブが気持ちよさそうに目蓋を瞑って、なまえの手のひらに押し付けるように頭を寄せた。
 微笑ましい光景だった。しかし、トウヤはなまえが小さく呟いた言葉を聞き逃さなかった。確かにポカブに触れているというのに、未だにこれを夢だと思い込んでいるようなのだ。変なやつだと思ったが、もしかしたら本当に夢から覚めていないのかもしれない。もう昼だけれども、世の中には昼を過ぎても眠っている人がいるというし、寝ぼけたまま外へやってきてしまったとか。
「あのさ、お前さっきから夢だなんだの言ってるけど、ここは現実だよ」
「え?」
「夢だったら触った感触なんて感じないだろ。お前が触ってるそのポカブは空想とかじゃなくて、実在してる」
 トウヤはこれまた善意のつもりでなまえに教えたつもりだった。もちろん悪気なんてあったわけもないし、ポカブはちゃんとここにいるのだからそんなに恐る恐る触らなくてもいいのだと続けるつもりだった。
 だから、トウヤはなまえの顔が強張り、動揺に震えたことに驚いたのだ。
「え、え、現実? 嘘ですよね?」
「なんで俺が嘘つくの」
「でも、だって、わたし、部屋で寝てたんですよ」
「俺がお前の夢の中の空想の人物だって言いたいわけ?」
 先程まで嬉しそうに笑っていた姿はもう影も形もない。不安に瞳を揺らし、その額にじわりと汗が滲んでいた。ぱくぱくと魚のように口を開閉させて、血の気が引いたように顔を青ざめさせている。その変わりようはいっそ可哀想なくらいだった。
「じゃ、じゃあ、ここ、どこなんですか……?」
 トウヤはそんななまえの様子に言葉を躊躇って、けれどまっすぐになまえを見つめて告げた。それがなまえを「優しい夢」から目を覚まさせる言葉とも知らずに。
「イッシュ地方のカラクサシティ。お前そんなことも知らないのにここに来たの?」
 トウヤはその時初めて、呑気な顔をしていた人の顔が泣きそうに歪むのを見た。

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