芒の花穂実る前に咲く


『また壊したんか』
『すみません…』
『いーってことよ。あらかた八兵衛が雑に取り付けたんだろ』

また戸口のライトが壊れたので源外さんのところに直してもらいに来ていた。八兵衛というのは店長の下の名前で、二人は親子ほど歳の差があるがとても仲が良く、従業員の私も小さい頃から良くしてもらっている。源外さんによると、店長と万事屋の坂田さんはどことなく似ているらしい。私も同意だった。二人とも、近くにいる人のことを大切にしている。坂田さんにとっての大切な人は、恐らく新八くんと神楽ちゃん。

『あま』

と源外さんが声をかけた先には、メイド服を纏ったかわいらしい女の子がいた。三つ編みにした深緑色の髪がとても綺麗だ。

『名前ちゃん、こいつは俺が改造したからくり家政婦のあま』
『名前様、初めまして。"たま"と申します』

なめらかに動く長い指先に驚いて反応が遅れてしまった。

『は、初めまして。名前といいます。…たまさん、手話できるんですか?』
『先程名前様と源外様が話していらっしゃるのを見て自分で簡易的にプログラミングしました』
『すごい…』

すごいだろ?と源外さんが返すので頭を縦にぶんぶんと振った。なんて頭がいい子なんだろうか。

『後でもっとしっかり手話できるように直しとくよ。名前ちゃんと俺の会話を通訳できるようにな』

俺ももっと名前ちゃんと話したいんだが、歳だから脳みそが追いつかなくてよ、と言う源外さん。彼には私が小さい頃から店のからくりが壊れてお世話になる度に少しずつ手話を教えていた。しかし読み取りが苦手なようだったし、教えた言葉は次に訪ねるともう忘れているのが常だった。手話は視覚言語だから、得手不得手はあると思う。私は、彼が私と話そうとしてくれているだけで十分嬉しい。

『ライコはやっとくから、二人でどっか出かけてきあ』

そう言われて、たまさんと一緒にからくり堂を出た。同年代の女の子と並んで歩くのは久しいな、と思いかけたけど、そういえばたまさんがいくつなのか分からない。仲良くなったら聞いてみよう。

『名前様はお団子屋さんで働いているんですよね』
『はい。源外さんから聞きましたか?』
『はい。でも、初めて名前様のことを聞いたのは万事屋の皆様からでした』

万事屋の三人が自分のことを「やさしい」「ポテンシャルの塊」「かわいい」などと楽しそうに話していたのを聞いて会ってみたいと思っていたそうだ。身に余りすぎる褒め言葉だが、嬉しかった。自分がいないところで話される自分のことは、大抵は耳が聞こえないこととそれに付随するネガティブな感情だったから。幼い頃店長が教えてくれた『ひなた口』という言葉の意味を初めて実感した。

『たまさんは家政婦さんなんですよね。どこで働いているんですか?』

私が話す度に新たな手話単語や文法をデータに加えていくたまさんと、お互いのこと、仕事のこと、のこと、たくさんおしゃべりした。



河原に並んで座る。川面を穏やかに波立てる秋風に、生え並ぶススキも揺られているから、きっとさわさわと音を立てていることだろう。ビルの並びの向こうに見える太陽の色が濃い。

『名前様は恋人はいらっしゃいますか?』
『いないよ』

敬語はやめてほしいと言われていた。手話に明確な敬語表現は無いが、無意識に指先を揃えたり敬うような単語を使ったり表情をしていたりしたのを彼女にはすぐに気づかれた。やっぱりたまさんはかなり頭が良い。たまさんもタメで、と言ったが自分は敬語の方が心地良いからの一辺倒だった。

いずれにせよ、この短時間で結構仲良くなれた気がして、とても嬉しい。ひとりでに上がる口角を抑えるのに必死なことは秘密だけれど。

『そうですか。とても素敵な方なので、彼氏の一人や二人、間夫の三人や四人いてもおかしくないと思っていたのですが』
『お、多くない?』
『銀時様の話し方がデータに…』

面白い。たまさんのデータに加えられる情報の主は、周りの人のおかしな言動で構成されていると知れたのは今日の大きな収穫だ。

『気になる人もいらっしゃらないのですか?』
『気になる人…』

そう言われて何故か頭に浮かんだのは茶髪の横顔。強引に私の腕を引く二藍色の着物。私が聴こえないことにはちっとも興味がなさそうで、なのにいつも話しかけてくる不思議な男の人。

『それはいらっしゃる顔ですね』
『えっ!?い、やいやいや…』

そんなはずはない。異性との関わりが極端に少ないから彼を思いついてしまっただけだ。

『頭に浮かんだ人はいるけど、最近話したから記憶に残ってただけだと思う…』
『どんな方ですか?』
『えっと…』

会話の流れに戸惑いながらも、彼のことと、彼との最近の交流について話した。

たまさんが浮かべた有るか無いかの微笑がとても綺麗だった。何を思っているのだろうか。

『ご自分の気持ちが曖昧なら、一歩踏み込んでみてはいかがですか。何か分かるかもしれません』

と言っても私にはなんとなく全体像が分かりましたが。と付け加えるたまさん。どういうことだろう。踏み込むって、何に?

『まずはデートに誘うのです。ほら、その餃子の日とやらのお礼をしなければいけないではないですか』

そう、あの日は気づいたら沖田さんが払ってくれていてとても焦ったのだった。お礼はずっとしなければと思っていたけど、「デート」って…。何かに誘って出かけたとしても、それが相応しい言葉なのかどうか分からない。

何故だろう、お腹の奥が熱くなった。西日に染まり黄金に色を変えた尾花が、視界の端でゆらゆらと揺れている。

2021.8.17.




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