夢を旅する
木枯らしが過ぎた春、貴女の無邪気な笑い声が聞こえてきたのです
もう二度と手に入らない日常で
もう一度出会うことができるなら
私は夢を見よう
有名大学に進学を決めたトレイは三月の間は暇が多く、特にやる事もなかった。友人のエースやジャックは引越しで遠くに行ってしまい、エイトやナイン、キングはアルバイトに勤しんでいるようだ。
少し前にキングに勧められてアルバイトを始めることにした。とある都会の人気レストランのホールスタッフの仕事だ。なんとなく始めたバイトだが、これがなかなか楽しい。足腰の弱った老人の相手をしたり、モンスターとも言われる迷惑な客を注意するのが私の仕事だ。十数年間どんな状況でも頭を使うことだけは忘れなかった私には願ったり叶ったりの良い仕事だったのかもしれない。
「トレイはここの仕事には慣れたかしら」
店長のアレシアさんが休憩中の私にお茶を出してくれた。働き始めてほんの数日だったが、難なく慣れて働いている。
「ええ、楽しく働いております」
そう言い返すとアレシアさんはとても嬉しそうだった。
「それはよかった。この調子なら新人さんの教育を任せても大丈夫ね」
「新人ですか」
「そう、器用なんだけど少し抜けてるところがあるのよ。もうすぐ来るからあなたがサポートしてあげて」
「わかりました」
数十分後、アレシアさんが言っていた新人と思われる少女がフロントにやってきた。
「シンクです、よろしくぅ」
「トレイです、こちらこそ」
シンクは気の抜けた軽い口調で話し始めた。アレシアさんの言う通り少し抜けてるところがある、それどころか抜けてるところしかないような気もする。
「ではカップの配膳ですが」
「どうやるんだっけ…」
シンクは数秒悩むと、「こうすればいいんだ」と言ってあからさまに自己流の配膳を始める。並べ方はぐしゃぐしゃで、見栄えはよろしくない。
「こうですよ」
私が並べ方を教えてやると、「そうだったぁ」とぱっぱと並べ始める。先程の乱雑な並べ方とは見違える程丁寧に並べられている。私は思わず目を疑った。私が配膳したものよりずっと美しく並べられている。
「驚いた、器用ですね」
「えへへ、照れちゃうなぁ」
相変わらず口調は軽い。
「次は接客です。元気よく『いらっしゃいませ!』と言って席にご案内して…」
「いらっしゃいませ!」
シンクの元気の良い声がフロントに響く。どうやら説明の途中で来店があったようだ。
「あとはよろしくぅ」
ついつい口頭で長い説明をする悪い癖が出たようだ。シンクに接客の流れを説明し終わらず、仕方ないので私がご案内に行く。客はかなりの大柄で、褐色肌のようだ。
「こちらへどうぞ」
その客を席にご案内するとシンクの無邪気な笑い声が聞こえてくる。
「ごっつい人だねー」
と感心しているシンク。
「人の身体的特徴を口にするものではありませんよ」
と注意すると不意に思ったことがある。
「なんかこんなこと前にもあった気がする」
シンクが言ったことと同じことを私も感じていた。前にケイトが言っていたデジャヴというものだろうか。初めてのはずのことに既視感を覚える。
しばらく後に客の注文を済ませて再び接客の流れを説明する。口で説明しても何のことだかさっぱり、といった様子のシンクであったが、やりながら説明すると何でも手際よくこなす。相変わらず軽い口調だが、言われたことは文句を言いながらもしっかりとこなしていた。
「お疲れ様でした」
夕方に仕事が終わって帰る頃だった。シンクは午後六時の電車に乗って帰るようだ。偶然だが私も同じ電車だ。カフェのユニフォーム姿と打って変わって白いファーのコートとパステルカラーのミニスカートを纏った彼女の姿に私は目を奪われた。日の沈んだ都会の一点の光を見ているようだった。
「どうしたのぉ」
相変わらず軽い口調なシンクだ。
「なんでもありませんよ」
黒いレザーコートが熱くなる。無邪気なシンクの空色の瞳が私をまじまじと見つめている。
「トレイって綺麗な顔してるねぇ。モデルさんみたい」
いきなり何を言い出すのやら。あまり言われたことがなかったので対応に少し困った。
「そうですか」
それ以上は何も言えなかった。
「デジャヴって言うのかな。どこかで見たことがある気がする」
駅前の人々の声に掻き消されて彼女の声が遠ざかっていく。呑まれてしまいそうな波に巻き込まれそうだ。
「そろそろ電車が来ますよ。送っていきますから、帰りましょう」
満員電車の中でシンクは楽しそうに話してくれた。アルバイトのこと、学校のこと、普段のこと、その他諸々。つっこみ所は満載だが、話している分には楽しかった。ヤクザが車内を荒らそうが中年男性の汗の匂いに覆われようが隣の女性の化粧の一部が擦れようが、降りる駅までは一緒に話していて電車を降りるのが名残惜しかった気がした。それが彼女との出会い。だと思っていた。
午後八時に家に戻ってケータイを確認するとメールが溜まっていた。キングからはバイトはどうだとか、ジャックからは今度の日曜日遊びに行こうとか、ナインからは課題の答えを教えてくれだとか、その他諸々。一つ一つ返信するだけで十分以上かかった。中にはアレシアさんからのメールもあった。
『彼女とはうまくやっているかしら?』
と件名に書かれたメールが送られていた。本文には謎の本が写った画像と『これを読んでおいて』という本文が載せられていた。題名も記されていない謎の本。仕事のマニュアルにしては少々分厚すぎる。ところが不思議なことに私はそれと同じ本を既に見ている。そんな気がした。これも先程と同じ既視感だろうか。
春の桜吹雪が南に向かっている。わずかに散った花弁をサクサクと踏みながらいつものカフェに向かう。今日は彼女とカウンターの片付け番だ。もう少しでカフェに着く。従業員用の入口付近にアレシアさんが立っていた。
「待っていたわよ」
煙管を吹かしながら私を待っているようだった。待ち合わせをした覚えはないのだが、アレシアさんは私が来る時間を知っていて待っていたのだろう。
「どうかしたのですか」
「例の本は上から三番目の棚に置いてあるから、必ず読んでおきなさい。あなたなら分かるはずよ」
それだけ言い残してアレシアさんはカフェに向かって去っていった。いつも雰囲気が違って見えた。
その後私はロッカールームで制服に着替えてアレシアさんに言われた通り例の本を探しに行く途中で彼女と再会した。
「シンク、何をしているのですか」
「うーん、アレシアさんに言われて探しものしてるの」
と言って本棚を漁っている。
「上から三番目の棚ですか」
シンクは夢中になって本棚を漁っている。彼女が漁っているのは三番目の棚ではない、私がアレシアさんに言われた二つ下の棚だ。
「これかな」
漁っているうちに無造作に散らかされた本の山がバサリと崩れる。彼女が取った本は昨日の写メと瓜二つだ。
「この本、私知ってるかも」
「シンクも、本を探せと言われていたのですね」
「そう、昨日アレシアさんから写メが来てたの。これを読んでおくようにね」
彼女は何も考えず、ゆっくりとその本を開いた。
アカシャの書
「シンク!」
不自然に浮いた彼女の体を受け止めようとすると私は足を掬われた。シンクは宙に浮かされて意味深な言葉を諳んじた。
「五の座、純真なる力よ、在るべき場所にお帰りなさい」
完全に自我を失っているであろうシンクはその場に倒れた。
「シンク!しっかりしてください!」
倒れた体を揺すって呼びかけても返事はない。気を失っているようだ。私は穴が開いたような喪失感に見舞われた。彼女は倒れたまま目をさます気配はない。
「もしかしたら…」
私は慌ててアレシアさんに言われていた本を探した。上から三番目の棚に一際目を惹く本がある。それが例の本のようだ。私はその本を取って開いた。
「三の座、知の力よ、在るべき場所にお帰りなさい」
その時私は無意識に諳んじていた。
アカシャの書
それは私たちを在るべき場所に帰す
「お帰りなさい、トレイ」
先ほどまで共にいた声が聞こえる。
「ここはどこでしょう」
見覚えはあるけれど分からない白い空間。どこだかはっきりと思い出せない。寝ているであろう私にはっきりと覚えている彼女が覗き込んだ。
「随分長い夢を見てたんだねぇ」
シンクが私の手を取っている。暖炉に寄り添うように暖かい。
「マザーが呼び戻してくれたの。元の世界にね」
「そうか、あの時から夢を見ていたのですね」
「どんな夢見てたのかなぁ」
シンクの頬が無邪気につりあがっている。
「どこかの世界であなたとアルバイトしてる夢でしたね」
「私も同じ夢を見てたよ!」
と話に乗っかってくる。そんな偶然があるのだろうか。
「私も死んじゃってからずっと夢を見てたよ」
ドクン
そうだ、私たちはあの戦いで力尽きて息を引き取った。なら何故こうしているのか。
「これも夢でしょうか」
「きっとそうだよ。私たち夢の中にいるんだ」
そう言われてみればこの空間には何もないし在るのは私とシンクだけ。身体を持たずに不可視の世界を彷徨っているような感覚だ。
「だからさ、私たち二人でみんなも呼び戻そうよ。きっとみんなもどこかで夢を見てるよ」
シンクが私の手を取る。
「そうですね。皆さんの目を覚ましてやりましょうか」
死せる二つの魂が旅立ち、二つの朽ちゆく身体に微笑みが戻る
長い旅路の中、二人は寄り添い運命を共にした
そして二人の愛に十の夢が集う
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