夏と指先と少年のこと


この団子屋に頻繁に訪れるのに特に理由なんてなかった。挙げるとすれば、ここ最近の見廻りの担当区域内だから、とか、店の目の前の神社で近々ある納涼祭の警備のための打ち合わせ帰りに寄りやすいから、とか。差し詰めそんなところだ。

店に入ると俺に気づいた店主が奥の看板娘を呼んだ。声が届かないからか、厨房に向かって大きく手を振って、多分、沖田さんが見えたよ、とかなんとか手話で伝えている。

店主と入れ替わりで出てきた看板娘は、ずんだを五本持ってきた。『沖田さん、一昨日はありがとうございました』。そう紙に書いて、包装をし始める。一昨日の礼なのか、金は要らないらしい。

いつも通り茶色の地味な小袖に襷をかけ、つやつやした黒髪を後ろでくくっている彼女は、化粧っ気がなくて、外の世界をあまり知らなそうな感じ。

二日前はかぶき町までなんて無謀な距離を一人で歩こうとしていたものだから、巡回にも飽きてきていたし拾ったのだった。帰り際名前を聞かれ、紙に書いてやった『沖田総悟』が女の背のボードに何故か貼られている。見せもんじゃねェんだ、なんて普段なら言うところだが全くそんな気がなさそうな彼女を前にするとなんとなく毒気が抜かれてしまう。どちらかというと俺の“ついでに”名前を聞かれた土方のフルネームも隣に貼ってある事実のほうが腹が立つ。

ちっと遊んでやるか。こちらが喋る分には読唇ができるようなので、なるべくゆっくりと口を動かす。

「あと五本足りないようで。真選組のパトカーを籠にしたんだ、それなりに払ってもらわねーと」

『あれ、タクシーじゃないんだからお金はいらないって昨日言ってたのに』

と女は書いてゆるく笑った。何がきっかけかは知らないが今までよりは警戒が解けているらしい。続けて何か書こうとする色白の手から、ペンを奪い取る。

「店長に話すように話しな」

多少のハンドサインなら訓練されているので手話も先ほど店主がやっていたものくらいなら読み取れるのではと思っていた。えっ、でも…という顔をした女をじっと見返すと、観念したのか手を動かし始めた。

『あなた』『いつも』『来る』『ありがとう』

おお、意外と分かるもんだ。

「別に。あちーから茶飲みに来てるだけでィ」
『すごい!』

何が返ってきそうか先回りして考えておいたものの中から適当にピックアップすれば大体当たりそうだ。表情もいいヒントになる。

目を輝かせてヒラヒラと拍手のようなものをしてきたのはガキが手真似を褒められてるようでアレだが、一気に表情が明るくなった彼女に悪い気はしなかった。

『お茶』『飲む?』『待って』
「今日はいい。それよりアンタ、名前は」
『え』
「人に聞いておきながらまだ名乗ってねぇだろぃ」

そうでした…そんな顔をした女が、ゆっくりと指を動かした。どう読むのかは分からないが、とりあえず見たまま右手で真似した。ふふ、と声は出さずに笑みを溢した女が、サラサラとペンを走らせる。渡された紙には「名字名前」と書かれていた。

紙で説明されたが、口話における五十音である手話の指文字は、人物名をはじめ、映画・本など創作物のタイトルなど単語表現の存在しないものを一文字ずつ表すのに使われるらしい。

「数字は?」
『一、二、三、四まで、こう。五以降、親指から増やす』
「こう」
『角度、こっち』
「こう」
『そう!』

ぐにゃぐにゃと増えたり減ったりする指の運びにはある程度規則性があるようで中々面白い。ずんだの商品番号「八」は、手の平を自分側に向けて横に曲げ、薬指だけ折り畳んだ状態らしい。

「十以上は」
『こう。人差し指、曲げる、増やす。繰り返し。百、こう』
「こう」
『そう!』
「腱鞘炎なりそうでぃ」

名字は所々で口元を抑えて微笑むものの、いつだかのように声を出して笑うまでには至らなかった。別にそれを期待していた訳ではないが。

数字の千あたりまでとか、指文字で『しんせんぐみ』『こんどう』『みつば』『ひじかた』、単語の『死ね』とか。その他諸々の使えそうなのを習っていたらいつのまにかかなりの時間が経っていた。

こりゃ帰ったらどやされて、早速「ひじかた死ね」の出番だな、と思った。甘塩っぱいずんだを頬張りながら帰路についた。




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