18 お茶でもどうぞ
アリーはディオンの部屋へ向かって歩いていた。本当なら楽しい気持ちで彼の部屋を訪れる筈が、今はイライラが収まらない。
アリーは朝から槍の稽古に出て、その後は久しぶりにディオンと共にハルポクラテスの授業を受けた。その後昼食も摂り、十分に気分転換はできたはずだった。なのに、一人になるとどうしても思い出してしまう。
アリーは帰着後すぐにアナベラにロザリスや宿場での事を報告した。だが、アナベラはいくらも話を聞かぬうちにアリーを黙らせると、一方的に謁見を終わらせようとした。アナベラは政治の方針も現状の問題も、何も変えるつもりはない。それが分かるとアリーは憤慨した。だが、神皇の御前だと咎められると、それ以上何も言う事はできなかった。
アリーはまた裏切られてしまった。がっかりすると同時に、母親の正気を疑うほどだった。だが、アナベラはこれまで通り、何も変わっていない。アリーが勝手に期待しただけである。
また、同席していた神皇の意向もアナベラと同じであった。当然アリーに意見できる権限はなく、そういう雰囲気でもない。そして神皇夫婦は聞く気もない。
何も変えないつもりなら、初めから視察など必要かったのだ。アナベラはアリーを使って統治する姿勢を見せたかっただけである。それをアリーはようやく理解した。
ディオンの部屋の前に辿り着くと、アリーは大きく息を吐き出した。気分を落ち着かせて、なるべく心穏やかになれと自分に言い聞かせる。気のいい彼等とは、アリーはどうせなら楽しく過ごしたい。
扉をノックしてアリーの名を告げると、すぐにテランスが扉を開いた。
「お待ちしておりました、アリー様。ディオン様は手ずからお茶を淹れておいでですよ」
「あら珍しい。ディオンが?嬉しいわ」
などと話しながら部屋へ入っていくと、侍女達がテーブルに菓子や食器を並べていた。彼女らはアリーにそれぞれ礼をすると、またテーブルセットの作業に戻ってゆく。
「ありがとう、終わったら下がってくれて構わない」
そう言いながらディオンがやって来た。熱い茶が入っているであろうポットを手にしている。ディオンがテーブルの前へ行くと、侍女の一人がサッと鍋敷きをテーブルに置いた。そこへディオンがティーポットを置くと、茶会の準備は完了である。
侍女達が部屋を出てゆくと、ディオンはアリーの元へ歩み寄った。
「待っていたぞ、アリー。こちらへどうぞ」
と、アリーに椅子へ座らせた。
「ありがとう。ディオンがお茶を淹れてくれたんでしょう?テランスから聞いたわ」
「口に合えば良いが…何せ初めての事ゆえ、大目に見てくれ」
ディオンは遠慮するテランスも座らせて、自分も席に着いた。
「テランス、今はアリーとそなた、余の三人だけ。楽にせよ」
「ありがたき幸せ」
そう言って頭を下げたテランスは、さっそく茶を取り分けようとする。しかしそれをディオンが制すると、自分でそれぞれのカップに茶を満たしていった。
「ありがとうございます、ディオン様。いただきます」
テランスは申し訳ないような嬉しいような、自分の立場からの遠慮やら、色々と入り混じった顔をしている。そんなテランスに気にするなと言って、ディオンはカップを手に取った。彼はまず香りを確かめている。
「テランス、飲んでみてくれ。そろそろ飲み頃だと思うのだが…」
同じくカップを手に取ったテランスに、ディオンは神妙な顔で頷いた。そんな二人が、アリーは面白くてたまらない。彼等はまるで、毒味でもするようなな真剣さである。ディオンが自ら淹れた茶にまさか毒など盛られているはずもなく、二人はただ味見しているだけだ。なのに、それ以上の気迫である。
テランスは初めの一口をごくりと飲み込んだ。
「テランス、どうだ」
ディオンは至って真剣である。同じように、テランスも真剣に茶を味わっている。心配そうに聞くディオンに、テランスはにこやかに答えた。
「ええ、美味しいです。そんなにご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「そうか、それは良かった」
ホッとした顔のディオンは、自らも茶を口に含んだ。アリーも同じように飲んでみると、豊かな茶の芳香と共に柔らかなバーブの香りが鼻口をくすぐる。
「とっても美味しい。ディオン、ありがとう」
アリーがそう言うと、ディオンは嬉しそうに笑った。ディオンは心の中でテランスとハイタッチしていそうな顔をして、再びカップに口を付ける。一口飲み込んだ後、ディオンは美しく盛り付けられた菓子を指した。
「オリフレムで流行りの菓子だそうだ。私もよくは知らぬが、美味そうでな」
なんでも、皇宮に出入りしている商人が持って来たという。
普段のディオンはそれほど買い物をする方ではない。買うとしても大抵は武器の手入れの道具くらいのものである。それが珍しく、今回は菓子を買った。
皿に並べられた丸いカップケーキには、それぞれクリームがこんもりと盛り付けられている。その1番高くなった所に小ぶりのクッキーが一枚刺してあって、とても可愛らしい品だ。
「アリーが再びロザリアの地を踏んだ事、そして何より無事に戻った事の祝いだ」
ディオンはそう言うとさっそくトングを手に取ると、ケーキを一つアリーの皿に移した。
「ありがとう」
「喜んで」
茶目っ気たっぷりに片手を胸に置いてお辞儀すると、ディオンは自分の皿にもケーキを置いた。その手でトングをテランスにも渡してやる。
「わあ美味しそう、いただきます」
アリーはケーキとクリームをスプーンで掬った。思ったよりも柔らかく、口に入れると甘みと一緒にほろほろと崩れてゆく。
美味しい美味しいと言って食べるアリーの顔が綻ぶのを見て、ディオンはテランスとがっちりと握手した。
しばらく菓子と談笑を楽しんだ後、アリーのロザリア行きの話になった。アリーはアナベラへの報告も併せて話すと、ディオンも眉間に皺を寄せた。アリーももちろん苛立ちを隠せない。
「それは誠か。ならば、私が父上に談判してこよう」
ディオンはそう言って席を立とうとするが、アリーはそれを引き止めて頭を横に振った。
「ううん、猊下もその場にいらっしゃったの。でも、母上と同じ事をお考えのようだった」
「何だと?」
ディオンは驚いて目を見開いた。
「確かにこの所、父上は民を蔑ろにしがちだとは思っていたのだが…」
ディオンは悲しそうにため息をつく。
「昔は民のために働く為政者であられたのに、どうされたのだろうか」
アリーは昔の神皇の事は知らない。しかし、神皇が本当にディオンの言う通り高潔な人間であったなら、こんな風に変わってしまうものだろかと考える。
神皇の政の不味さは年々増して行くが、誰も口出しできないのが現状である。近頃は五憲人の意見すら無視されつつあるらしいと、そこかしこで囁かれる始末だ。
また、ディオンが成長すればするほど、彼が戦へ送り出される頻度が増えた。だが、たとえディオンが怪我をして帰ろうとも、神皇はディオンを心配するようなそぶりすら見せないと専らの噂である。人徳のある人であったなら、こんなにも悪い噂は立たないのではないかとアリーは考える。火のないところに煙は立たないのだ。
ディオンは渋い顔をしたまま、カップの中の茶が揺れるのを見つめている。
「今回の戦は、戦ではないと言っていたけれど、どうだったの?」
アリーが恐る恐る聞くと、ディオンは重い口を開いた。
「他国からの進軍を止めよ、との命であったのだが──」
実際には小さな部族との小競り合いと言っても良いくらいの規模だった。それを一方的に薙ぎ払わざるを得なかったとディオンは虚しい表情で言った。名を知る者の方が少ないような小さな部族だったが、この度のディオンの働きによりザンブレクに統合された。
ザンブレクの国土は黒の一帯に蝕まれつつある。農地であった東部が侵食され始めていて、近いうちに食糧難に見舞われる事は目に見えている。そうなると難民が皇都に押し寄せ、治安の悪化までがまとめて起こる事が予想されていた。
ディオンは他国との戦よりもこちらの方がよほど問題だと思っているが、肝心の神皇も神皇后もそうではない。他国を侵略してでも、国土を増やそうとしている。
「神皇后がこのザンブレクに来てからというもの、父上は変わってしまった。一体、何を考えておられるか──」
そこまで言ってディオンはハッとした。神皇后はアリーの母である事を、彼はすっかり忘れていた。
「すまぬ、アリー。あなたに言って良い事ではなかった」
だが、アリーとてディオンと同じ気持ちである。何も文句はなかった。実際にアナベラは自分の野望のために自国を売っている。
「ううん、いいの。気にしないで。母のしている事は、そういう事だもの」
そう言うとアリーは申し訳なさそうにしているディオンの手に、自分の手を重ねた。
とはいえ、アリーは虚しくてたまらなかった。自分の力でどうにかできるならそうしたいが、それほどの権力など持っているはずがない。それはディオンも同じで、父への敬愛と相反する現実との狭間で揺れていた。
自分では何もできない。アリーは無力感に苛まれていた。
2023/08/23
本編でジョシュアが訪ねて来た時に飲んでたのがコーヒーなのか紅茶なのかは分からないけれど、個人的には優雅にティーをキメて頂きたい。あと、流行りの菓子は捏造です。
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