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7 小さな二人

 皇宮に入った翌日からアリーは熱を出して寝込んだ。知恵熱のようなものなのか、極度の疲労によるものか、それとも精神的にも疲弊したせいか。何れにせよ、アリーは回復に数日を要した。

 神皇との謁見を終えたのち、アリーは彼女の私室として用意されていた部屋へ案内された。そこにはロザリアで捕虜となった時に取り上げられた槍がきちんと槍立てに立てかけられていて、内装もそれなりに整えられていた。捕虜とは名ばかりで、まるでお客である。
 実際に、アリーが伏せっている間にアナベラは捕虜から神皇の婚約者という立場に変わった。それにより、アリーも皇家の一員として扱われる事になった。

 アリーは熱が下がってからも自室に閉じこもっていた。食欲も湧かず、あれだけ熱心だった槍の稽古すらする気にならない。ぼんやりと窓際に置かれた椅子に腰掛けては、毎日何も無いところを眺めていた。
 コンコンと扉をノックする音がする。けれどアリーはそれを聞き流して返事もしない。訪問者もそれを見越して、返事を待たずに勝手に入って来る。だが、アリーはそれにも反応しなかった。

「アリー、入りますよ」

 訪ねて来たのはアナベラだった。ジョシュアがいなくなってからというもの、アナベラは以前よりもアリーを気にするようになっている。

「また残したのですか。きちんと食べないと、将来丈夫な子を産めませんよ」

 アナベラはテーブルにそのまま残っている昼食のトレーを見るやアリーに小言を言い始める。来るたびに言われるそのセリフは、これまででもお決まりであった。けれどここへ来てよりしつこくなったと、アリーは内心でため息をついた。
 公女として生まれた以上、アリーが世継ぎを産むのは義務と言って良い。しかし、もう嫌と言うほど聞かされて理解しているし、今ここで聞きたいかというと否であった。

「母上」

 アリーの呼びかけに、アナベラはアリーの座る椅子の前までやって来た。アリーはアナベラを見上げる。

「神皇猊下に嫁がれるそうですね」
「ええ」

 アリーがオリフレムに来て一月も経っただろうか。父や兄弟の喪も明けないうちから、どうしてそんな話しになるのか。アリーは納得がいかない。

「こんなに早く、お話がまとまるものなのですね」
「猊下のお望みです」
「そうですか…」

 さも当たり前だと言わんばかりの母親は、取り付く島もない。せっかく口を動かしたものの、アリーはすっかり話す気を失ってしまった。

 これまでも、アリーはアナベラに対して疑問だらけではあった。特に兄への仕打ちは子供心にも異常だったし、それについて侍従や兵たちの噂話をよく小耳に挟んでいた。そしてその度に嫌な気分になっていたものだ。
 しかしアリーはこの皇宮へ来たからというもの、母の纏う雰囲気がさらに冷たくなったように感じている。アリーに構う割に、その受け答えは冷ややかだ。
 アナベラと同時に入って来た侍女が、すっかり冷めた食事を下げている。全く手付かずの食事を作ってもらうのも運んでもらうのもアリーは申し訳なく思っているが、どうしても食事が喉を通らない。

 アリーがぼんやりとアナベラの小言を適当に聞き流していると、アナベラはいつの間にかいなくなっていた。アリーはまたひとりで窓の方を向き、ぼんやりと時を過ごし始める。

「ああっ、ディオン様、そちらは──」

 唐突に、アリーの部屋の扉の外で子供の声がした。アリーが声のする方に目を移すと扉が開き、そこには金髪の男の子が立っていた。

「も、申し訳ありません」

 さらにその後ろから黒髪の男の子もやってきた。彼は心底申し訳なさそうな顔をしているのに対して、金髪の方は大した気にしていない様子だ。ただ、ここに人がいるとは思っていなかったようで、やや驚いた顔をしている。

「申し訳ない。まさかここに人がいるとは…」

 金髪の子はそう言って引き返そうとしたものの、はっとした顔でもう一度アリーを見た。アリーがポカンと2人を見つめていると、金髪の男の子がアリーの座る椅子に近づいて来た。

「あなたがアリーでしょう」
「ええ、そうだけど…」

 アリーが答えると、男の子はさっと膝跨いだ。アリーの手を取ると、甲にキスをする。

「ディオンと申します。あなたとは、これから姉弟になるそうですね」

 それを聞いたアリーはハッとして立ち上がった。手をディオンに預けたまま、如何にも公女らしくお辞儀する。

「申し訳ありません、殿下。わたくしからご挨拶すべきでしたのに」

 子供といえど、ディオンはこの国の皇位継承者第一位の皇子だ。今やアリーは亡国の公女で、位が高いのはどう考えてもディオンである。

「お気になさらず。わたしの事はディオンで構いません。それよりも──」

 ディオンは申し訳無さそうな顔した。

「此度の事、何と申したら良いか…ジョシュア殿まで…」

 アリーは以前、ディオンの事をジョシュアから聞いたことがあった。彼らは何かの記念式典の折に会っていて、ジョシュアは帰ってからもしばらくディオンの話しばかりしていたのを思い出す。
 ザンブレクの第一皇子はジョシュアと同じ歳ながら、努力家で真面目な優しい人だと聞いていた。ディオンもまたバハムートという幻獣のドミナントでもある。ジョシュアは彼に心底感銘を受けた様子だったと、アリーは遠くなりつつあった記憶を呼び戻す。

「いいえ、国家間の事ですから…」

 ザンブレクなんか憎たらしい。アリーはそう思っていた。けれど、この皇子様に恨み言を言っても仕方ないし、むしろジョシュアの事も残念がっているのが伝わる。とても悲しそうな彼に、アリーは恨み辛みなど言おうとも思えなかった。
 しかし、憎いものは憎い。アリーは俯いて、それだけ言うのが精一杯でああった。

「弟君にお会いした時に、あなたのお噂を聞いていたのです」
「え?わたし、ですか」

 ジョシュアは、彼に二つ年上の姉がいて、ディオンと同じ槍を扱うのだという話をしていた。ディオンもその時竜騎士となる訓練を始めたばかりで、特に印象に残っていたと言う。

「兄の影響です。兄はフェニックスを宿しませんでしたが、その分努力を積み重ねてフェニックスのナイトの称号を得ました。わたしは、誰からも尊敬された兄のようになりたかったのです」
「ええ、兄上様のことも仰っていましたよ」

 ディオンは微笑んでそう言った。それを見て、アリーはジョシュアの幼さの残る顔を思い出す。
 目の前にいるディオンはジョシュアと同じ歳のはずなのに、アリーにはとても大人びて見えた。さらにディオンはジョシュアよりも体格が良い。それがなおさら彼を年齢よりも大きく見せている。
 ジョシュアとて国を担う重責を一身に浴びていた。だが、ディオンほど無理に大人になる事は求められていなかったとアリーは思った。

「母には随分反対されました。けれど、父も兄もジョシュアも、わたしが槍を学ぶ事を応援してくださいました」
「ぜひ、手合わせをしたいものです」
「ええ、喜んで」

 アリーが二つ返事で答えると、ディオンは嬉しそうに笑った。

「テランス」
「はい。ここに」

 ディオンが黒髪の男の子を振り返る。テランスと呼ばれた子は、アリーやディオンのいる場所よりも少し離れて控えていた。彼がディオンに呼ばれてやって来ると、ディオンはテランスの紹介を始めた。

「彼はテランスといいます。わたしの幼い頃からの友人で、共に槍の稽古をしております」

 テランスは胸に片手を置いて、アリーに一礼した。

「テランスにございます」

 テランスもまた、ディオンやジョシュアと同じ歳であった。
 テランスはディオンが10歳になった日から正式にディオンの従者として召し抱えられた。だが、それ以前に、2人は仲の良い幼馴染である。ディオンの希望に答える形で従者となってまだ日も浅いが、そうとは思えないほどテランスもまた良くできた子供であった。
 とはいえ、幾ら仲が良くてもディオンは皇子で、テランスは中流貴族の子だ。成長と共に、立場の違いが如実に現れる。このままテランスがディオンの側近でいるには、それに見合った実力と、相当な努力とが必要になる。
 また、如何に子供でも不敬は罪になり、たとえ子供同士でも明らかな上下関係が生まれる。王宮とはそういうところであった。

「仲が良いのですね。羨ましいわ」

 アリーはジルの事を思い浮かべた。ロザリスでは、アリーにはジルの他に友人はいなかった。太公家に生まれたが故に、友達を作ろうとする度に身分が邪魔をした。
 しかしジルはアリーと同じ公女の身分であった。だからこそアリー達兄弟は彼女と仲良くなれたのだ。テランスのように従者になってまで側にいようとしてくれる友など、アリーには終ぞできなかった。

「体調が優れないと伺いましたが、もしお元気なのであれば中庭をご案内しましょう。今、ちょうど花が見頃なのです。そうだろう?テランス」
「ええ、飛龍草が満開です。近づくだけでも良い香りがしますよ」

 塞ぎ込んでいたアリーだったが、飛龍草はこれまで一度も見た事が無い。いい匂いがするのも気になり始めている。

「ええ、ぜひ」

 アリーが誘いに乗ると、ディオンはアリーに手を差し出した。

「お手をどうぞ、アリー」

 アリーの手を取ると、ディオンのエスコートが始まった。
 もしもこれがジョシュアだったら、彼はこんな事をするだろうかとアリーは考える。いいや、きっとしない。するとしても、数年先の事だろう。そう思うとアリーはまた胸が苦しくなる。それをぐっと堪えて、アリーはディオンと共に歩き始めた。

2023/07/31
短編の設定にさらに毛が生えた。もうちょっと生えます。



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