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ありがちな異世界転移だ。最近ネット小説で流行っている、現代人が異世界にやってくるというある種テンプレートにもなってきた物語の展開。端的に言えば、空想の中だけの話だった異世界転移が現実に起こってしまったというだけの毒にも薬にもならない展開こそが、ありきたりなわたしの異世界転移のきっかけだった。
今でこそ吹っ切れて堕落的なヒモ生活を享受しているが、以前はわたしもてきぱきと働き蟻のように生活する社会の一員だったわけで、まあこの世界にやってきた当初はあたふたとしていた。心細さに涙も出ていたかもしれない。突然放り込まれた大自然の中、電波が存在しないが故に永遠に圏外表示で繋がりもしないスマートフォンで片っ端から知人友人に連絡をしながら、途方もなく歩いて辿り着いた先がスメールシティだった。おろおろとしながら、しかし道行く人(見るからに自分とは違う格好の、いかにも海外の人といった風貌)に話しかける勇気もなく、俯いて唇を噛んでいた時、声を掛けられた――それがカーヴェだった。
そしてそこから山のように高く谷のように深い話を――特にはしなかったが。結局のところ彼のお人好しが存分に発揮された結果が今というだけだ。カーヴェはわたしに同情をして助けたくて必死、わたしもその日の宿と暮らしていく術を手に入れたくて必死、カーヴェに連れられるがまま転がり込んだアルハイゼンの家で、わたしはこの目で、そしてカーヴェはあの口でアルハイゼンにアピールをしたわけだ。住所不定無職の異世界人を家に置いてください、と。それを聞いたあの時のアルハイゼンは静かに、しかしはっきりとブチ切れていたのだが、目がうるさいやつと口がうるさいやつのダブルコンボに辟易をしたらしい。そうしてなんやかんやあり、捲るめく居候生活が始まった。
まあ最初はわたしもちゃんとやっていたのだ。居候らしく大人しく家事をして、部屋を掃除して、帰ってきた二人を出迎えて……そんな生活を二ヶ月ほど続けた辺りで、わたしはある少女と出会った。ズバイルシアターのニィロウである。彼女はわたしが見ても可愛らしい少女で――まあ、流れでわたしが異邦人かつ見知らぬ男性の家で居候をしているという話をしたら、見知らぬ土地で見知らぬ人の家にいるのは危ないのではないかと心配した彼女がわたしを家に住まわせてくれることになった。別にアルハイゼンもカーヴェもわたしに無体を働くような男ではなかったが、どうせ住むなら女性の方がやはり過ごしやすい。その日のうちにアルハイゼンの家に今までありがとうございましたと書き置きをしてニィロウの家に転がり込み、それはそれは充実した一週間を送っていたのだが、夕食の買い出しをするためにバザールへ出た瞬間にアルハイゼンに捕獲されて家に連れ込まれると、何故か家でわたしたちが帰ってくることを知っていたかのように玄関で待ち受けていたカーヴェと二人揃って懇々とわたしを詰めたのである。二人ってそんなに怒るほどわたしのことを気に入っていたんですか? というレベルでゴン詰めだった。それがまあ、わたしにはよく理解できず。
というのも、別にわたしたちは特別親密な関係というわけでもなかったからだ。あくまでわたしは居候であり、二人ともある一定の距離感を保った関係性だった。互いの事情に深く踏み込むことはせず、そして深く干渉することもなかった。極めて健全な居候生活だったわけだ。そのため、わたし一人が消えたところで二人の生活は変わらないと思っていたし、二人もわたしがいなくなったことに何も言わないと思っていた。だが蓋を開けてみればゴン詰め。脅威のゴン詰めである。わたしははへえと適当に話を聞いていたのだがそれがまた二人の怒りを買ったらしく、なんとまた強制居候生活を送ることになったのだ。ちなみに、この時ニィロウに正式なお別れはできていない。
別に不満もなかったし、この時のわたしはもう既に何事においても諦めの境地にいたというか、どれだけ経っても元の世界に帰れないことにすべてのやる気を失っていた。だから、ニィロウの家に移り住んだのもほとんど流されるがままに行っていたので、正直なところどうでもよかったのだ。自分がどこへ行き、どうなろうと何も感じなかった。他人事のように思っているのだ。自分に起こっているすべてを。そんな訳で、まあそんなに怒るならと再び居候生活を始めたのだが、なんとおかしなことに新たに始まった居候生活ではわたしが行う家事等の仕事が一切免除されていた。よく分からない。まあニィロウの家から無理矢理引き離したのだしとわたしも開き直って堕落し始め、朝もぐうぐうと眠りこけるようにしていたらカーヴェに叱られて朝を無理矢理起こされるようになり、そして今の状況に至る。
ちなみにわたしは堕落し始めてから適当に生きるようになったのだが、このスメールでは堕落的であることが何故か刺さる≠謔、で、皆わたしが家に居着くことに異を唱える者はいなかった。わたしが突然ふらふらと訪ねても快く迎え入れ、それどころかずっとここに居ていいと甘やかしてくれる始末である。もしかしたらスメールの人たちは頭を使いすぎてペット的な愛玩動物に飢えているのかもしれない。まあわたしは人間ではあるがなんでも受け入れるので。犬猫扱い上等、相応の衣食住と雨風凌げる屋根のある家と柔らかいベッドがあればわたしを飼ってくれる相手は正直誰でもいいと思っている。最初にわたしを拾ったのはカーヴェとアルハイゼンだけれども、別に彼らはわたしの飼い主というわけでもない。まあ首輪を付けられていることは否定しないが。しかし彼らはこんなヒモのわたしによく尽くして甘やかしてくれるので、もうしばらくは脛を齧りたい気持ちがある。話してみれば特に山も谷も深くはない昔話だった。