11 武運を
重厚な扉を開いて、アリーはその部屋へ一歩踏み出した。古い紙やインクの匂いがふわりと香る。アリーはその匂いが決して嫌いではない。
アリーは部屋の中を奥へ奥へとまっすぐ進むと、やがて普通の机よりも広い机が見えてくる。アリーの目的の人物は大抵いつもそこで仕事をしているはずだ。
アリーはディオンと共に、皇宮の書庫で歴史研究家から教えを受けるようになった。外大陸からやって来たというその研究家は、いつも何やら難しそうな本を熱心に読んでいる。彼はアリーにはとても解読できないような文字をいつも追いかけていた。
アリーがやって来たのに気がつくと、学者は立ち上がった。いつも被っている帽子を取ると、空いた片手を胸に置いて頭を下げてアリーを迎える。
「ご機嫌ようございますか、ハルポクラテス先生。本日もよろしくお願いいたします」
アリーが声をかけると、ハルポクラテスは顔を上げた。柔和な表情でアリーに席を薦める。
「お待ちしておりました、アリー様。さあ、こちらへお掛けください」
ハルポクラテスは彼の向かい側に置かれた椅子のひとつを手のひらで示す。そこはアリーの指定席である。
ハルポクラテスはそれまで読んでいた本を一旦閉じると、その大きな机の隅にやった。そして、代わりに分厚い歴史書を取り出す。その本には、彼らの住む大陸・ヴァリスゼアの事なら何でも書いてある。大陸の歴史の始まりからそこにある国々の誕生や滅亡、そこに住む民族やその習慣まで、事細かに知る事ができる一冊であった。
アリーが着席すると、ハルポクラテスは嬉しそうにこう言った。
「アリー様。この度は、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます、先生」
神皇はアナベラを娶り、アナベラは神皇后となった。そしてアナベラの宣言通りに、アリーはディオンの許嫁として正式に発表された。
ハルポクラテスはニコニコして、姪や孫の晴れ姿を喜ぶような顔をしている。彼は取り出したばかりの分厚い本を開いた。
「アリー様が皇国へいらしたのは…おや、まだ一年にもなりませんか。もっと前からお教えしていたような気がいたします」
「はい、そうですね。けれど、なんだか目まぐるしくて…」
心底嬉しそうなハルポクラテスに感謝しながらも、アリーの心境は複雑だった。母親の思惑が分かってしまったし、何も知らないディオンまで巻き込んでいる。母への違和感も不信感も抱いているのに、アリーは誰に相談したら良いのか分からない。それに、アリーは自分が子を産む事など、まだピンと来ていなかった。
アリーが悶々としていると、誰かが歩いて来きた。ガチャガチャと金属がぶつかるような音をたてて、こちらへ真っ直ぐに向かっている。
ハルポクラテスは再度脱帽し、立ち上がった。アリーも同じように立ち上がると、二人とも恭しく頭を下げてその人物を迎えた。
「先生、申し訳ありません。本日は欠席させていただきます。急に魔物の討伐の命を受けたのです。大変残念ですが、次の機会にはぜひ」
ディオンは残念そうにそういうと、ぺこりと頭を下げた。その少し後ろで、テランスが槍を2本携えながら控えている。二人とも今まさに出陣せんという兵装である。
「そうですか…殿下、どうぞお気をつけください。次の授業を楽しみに待っております」
「ええ、ぜひお願いします」
ハルポクラテスも残念そうに眉を下げた。
アリーがここで勉強し始めた頃は、ディオンもいつも一緒だった。しかし、この数ヶ月でディオンがこうして欠席することが目立ち始めている。彼らが騎士見習いとして戦場に駆り出されるようになったからだ。
「では、アリー。行って来るよ」
ディオンはアリーにしっかり目を合わせて来る。緊張で引き締まった表情だった。
「ご武運を」
アリーはそう言うと、去り行くディオンにハルポクラテスと共に頭を下げた。
アリーはザンブレクの唯一神になど興味はない。けれど、ディオンとテランスが無事に戻るなら、武運くらい幾らでも祈ってやると思った。
「テランス、出るぞ」
「は」
テランスはディオンの言葉に歯切れ良く返事する。ずんずん進む主人について、彼も部屋を出て行った。
「先生、申し訳ありません。ディオン様をお見送りして来てもよろしいですか?すぐに戻りますので」
「ええ、もちろん。そうなさってください。殿下もお喜びでしょう」
ハルポクラテスはそう言うと、ならば急いだ方が良いとアリーを快く送り出した。
アリーはディオンが歩いて行った方へ走った。足元にまとわりつくスカートが邪魔だが、慣れるしかない。
アリーがディオンの許嫁となった日に、これまで着ていた膝丈のスカートから足首まで隠れる丈のドレスに着替える事になった。履き物もいつも平らなブーツだったのに、踵がやや高い靴に変わった。裾を踏みはしないか、足を踏み外さないかととヒヤヒヤしながらアリーは走る。
本来走るための服装ではない。宮廷で大人しく刺繍して過ごすようなタイプではないアリーには、それが少し窮屈だった。それに、急に大人にされてしまったようで、アリーは居心地の悪さばかりが気になってしまう。
アリーがようやくディオンとテランスに追いついた頃には、二人は既に皇宮の裏門まで来ていた。外では数人の竜騎士がディオンを待っていて、話し声とチョコボの鳴く声が聞こえてくる。
「ディオン、テランス。待って」
アリーがぜいぜいと息をしながら呼ぶと、二人は同時に振り向いた。
「ま、間に合った…」
どうかしたのかと、ディオンもテランスも不思議そうな顔をしている。アリーは呼吸を整えると、まずテランスをぎゅっと抱きしめた。大人しく抱かれながらも目を白黒させるテランスだったが、彼もアリーの背を軽く抱きしめ返す。「気を付けて」と言って解放すると、アリーはディオンにも同じ事をした。
「気を付けてね。ディオン」
アリーがそう言って手を離すと、ディオンは力強く頷いた。ディオンもテランスも、目にはそれぞれ闘志が宿っている。アリーは二人がとても頼もしく、そして眩しかった。
「ありがとう」
そう言うとディオンは出口の方へ向き直り、テランスが扉を開けた。すると外にいた何人かの竜騎士達は一斉にディオンの方へ向き、腕を交差させ、片足をもう一方の足へ揃える。ザンブレク式の敬礼である。
アリーはこのガチャンと音のしそうな──実際に、鎧を着ているので音が鳴る──敬礼もいつのまにか随分見慣れてしまったと、頭の隅で考えた。
テランスはアリーに一礼し、ディオンは用意されていたチョコボに乗った。ディオンがアリーを振り返ると、竜騎士たちもアリーに敬礼する。アリーも手を振って彼らを見送った。
見送りはアリーの他には誰もいない。一国の皇子が出立するというのに、だ。
アリーはディオン一行の姿が見えなくなるまで見送った。
2023/08/09
作中でミドに抱きつかれて困惑してた殿下ですが(かわいい)きっと近くに女の子いなかったんだろうなあ、と思って。あと、自分がミドに心配される対象だとは思ってなかったんだろうな。(かわいい)
あの時の殿下ったら死ぬ気満々に見えたし、そりゃミドだってきっと放って置けないわな。などと思った。
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