…何故答えられたんでしょうか?
長らく生き、色んな人間を見てきた。
儂の棲む山で自然に触れたいと望む者、迷い込んだ者、自然を破壊しようとする者…色んな喜怒哀楽も見てきた。
長い年月で見てきた人間の中で、面白い人間は何人かいた。
その中ですぐに思い出すのは、ここ数年の内に山に訪れた人の子。
雨の日にも関わらず、人間が使うというカッパや傘といった雨具も用いず、ただただ雨に打たれてずぶ濡れになって歩いてきた人の子。
最初は変わり者が来た、儂の山に何の用が、など思考が巡ったが、儂が枝に腰掛けているこの山一番の大木の下にやってきた人の子の目を見て息を飲んだ。
闇を宿しながらも、希望や光を見失わない強い意志の眼差し。
人の子は何かブツブツと呟きながら、そっと濡れた手で大木の幹に触れた。
耳を澄ませると、一つだけハッキリ聞こえた。
「…覚悟はある」
どういう言葉の繋がりか、何を考えてそう言ったのはかわからぬまま。しかし、真剣を帯びたその一言で久しく見なかった人の子の生きる強さを感じた。
その人の子を美しいと思った。
儂に気付いていないようで、その人の子とは言葉も視線も交わさぬまま、人の子は山を降りて行きその後会う事はなかった。
この世界に来るまでは。
お主は、あの時の…
「初めまして、大天狗さん」
…初めてではない。儂はお主を見た事がある。
「え?…ああ、そうですか。じゃあ…運命だね」
運命だと?
「あたしは春添碧。宜しくね、大天狗」
あの時の人の子、春添碧に微笑まれ、目の前がじんわり赤く染まっていく。嫌な気分ではない。あの時綺麗だと思った人の子が、今儂目の前で笑っているからか。
あの時と雰囲気か、何かが違う。頭の片隅でそう思いながらも、思考は追い付かず春添碧の言葉を鵜呑みにしていく。
碧ちゃん。そう呼べばニッコリと笑った。
ぼやける思考と視界を不思議に思わず、ゆっくり目を閉じた。そして頭の中を支配するのは碧ちゃん。
碧ちゃんの為なら、如何なる事もやってしんぜよう。
そう口が自然と動いた。
【赤司side】
覚…お前とて邪魔をするならば容赦せんぞ。
…言うておろう。目を覚ませと。
二人の大妖怪が睨み合い、ぴりぴりとした空気を感じ自然と冷や汗が滲んでくる。覚は春添に助けられたと言った。本人も(覚を助けたとは思ってもみないだろうが)話していた事から間違いないだろう。
恩を返しに来たんだ。こちらに対する敵意はない為少しは安堵するが、油断は出来ない状況だ。クローンは覚を忌々しげに睥睨している。
大天狗よ、よく聞け。人の子が申していた通りそこにいる春添碧の姿をした者は本物ではない。本物はその偽りにやられて重傷を負っていると子分達から聞いている。主は騙されておる、その偽りに。
覚の言葉を聞いて大天狗は神妙な面持ちでクローンを見遣る。しかし当の本人は大天狗に見向きも言い訳もせず覚を睨み据えたままだ。
主程の者が簡単に騙されるとは情けない。本物の見分けもつかんか。…体たらくな。
何だと…!
大天狗と春添にどういう繋がりがあるかわからない。大天狗は覚の言葉に逆上したように表情を変える。
今一度言う。お前の横にいる奴はまやかし…まんまと偽りに惑わされておる。本物に興味があるのなら…本物の春添碧に会って話がしたいのならば、やるべき事は心得ているであろう。
その言葉に大天狗は目を見張った。心中を見透かされたように。
覚は心を読み取る事の出来る妖怪だ。無論相手が人間でなくともそれは出来るようで、大天狗はだんだんと視線を落とし、顔も俯かせていく。
「…もう戯言は終わりましたか?大天狗。こんな妖怪の端くれを信じなくて大丈夫。あたしを信じてくれればいいんです」
漸く口を開いたクローンは覚を鼻で笑い、大天狗に近付きながらふわりと優しい笑みを浮かべ声を掛けた。
大天狗は視線を静かにクローンへ向けた。
…碧ちゃん。
「何ですか?」
…あの時、あの山の大木の下で何をしていた?
「え、」
初めて儂と碧ちゃんが顔を合わせた時に言っただろう…儂がお主を見るのは初めてではないと。碧ちゃんは雨の日に山に登り、大木の下で何かをしていた。…何をしていたのか、本物ならば答えられるはず。
大天狗はクローンに縋るような視線を向けている。何の話か当然わからないが、春添と大天狗だからこそわかる質問なのだろう。
これで答えられれば大天狗は本物だと信じる事が出来る。そう思っての質問なんだろう。大天狗は静かにクローンを見つめた。
クローンは表情が一瞬固まったが、視線を落としていき目を閉じると少し考え込む。
「…大木に、あたしの誓いを聞いてもらっていたんです。あたしは、覚悟を決めたから」
碧ちゃん…
その回答は大天狗にとって正解のようで、大天狗は目を見開いて嬉しそうに名前を呼んだ。
「…何故答えられたんでしょうか?」
「…春添がクローンと戦った時に頭突きを通してクローンの記憶が見えたと言っていたから、クローンにも春添の記憶が行き渡っている可能性がある」
黒子が近付いてきて静かにそう尋ねてくる。オレは一瞥してからクローンに視線を移し、自分の考えを伝える。これが一番納得出来る。黒子は成る程と呟いた。
そうだ、覚悟はあると話していた。だが儂はその覚悟の内容までは知らぬ。この機に教えてはくれんか?
「ふふ…覚悟の内容ですか?」
大天狗の隠しきれない嬉々とした様子にくすりと小さく笑ったクローンは、一度目を伏せた。その瞬間、持っていた木刀を大天狗に突き出した。
!?
…漸く本性を見せたか。狐めが。
目前に迫った木刀を見て、何が起こっているか思考がついていかずに瞠目して固まっている大天狗を覚が庇い、木刀を腕で弾き大天狗を後退させた。
覚によって防がれるとわかっていたのか、気にした様子なく木刀を構え直す。
「そんなもん知りませんよ。本物のちっぽけな覚悟なんざ。ね」
その言葉を聞いて大天狗は信じられないとばかりに言葉を失い固まった。
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