「よく集まってくれたね。皆んな息災だったかな?」
「お館様におかれましても御壮健で何よりで御座います」
心地よい声が気持ちを落ち着かせた。ふわふわと身体が宙に浮くような不思議な感覚だ。不死川様は自制心が効いたような落ち着いた声で流暢に挨拶を述べた。私は驚いてパッと顔を持ち上げ、不死川様の背中を見てしまう。
「そこに何か小さな生き物がいるのかな?」
「……猫がおります。このような重要な場に同席させることお許しください」
あまり視力が良くないのだろうか。お館様は気配の正体について尋ねた。不死川は丁寧な口調で私の存在を明かすと、頭を深く下げた。
「気にする必要はないよ。猫はどのようにしているのかな?」
「大人しく不死川の斜め後ろに座っております。不死川は自宅に残してきましたが、追いかけてきたようです。森を彷徨っていたこの者をここに連れてきた俺にも今回の一件の責任があります」
「わ、私が連れて行く事を提案したんです」
「怒っていないよ。こうして小さな命が側にあると、人は優しい気持ちになれるからね。ふたりとも良い事をしたね」
私を気にかけてくれているのだろう。お館様の問いに、煉獄様と答えた。煉獄様も不死川様と同じように頭を下げ、それを見た甘露寺様も慌てて同じ姿勢をとった。するとお館様は責めるどころか、穏やかな声でここに連れてきたことを褒めた。
「実弥をよく慕っているようだ。優しい人をよく分かっているとても利口な子だね」
あまりにも勿体ないお言葉だ。ありがとうございます──そう伝えようと口を開くが、猫の鳴き声がするだけだ。しかしお館様は「うん」と答え、微笑み返してくれた。
「実弥、その子はこちらで休ませてあげてね」
挨拶を済ませると、会議の為に柱の皆様は屋敷に上がった。お館様のお心遣いにより猫の私も不死川様に抱えられて敷居を跨いだ。
畳と、落ち着くお香の匂いがする。不死川様は脱いだ羽織を畳の上に置くと、その上に私を下ろしてくれた。
「良い子にしてろォ」
小さな声でそう伝えると、不死川様は姿勢を正してお館様に向き合った。私も同じように姿勢を正してお館様を見る。
「すでに皆の耳に入っているかもしれない。近頃隊士が失踪しているんだ」
お館様は静かな口調で話した。柱の方々はその言葉に耳を傾ける。
「失踪した隊士は6名……しのぶから調査の報告を頼めるかな」
「失踪した方々について聞き込みをしましたが、性別、年齢、家族構成、全てバラバラで共通点は見当たりませんでした」
お館様に促され、胡蝶様が調査の報告をした。隊士が続けて6名も失踪しているとなると、かなり強い鬼である可能性もあるし、早急に明らかにする必要があるのだろう。空気は重苦しく張り詰めている。
「鬼を相手にすることに怖気付いて自ら消えたってことは考えられねぇのか?」
「軟弱な覚悟の者がいるだけで全体の士気が下がる。自ら去ったものを追いかけてやる義理もなければ、必要もない。辞めて当然だ」
宇髄様が口にした可能性は私も考えたものだった。伊黒様も宇髄様と同じように考えていたのだろう。刺々しい口調で、もしそうであるならば迷惑だと率直な意見を述べた。
煉獄様は胸の前で腕を組み、考え込む様子を見せた。胡蝶様は小さな顎に触れながら、考えを巡らせているようだった。
「入隊したばかりの者ならば分かるが、中にはかなり階級が高い者もいるようだ」
「甲の方もいらっしゃいますね」
階級を重ねた者はそれだけ多くの戦いを経験した者たちだ。そこに至るまでにかなり苦労してきた。それでも去らずに鬼殺隊として刀を振るっていたのはそれなりに事情を抱えているからだ。そのような人物たちが鬼に臆したからと鬼殺隊を離れるだろうかと煉獄様は疑問に思ったようだ。胡蝶様も同感だったようで、頷いてから甲の階級の人物もいるの話した。
「こいつか──名字名前」
随分と懐かしい名前が聞こえた。私の名前だ。心臓が跳ね上がり、息が短く浅くしか出来ない。
失踪した甲の階級の隊士とは私のことだったのだ。驚いている間にも会議は進む。
「不死川が担当したな?」
「他の隊士に退避を命じてこいつだけが残ったらしい。俺が到着した時には血溜まりだけで、隊士の姿は見当たらなかった」
救援の報告を受けて駆けつけてくれたのは不死川様だった。悲鳴嶼さんの問いに首肯を返してから、その一件の情報を共有した。
「喰われたか」
「その可能性が高いだろうなぁ」
伊黒様は語尾を持ち上げることなく、断定するような口調で考えられる可能性を話した。宇髄様はそれに頷く。
失踪した他の隊員の安否は把握出来ていない。しかし少なくとも私はこうして猫の姿になり生きている。食べられていない、生きている、無事だと口にする。
「甲の隊士が苦戦したのだ。相当手強い鬼がいるようだな」
煉獄様は眉を寄せた表情で、鬼の能力がかなり高いのではないかと話した。その通りだ。油断はしていなかったが、手も足も出なかった。煉獄様の言葉にその通りだと返事をする。
「さっきからそれ煩いんだけど」
「それって」
パッと視線が集まるのを感じた。私は慌てて口を塞ごうとしたが、ニャーとこぼれ出てしまった。時透様がそれと言って指差した方向にあったものとは、私だった。それという表現が気に掛かったのか、隣に姿勢よく座っていた不死川様が小さくこぼした。
自分がこうして猫として生活を送らなくてはいけなくなった一件の話し合いが行われていて、情報を伝えようと猫だということも忘れて声をあげていた。しかし猫の姿をしているのだ。人間とは声帯が異なるようで、口からはニャーニャーという鳴き声しか出ていなかったのだろう。ただ猫が騒ぎ始めたように思ったはずだ。
「私も少し気になっていました」
「急にどうしちゃったのかしら」
「まだ大切な会議の最中だ。今暫く辛抱してくれ」
遠くの位置に座っていた胡蝶様が眉尻を垂らした表情で私を見た。甘露寺様が心配そうにこちらを見ている。前方に座っていた煉獄様が穏やかな声で私の行動を窘めた。
しかし私は伝えなくてはいけない。自分の名前を口にすることが出来ないのだ。話題に上がっているこの機会を逃すわけにはいかない。不死川様の足に前足をかけながら、必死に意思疎通をしようとするがただ甘えているように見えたのだろう。
「遊びじゃねぇんだ」
羽織の上に戻されてしまう。騒がれるよりはマシだと思ったのか、身体に乗せられた手が寝かしつけるように胴体のあたりを軽く叩いた。誰でも良い。私は人間で、失踪したとされる隊士のひとりであることをとにかく伝えなくてはならない。
誰か竈門くんのように猫と意思疎通ができる人はいないのか。室内を見渡すと、一番可能性が高い人物を見つけた。
「オイ」
不死川様の制止を振り切って、私は羽織の上から飛び出す。畳を蹴ってその人物の正面に移動した。その人物とは宇髄様だ。
「今は遊んでやれねぇんだわ、悪いな」
必死に話しかけるが、宇髄様は頭を一度撫でると不死川様のもとに戻るように促した。彼は竈門くんのようにはっきりと猫の思いを読み取っていたのではなく、視線や声、身体の動きをもとに要求を汲み取ってくれていたようだ。
ようやくこの場にやってきたというのに、猫になった私は誰にも思いが伝えられない、誰にも気づいてもらえないのだ。足から力が抜けて、ぺたりと畳に座り込む。
「何か伝えたいのか?」
少し離れた位置からそのような声が聞こえた。パッと顔を持ち上げれば、部屋の一番端に腰を下ろしていた冨岡様がこちらをじっと見つめていた。伝わっているのか? 少なくとも私が何かを伝えようとしていることには気づいてくれた。足を突っ張るようにして身体を起こすと、冨岡様の正面に移動する。
申し訳なく思いながらも、冨岡様の膝に前足をかけてお顔を見上げる。海底のように深い青色をした瞳がじっとこちらを見つめている。恐る恐る伸びていきた両手が私の腕の下に差し込まれ、顔の位置まで持ち上げられた。
冨岡様は僅かに驚いたように目を開いた。そしてきゅっと結ばれた形の良い唇がゆっくりと開かれた。
「……雌か」
は? 何を言ったのだ?
聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟かれた言葉に私は身体を硬くした。そのようなことはない、何かの聞き間違えだと頭の中で否定しながらも、再度冨岡様の声を呼び起こすと、やはり雌か──と口にしていた。
視線は私の腹よりも少し下の位置、ちょうど後ろ足の間あたりに向けられている。全身に一気に血が巡り、私は眼前にある冨岡様の鼻を後ろ足で蹴り付け、地面に降りた。尻尾の毛に至るまで、全身の毛が逆立っている。口からは威嚇をするような声がもれた。
「嫌われたな」
「突然持ち上げたかと思えば、股見て性別確認かよ」
「先程の行為はいただけないな。その子は賢い、おなごを相手にしているかのように紳士に対応すべきだ」
伊黒様が当たり前だというように鼻から息をフッともらして嘲笑う。宇髄様は大きな身体を僅かに揺らしながら笑っているようだ。冨岡様は私の股をみて性別を確認したのだ。その行為について、煉獄様は嫌味を含まない快活な口調で意見を述べた。
冨岡様はつんと尖った鼻先を押さえながら、私をみている。眉が僅かに持ち上がっている様子からも、冨岡様は驚いているようだった。まさか猫に蹴られるとは思っていなかったのだろう。
「冨岡さんが繊細さに欠けるのは以前からですし、今更驚きませんが」
華奢な肩を揺らす胡蝶様は、目尻に溜まった雫を指先で払った。そして言葉を続ける。
「この子の賢さには驚きです。こちらの言葉を理解して要求を受け入れるような反応に、状況に合った立ち振る舞い、恥じらう姿。まるで人間ですね」
長い黒々とした睫毛に縁取られた大きな瞳がこちらをじっと見つめる。遠巻きにではあるものの、私に関心を持ち、見てくれていたようだ。まるで人間ではなく、本当に人間なのだ。どうにか伝えたくて、首肯をしてからニャーと声をあげる。
「何か伝えようとしてくれているんですか?」
胡蝶様は冨岡様の隣に座っていたが、猫が苦手ならばこれ以上近づかない方が良いだろう。私はその場で鳴いて、胡蝶様に伝えようとする。
「ふむふむ、なるほど」
胡蝶様は小さな顎に手を当てながら、何度か頷く。彼女には言葉が伝わっているのかもしれない。私はあの日について掻い摘んで説明をした。私の声が止むと、胡蝶様は得心したように頷いた。
「さっぱりです」
前足がかくりと曲がり、顎を畳に擦り付けた。どこからかクッと喉を鳴らして笑う声がした。胡蝶様は転んだ私を見て「あらあら」と心配を含んだ声をこぼした。
「分かるかと思ったんですけれど、やはり猫の言語は分かりませんね」
胡蝶様は眉を垂らし、肩を竦めた。深いため息が耳に届いた。柱の皆様が猫に翻弄されているこの状況に頭が痛んだのか、不死川様は額を押さえていた。
「お館様無礼をお許しください。外で遊んでろォ」
不死川様は立ち上がるとこちらに向かってきた。畳に転がったままの私を抱えると、擦った顎のあたりに視線をやり怪我がないことを確認しながら障子の方へと向かった。障子を開けると、私を廊下に降ろした。冷たい風に身体を震わせれば、不死川様は羽織を近くに置いてくれた。寒い時には羽織に包まれということなのだろう。お館様に対しても私に対しても配慮がされた対応だ。
しかし私は目的を果たしていない。これではただ聞き分けの悪い猫になってしまう。私は不死川様の足の間を駆け抜けて部屋に戻る。
手が伸びてきて、捕まりそうになる。私は近くにいた悲鳴嶼様のお膝に飛び乗った。
「すみません、すぐに締め出します」
「この寒さは堪えるだろう。よくここまで大人しくしていた」
「だが……」
「実弥、構わないよ」
不死川様は悲鳴嶼様の膝の上にいる私を掴みあげようとする。悲鳴嶼様は私を撫でるようにしてそれを制してくれた。やり取りを微笑ましそうに見ていたお館様は、柔和な笑みで不死川様を宥めた。不死川様は心配そうにこちらをちらりと見てから元の位置へと腰を下ろした。