あの秋の柔らかい予感・上


屯所の食堂は長居するような場所じゃないから、食事もせずに足を組んで携帯をいじっている奴は嫌でも目につく。

食べ終わった皿の前で片手で携帯を操作しピコピコと音を鳴らす総悟。しれっとした顔をしているが普通に朝起きているのは割と珍しいのでは、とここ最近の記憶を辿る。俺の死体を数えながら胡蝶の夢を見ていたコイツに刀の切っ先を突きつけたり、寝ながら朝礼や朝の稽古に出ているコイツの胸ぐらを掴んだり。やはり、朝と沖田総悟と土方十四郎というのが最悪の組み合わせであることは間違いない。今日はきちんと目覚めているのなら頼むから俺を怒らせるなという思いと眼力を込めて声をかける。

「おい総悟、早くそれ片づけろ。朝礼だぞ」
「へいへい、朝っぱらからうるせェな〜」

相変わらずの生意気さに思わず青筋が立ったが意外と素直に片付け始めたのでなんとか手を出すのは堪える。

テーブルに置かれたままの携帯が、総悟が席を立ってすぐに鳴ったので何となく気にかかった。音からして電話ではなくメールだろうと察する。こんな早朝からラリーをするような友人がいたとは驚きだ。

コイツの友人関係といえば、と数ヶ月前の雨の日を思い起こす。容易に他人に心を開かないコイツが、さも当たり前のように勤務中にパトカーに「顔見知り」の女を乗せたあの日だ。女が名字という名前だと知ったのは、そのさらに数週間後、彼女が茶菓子を届けにここに来た時のことだった。総悟は襖越しに名字の気配を察し、何に腹を立てたかバズーカを撃ってきた。これらの言動は一見普段通りだが、そうじゃない。平常からは逸脱している。総悟にとって名字が本当にただの「顔見知り」なのかと疑問を持つほどに。ということは、メールの相手も恐らく。

そこまで推理したところで目の前の携帯は戻ってきた総悟が掴み取り胸ポケットに消えていった。

「人の携帯ガン見しないでもらえます?」
「してねーよ!」

『死ね』と、名字に習ったのであろう手話をやってきた。

「チッ。お前が死ね」
「ただでさえ最近土方さんが仕事押し付けてくるせいで疲れてんのに、プライベートまで干渉されちゃあ堪ったもんじゃねェや。つーわけで俺今日休むんで」
「べ、別に干渉する気はねェし、こっちだってお前のせいでどんだけ疲れ…って、ハァ!?どーいう訳だよ!」
「つまるところ、癒しが必要」

何に癒されに行くつもりだ!言いかけたが、答えは半ば見え透いているので口にするのはやめた。

認めたくはないがコイツが有休を使えていないのは事実だ。ここ最近大きな討ち入りが短期間に重なったのと、不貞浪士の急増によって必然的に切り込み隊が駆り出され続けていたからだ。仕事押し付けに関してだけは手前がサボった分を手前の休日にやらせているだけだから責められるいわれは無いが。

そして誰にとっての幸か不幸か知らんが、今日は一番隊は寺子屋の交通安全教室くらいしか割り振られていない。自分がやる必要があると判断した仕事以外は徹底的に怠ける総悟がいたところで隊士たちの士気が下がるのみだ。

だから柄にもなく追及は諦めた。だがしたり顔で食堂を出ていく奴にため息は止められなかったし、煙草の量も増えた。



たまさんとお話ししてから一週間ほど経った。沖田さんへの餃子のお礼を悩んで頭を抱えている。そもそも何に誘ったらいいのか分からないし、メールなんて普段ほとんど使わないから書き方もピンとこない。ご飯を奢ればいいのかとたまさんにメールで聞いたら、ご飯だけじゃなくてどこかに出かけたほうが忙しい彼にとってもリフレッシュになるという趣旨のことを言われさらに悩んだのは言うまでもない。

そんなある日、字幕放送のニュースを見ていて江戸でいちばん大きい動物園でキリンの赤ちゃんが産まれたことを偶然知った。ふと、沖田さんは動物を見たらどんなリアクションをするのだろうと気になった。

動物好きかは分からないけど、これ以上悩んでも仕方ない、と、何十分か文面を考えて昨日の夕方ころ『先日のお礼をしたいのですが、動物園に行きませんか。日にちは沖田さんのお休みに合わせます』と色気のない文章を送った。今朝早い時間に返信が来た。

『今日がいい』

紙に筆談してくれる時は丁寧なのに、メールだとくだけた口調になるのかと少し面白かった。

『今日、お休みなんですか?』
『俺が休みだと思えば休み』

すぐに返ってきて、今この瞬間彼も携帯に向き合って私のメールを待っているのかと思うとなんとなく緊張した。王様感溢れる文面に色々気になることはあったが、会って聞けばいいかと思い、時間と場所を伝えて携帯を閉じた。たまたま自分も今日は休みだったが、今日がいいと言われるとは思っていなかった。

急いで準備しなければ。着ている遠州茶色の着物の帯に手をかける。ずっとこういう地味な色の着物を着ているのは、今や誰も守っていない奢侈しゃし禁止令に律儀に従っているわけではない。単純に暗い色のほうが汚れが目立たず働きやすいからだ。けど、今日こそちゃんとした格好をしたい。餃子のとき、これのまま繰り出してしまったから。

ふと、この感覚に新鮮味を覚えた。不思議だ。着物を選ぶなんて、冠婚葬祭のときやお祭りがあれば稀に浴衣を着るくらいだったのに。桐たんすの上段に並んだ着物たちを見つめながら、たまさんの言葉を思い出す。

『何か分かるかもしれません』

なんだかまた、お腹の奥が熱くなった。

出かける直前、ちゃぶ台で新聞を読んでいる店長に手を振る。

『お出かけしてきます』
『あのクソガキと?』
『クソガキって…。沖田さんに見られたら怒られますよ。彼、読み取り上手いし』
『誰も沖田さんなんて言ってねーけど』
『…』
『わはは、怒るなって。気をつけろよ』



動物園の大きな看板の前で、ふう、と丁寧に息を吐いた。上空には空の青が透けるようにかすかに巻雲が広がり、ゆっくりと形を変えている。逸る気持ちも徐々に落ち着いて澄み渡っていくような、気持ちのいい秋晴れだ。

着物は結局、薄くすすきの柄が入った生成り色の小千谷縮にして、抹茶色の帯を締めた。帯留めは昔店長から誕生日に貰った弁柄色のとんぼ玉がついているものを選んで、半衿と帯揚げと色を合わせてある。普段暗い色しか着ないので、なんだかとてもそわそわする。長さが足りなくて苦戦しながら編みおろしにした髪も、崩れていないか気になって左手で触ってしまう。

受付で入場券を二枚買って、ゲート前のベンチに座っていると、見知らぬ男の人たちに話しかけられた。

『おねーさん、かわいーね』
『でーと?彼氏まだ来ないの?』

年のころは私とあまり変わらなそうな、アロハシャツを着た二人組。先ほどまでとはまた違った緊張が喉を渇かせる。いろいろな意味を込めて首を横に何度も振ったら、片方の男性に手首をガシッと掴まれた。

『むしかして喋れない系?』
『へー、つんぼか、珍し!うもしろいね』

お酒と煙草の匂いが鼻をつく。面白くなんか、全くない。こういう時、「やめてください」と強く、大きな声で言えたら。

『でも本当にあわいーね。彼氏来ないなら俺らと遊ぼーよ』

ぐい、と顔を寄せてきた。ギラギラした眼光に思わず顔を背ける。どうしよう。

急に、腕に込められていた力が軽くなった。恐る恐る顔を上げる。男の人は、地面にごろんとひっくり返っていた。横には、それを見下ろす二藍色の着物。

沖田さんだ。彼が男の人を私から引き剥がしたのだと気づくのに、少し時間がかかった。

『ボーッとしてるから絡まれるんでィ。行くぞ』

どれくらいの力を込めたのだろうか。地面に転がされたの男の人は、肩を押さえてのたうち回っていた。目は良い方だと思っていたのに、どのようにしたのか全く捉えられなかった。沖田さんが刀を振るっているところは見たことはないが、刀がなくてもこんな所業が出来るのなら、彼には怖いものなどないのかもしれない。腕を掴まれたくらいで思考が停止してしまった私とは正反対だ。

呆気に取られている私の腕を沖田さんがとった。彼は歩き出しざま振り向いて、感情の読み取れない顔でさっきの二人組に一言二言何か言っていたが、早口で何を言ったのか分からなかった。

ずんずんと進む彼に握られたままの右腕をちょい、と動かしてこちらを向かせる。眉を顰めていた。少し機嫌が悪そうなのは私がトロくて迷惑をかけてしまったせいだろう。

『沖田さん、ありがとうございます』
『…いつもの小汚ねー着物はどーした』
『お洗濯してますけど…こ、小汚いって、ひど…』
『ウンコ色って言った方がよかったかい』
『もっとひどいです…』

ご機嫌ななめかと思ったらいつもの調子で揶揄ってきて、素直に反応してしまった私に楽しそうな顔をしたし、予想外に着物のことを言及されて少し拍子抜けした。

『遠州茶色って言ってください』と言ったところで鼻で笑われそうなので控える。だけどわざわざどうした、と聞いてくるということは今日のこの淡い色の着物はやはり違和感があるということなのだろうか。

『これ、変でしたか?』
『いや、似合ってる』

えっ。

思わぬ言葉に一気に顔が熱くなる。頸まで赤いのではないかと思って、恥ずかしくて意味もなく首元を触ってしまう。

『…』

彼の口からそんな台詞が出てくるとは思わなかった。瞳の奥の真意を探りたくて、意を決して赤色を覗き込むも、ふいと逸らされてしまう。

来るまでは少しお腹が空いていたような気がしてたのに、なんだか胃のあたりが不思議な塊に満たされていっぱいになってしまったような、変な気分。代わりに喉は渇くばかりだった。

2021.8.25
2023.01.29. 加筆修正




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