「はい」
お館様が話を元に戻せば、柱の方々は背筋を伸ばし、表情を引き締めた。不死川様が口を開く。
「とは言いましても、これといって可笑しなことはありませんでした」
「現場を見て、何も情報を得なかったのか?」
「そりゃどういう意味だ?」
冨岡様の言葉に不死川様は口元をひくりと動かした。苛立ちを押し込めたような声で聞き返す。
「直後に到着したならば、鬼の痕跡など見つけることは容易だっただろう。何も見つけられなかったのか?」
「役立たずで悪かったなァ」
簡潔な質問だった。しかしあまりにも愚直だ。もっと良い言い回しもあっただろうに。このような場で失態を責めたところで意味がないのは分かっているし、冨岡様にそのような意図がないのも分かる。しかし言葉が足りないのか、選び方が下手なのか齟齬が起きてしまっている。
「冨岡の言い方はどうかと思うが、鬼の痕跡は何もなかったのか?」
「雪が隠しちまって、見つけらんなかった」
仲裁をするように煉獄様が口を挟んだ。改めて尋ねられると、不死川様は少し落ち着きを取り戻した様子で説明をした。
あの日は雪が降っていた。足跡を見つけることが難しかったのだろう。
「それならば不死川が見つけられなかったのも仕方がない。あまり気に病むことはない」
「舐めてやがんのか」
冨岡様が納得したように頷き、不死川様を励ましたが、ただ不死川様の苛立ちを増幅させるだけだった。
「逃げ延びた隊士がいた筈だ。戦闘で役に立たずとも、見たことを話すだけなら阿保でも出来るだろう。その者たちは何と?」
「鬼が速かったのか、そいつらがぼさっとしていたのか鬼の姿も見ていないそうだ」
「それにしても、こうも情報がないとなると調査は困窮するだろうな」
やはりねちねちとした口調で伊黒様は同行した隊士達からの情報は役立つのではないかと話した。不死川様は首を緩く左右に振ってから、有力な情報は得られなかったのだと答える。宇髄様が情報がないことを嘆く。
「鎹鴉は?」
それぞれが口を閉じて頭を悩ましていれば、その沈黙を時透様が破った。
「名字名前についていた鎹鴉に話を聞けば良いよ」
「それは俺も真っ先に考えた。だが、そいつは目の前で主人が喰われたショックからか言葉が話せなくなっていた」
隊士には連絡の為に鎹鴉がつけられる。鎹鴉はあの時すぐ側にいたはずだ。そして鎹鴉は話すことができる為、私の身に起きたことを見たまま説明してくれるだろう。
しかし淡い期待はすぐに裏切られる。どうやら精神的な衝撃から言葉を失ってしまったようだ。
「呼ぶだけ呼んでみませんか? もしかしたら一時的なものであった可能性もありますし」
「おい、名字名前の鎹鴉を……」
取り敢えず呼んでみようという胡蝶様の提案に不死川様は即座に応じる。障子を開くと、自分の鎹鴉を招き入れた。
鎹鴉は黒い羽を動かしながら、真っ直ぐに私の元に向かってきた。鋭いくちばしが迫ってくる。
私は全身の毛を逆立てて威嚇をする。
「何してやがる」
「飼い主によく似ているな」
「そういえばさっき何かに怯えて私の所にきたの。混乱しているのかも」
睨み合っている私と鎹鴉を叱咤する。冨岡様はその様子を眺めながら、私とこの鎹鴉が飼い主、つまり不死川様に似ていると感想を口にした。不死川のこめかみに青筋が浮かぶ。
このままの流れはまずいと察知した甘露寺様が声を張るようにして、会議にくる前の鎹鴉の妙な行動について話した。
「大丈夫だ、落ち着くと良い」
安心させるように悲鳴嶼様が私の身体を撫で、不死川様が鎹鴉の身体をそっと手の中に閉じ込めた。抱き上げられた鎹鴉は口を開く。
「コイツ、俺ノコト襲イヤガッタ」
やはり先程のことを根に持っていたのだ。柱合会議の場所を知る為に、鎹鴉を襲って不死川様の元まで飛ばせたのだ。決して負傷はさせていないし、苦肉の策であった為私も心苦しく思っていた。
しかし説明を聞けば私が悪いのは火を見るよりも明らかだ。悪事を暴露された私は、そんなことする筈がないと思わせる為に可愛らしい鳴き声をあげ、身体を小さく震わせてみる。
「狩りの練習じゃねぇの? 手取り足取り教えてたろ?」
「悲鳴嶼さん、やっぱりこいつは別の場所に……」
また可笑しなことになったと宇髄様は頭を掻きながら、鎹鴉を襲ったのは狩りの練習なのではないかと話した。不死川様は時間をかけて息を吐き出すと、私を庇う悲鳴嶼様に外に出すべきだと提言した。
鎹鴉のせいで話が進まなくなってしまった。話がややこしくなるからやめてよ──と不満を口にする。
「話シガヤヤコシクナルッテ?」
鎹鴉が返事をした。しっかりと会話になっている。まさか会話が出来るの──私は早口になりながら尋ねる。
「会話デキルニ決マッテンダロウ」
不死川様に身体を抱かれている鎹鴉はふんと胸のあたりを張った。意思疎通ができる。確信した私は、自分の名前を名乗り、それを柱の皆様に伝えるように頼んだ。
「名字名前ッテ知ラネェナ」
鎹鴉が私の名前を知っているかどうかは問題ではない。しかし鎹鴉が口にしてくれたことで、柱の方々のお耳にも届いた。
「名字名前と言ったのか?」
「やはり何か知っているようだ。不死川の鎹鴉よ、通訳を頼めるだろうか」
不死川様は眉根を寄せて聞き返す。私が何か情報を持っていることに気付いたのだろう。煉獄様は丁寧な口調で鎹鴉に通訳を頼んだ。鎹鴉はどこか誇らしげにそれを引き受けた。
私がニャーと口にすれば、鎹鴉は人間の言語に直してくれた。
「私ガ名字名前」
皆様の表情に困惑が見られた。突然猫が、失踪したとされる隊士だと名乗ったのだ。
「私が名字名前、本当にそう言ったのですか?」
「名字名前だとして、どうしてそのような姿をしている? 説明がつかない。あり得ない。つまりその鴉の世迷言だろう」
胡蝶様は信じられないというように眉を寄せ、伊黒様はそのような事は考えられないと否定をした。私は言葉を続ける。
「……血鬼術デス」
「血鬼術で猫に変わってしまったってこと?」
通訳してもらう必要がある為、間が空いてしまうが、柱の皆様はこの信じられない状況に困惑があるのか私の言葉を待ってくれる。甘露寺様の確認に、私は首肯を返す。
「隊士ヲ退避サセ、戦イマシタガ手モ足モ出ズニ私ハ切ラレマシタ」
悔しさから喉が震える。その震えは全身に伝わり、毛が逆立って一回り大きくなった身体を小刻みに揺らしていた。
悲鳴嶼様が頭から背中にかけて撫でてくれる。猫の姿をしている為自然と手が動いてしまったのだろう。
「すまない」
慌てて手を引っ込められそうになった悲鳴嶼様の手に軽く頬を擦り付ける。悲鳴嶼様の撫で方は優しく心地が良かった為名残惜しいが、ニャーと感謝の言葉を伝えてから畳の上に降りる。
先程よりも落ち着きを取り戻すと、鎹鴉を通してその時の状況を伝える。
「意識ヲ失ウ直前ニ、楽シミニシテイルト鬼ガ言イマシタ。恐ラク血鬼術ノ事ヲ言ッテイタノカト……
次ニ目ヲ覚マスト不死川様ニ保護サレテイマシタ」
鎹鴉は一語一句間違える事なく、伝えてくれた。襲ってごめんなさい──と伝えれば、鎹鴉はふんとそっぽを向いた。しかし先程のような敵意は感じない。許してくれたのだろう。
「まぁ、考えられなくもねぇか。こうも人間らしいところ見せられたら納得せざるを得ねぇしな」
宇髄様は私の話を一応は信じてくれたようだ。猫の姿をしているものの反応の端々に人間らしさが滲んでいたのだろう。こうして肯定する為に首を縦に振るのも人間らしさを感じさせた要因だろう。
「……もしや、初めて出会った時にあのような場所にいたのは蝶屋敷を目指していたのか?」
「ですが、蝶屋敷にいらっしゃいませんでしたよね?」
煉獄様は初めて出会った日のことを思い出しながら、点と点を線で繋げた。胡蝶様は首を傾げる。
確かに目指していたものの私は蝶屋敷に辿り着かなかった。
「……俺が連れ戻したァ」
「案外過保護だもんな」
どう答えるべきか悩んでいれば、事情をよく知る不死川様が答えてくれた。宇髄様は納得したように頷く。
「失踪した隊士も同じように猫の姿になっている可能性は?」
「……十分ニアリエルカト」
伊黒様の質問に肯定を返せば、僅かに空気が揺れた。一瞬だけ安堵が混じったように思う。
「身体を調べてみないことには治療方法も分かりませんね。こちらにいらしてください」
近くに寄るようにと胡蝶様に促されるが、中身は人間であることが発覚したものの依然として私は猫の姿のままだ。近付いて良いものなのだろうか。尻込みをしてしまう。
「血液を採取させていただきたいんです。なるべく痛くないようにしますから安心してください」
「……良イノデスカ?」
「先程の冨岡さんの発言を気にされているんですね?」
血液から私の身体に何が起こっているのか調べてくれるのだろう。良いのだろうかと逡巡していれば、胡蝶様は眉尻を下げた。
「あなたは人ですよ。そうとは知らず傷つけてしまって申し訳ないです」
すっと立ち上がった胡蝶様は私の側に腰を下ろしてくれた。安心させるように私の小さな手を軽く撫でてから、採血を行った。
「猫の姿になってしまい、言葉も通じずに不安だったよね。よく頑張ったね、名前は強い子だね」
「勿体ナイオ言葉デス」
僅かな痛みではあったものの、緊張から小さな心臓はドキドキと激しく脈打った。しかしお館様の労いの言葉を聞くと身体から力が抜けた。
「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ」
慣れた手つきで胡蝶様は包帯を巻きつけてくれた。深く頭を下げれば、にっこりと笑顔を返してくれる。
「人だったのか……」
小さな呟きが耳に届いた。ちらりと視線を向ければ、冨岡様がこちらに身体を向けるようにして座っていた。
「狼藉を働いたこと許して欲しい」
「股見て性別確認してたもんな」
頭を下げられ、私は慌ててしまう。その一件については蒸し返してほしくなかったが、宇髄様がハッキリと言葉にした。
あまりにも直接的な表現だ。揶揄うようににやにやと楽しげな反応をされる宇髄様に私は唸るような声で不満をぶつける。
「おうおう、やんのか? 名字名前」
「宇髄、そう虐めてやるな」
首根っこを掴んで身体を持ち上げると、宇髄様は鼻先を突き合わせた。猫だからこそ許された失態の数々を思い出し、私は身体を硬くする。煉獄様は軽く窘めると、宇髄様から私を救い出してくれた。
床に下ろしてくれるものだと思っていたが、煉獄様はそのまま私を腕に抱いた。分厚い胸板に顔を押し付ける形になる。人間だと相手に認識された途端に、猫になりきっていた時には気にならなかった行為に恥ずかしさを感じる。
「煉獄、それは人だ」
「猫の姿をしていた為すっかり忘れてしまうな」
伊黒様に指摘されると、煉獄様は私をゆっくりと床に下ろしてくれた。血液の入った注射器を仕舞い込んだ胡蝶様が口を開く。
「恐らく鬼を倒すのが一番早いでしょうから、鬼の調査は引き続き行いましょう。うちには患者さんもいますし、今までと変わらず不死川さんのお屋敷でお願いしますね」
「おい」
今後の方針について簡潔に伝えた胡蝶様に、不死川様は待ったを掛ける。不死川の眉間には深いシワが刻まれている。
「ウチは無理だァ」
「テメェが拾ってきたんだろ?」
「俺が拾ってきたのは猫だ」
きっぱりと自邸で預かることは出来ないと拒絶をされた。やはり猫であったからこそ向けられていた優しさなのだ。身体は猫だが、中身は人間など珍妙な存在を側には置きたくないだろう。しかし実際に突き放されると悲しいものだ。
態度に出さないようにと気丈に振る舞っているつもりだが、耳は垂れ下がってしまっている。居た堪れなくなり視線で畳の目を撫でる。
「不死川の屋敷が難しいならばうちで預かろう」
「駄目だァ」
気遣って下さったのだろう。煉獄様が住居の提供を申し出てくれた。しかし不死川様は言下に拒絶した。
「自分は面倒見ねぇ、他のやつにも任せねぇってのはいくら元飼い主とはいえ横暴じゃねぇの?」
端正なお顔立ちを僅かに歪めながら宇髄様は声に不機嫌さを滲ませた。軽薄そうな印象を持っていたが、数回顔を合わせただけの私のために怒ってくれるのだ。とても心根が優しい方なのだろう。
宇髄様だけでなく他の柱からの視線も感じた不死川様はチッと小さく舌を打った。
「姿は猫とはいえ、中身は年頃の女だァ。よく知らねぇ男と暮らすのは精神的に負担があるだろォ」
「……悪ぃ、考えてたんだな」
突き放すような口調だったが、その言葉の全体に優しさが滲んでいる。私は目を丸くする。宇髄様も大きな瞳をさらに大きく見開いていた。宇髄様は軽く謝った。
「うちなら嫁もいるし、面倒は見られるが……ムキムキねずみにびびってた様子を見ると、可哀想か?」
知らない男性と暮らすことに負担があるのではないかと不死川様は心配してくれていたのだ。確かにお嫁さんと暮らしているならばその条件から外れる。しかしムキムキねずみとの相性を思い出して宇髄様は頭を悩ませた。
明るい表情の甘露寺様がピッと手を高くあげた。
「それじゃあ私のお家は? 女の子同士だし気をつかう必要もないでしょう? それに実家では猫ちゃんを飼っていたから、色々分かるし」
「だが、甘露寺は現在自宅でうさぎを飼っているだろう。こいつが本能のまま襲う可能性もある。現に鎹鴉は襲われているしな」
甘露寺様の提案は有り難い。ぜひお願いしますという思いを込めた鳴き声に被せるように、伊黒様が甘露寺様の家庭状況と私の性質を踏まえて、飼うことは難しいのではないかと指摘した。
確かに鎹鴉を襲ったのは事実だ。無闇矢鱈に襲った訳ではないが、本能に抗えずに宇髄様の額当てや竈門くんの耳飾りに手を伸ばしたこともある。完全に否定することは出来ない。
鎹鴉に向かって声を出す。
「其レニツイテハ申シ訳ナイ事ヲシマシタ。今後ニツイテハ如何ニカ致シマス」
謝罪と共に、これ以上手を煩わせたくはないと思いを伝える。猫の身体にも随分と慣れてきた。胡蝶様が治療法を探してくださっている間くらいならば野良猫として生き抜くことも出来るだろう。
「名前」
名前を呼ばれて、私はお館様に向き合う。やはりお館様の眼差しは我が子を見るかのように柔らかく、心を穏やかにさせる。
「もっと周囲を頼って良いんだよ。今の君は身体も小さく、護られるべき存在なんだ」
言い聞かせるように優しい口調で、頼っても良いのだと話してくれた。これが鬼殺隊をまとめる人物なのだとふわふわとした頭で考える。
「実弥」
「はい」
「名前のこと、もう暫く頼むよ」
「しかし」
「名前は実弥の側で落ち着いている。大丈夫だよ」
お館様は私を不死川様に任せようと、直々に命じたのだ。戸惑いをみせる不死川様に、大丈夫だと微笑んだ。声のせいだろうか、お館様が大丈夫だといえば大丈夫なような気がしてしまう。
「名前もそれで良いかな?」
屋根と壁のある寝床が提供されるのは有難い。しかし不死川様はどう思っているのだろうか。簡単に頷くことは出来ず、ちらりと表情を窺ってしまう。
「風呂は女性の隠に介助させる。布団は別に用意する……それで問題ねぇだろォ」
「じゃあ皆、これまで以上に警戒して任務に当たって欲しい」
深く息を吐いてから、不死川様は、諸問題に対する解決策を提案してくれた。ありがとうございます──と口にしながら頭を下げる。
「わぁ、お辞儀するなんて凄いわね」
「甘露寺、人間だ……」
「猫ちゃんの格好をしているから……」
頭を下げる私の姿を見て、感動したように甘露寺様は声をあげた。しかし中身は人間なのだ。それほどまでに感動されるような事だろうかと疑問に思っていれば、伊黒様はどこか気不味そうに目を伏せながら、私が人間であることを口にした。猫の姿をしている為、惑わされてしまうようだ。甘露寺様は真っ赤に染まった頬を手で覆った。
お館様が退席されたからか、伊黒様と甘露寺様は扉の方へと向かった。
「多少知能のある猫程度の認識で間違っていないだろう」
「またね」
甘露寺様をフォローしたかったのだろう。しかしあまりにも酷い言い様だ。甘露寺様は可愛らしく手を振ってから、編み込まれた髪の毛を揺らして退室された。
「何か分かり次第連絡を差し上げます。気になることがありましたらお手紙でも、直接でもいいので気軽にご相談くださいね」
胡蝶様は気遣うように私に一言かけてから退室された。大きめの羽織がひらりと揺れて後ろ姿すら可憐だ。視線で追っていれば、近くで声がした。
「不死川さんの懐のそれ、その子のだったんだね」
「蝶よ花よと扱ってんのを隠してぇお年頃だ、あんま触れてやんな」
時透様が不死川様の懐のあたりを指差しながら話した。何のことかと視線を向ければ、私の為に用意してくれた羽根の玩具が仕舞われていた。慌ただしく出かけた為、懐に入れたままにしてしまっていたのだろう。指摘をされた不死川様は畳の目に視線を落としている。この状況をどのように打破するべきか頭を悩ましていれば、宇髄様が現れて時透様の背を軽く押すようにして退室された。
視界の端で燃えるような羽織が揺れた。煉獄様は膝をついて目線を合わせてくれた。
「君が不死川を慕う理由がよく分かった」
ひとり納得するように煉獄様は頷いているが、その言い回しではあらぬ誤解を招きそうだ。不死川様に感謝はしているし、優しい人だと認識しているが、慕っているという言葉では恋慕を想像させてしまう可能性がある。訂正をしたいが、鎹鴉は柱の方々が退室されると同時に飛び立ってしまった。意思疎通をする術がないのだ。
「猫であろうと、人間であろうと俺たちは旅路を共にした友だ。いつでも頼ってくれて構わない」
猫であろうとも、人間であろうとも煉獄様の私に対する関わり方は変わらないようだ。頭を撫でてくれた手つきからは遠慮を感じられなかった。それはとても心地良かった。私が頷けば、煉獄様は大きな瞳を細めて笑い、立ち去った。
煉獄様が立ち去れば、入れ替わるようにして冨岡様が私の前に腰を下ろした。一方的に気まずくなって無意識のうちに一歩下がってしまう。私の失礼な反応を冨岡様は気にする様子もなく、真っ直ぐに視線を向けている。
「冨岡ァ、口開くな」
「不死川に話しかけようとはしていない。ただ謝罪を」
「あの一件についてはこれ以上触れないのが互いの為だァ」
何かを話そうと口を開いたものの不死川様に遮られてしまった冨岡様は憮然とした様子で、不死川様ではなく私に話しかけようとしていたのだと主張する。しかし不死川様も私のことを気遣ってくれているのだろう。あの一件について改めて謝罪をしようとしていた冨岡様に、これ以上は触れるなと忠告してくれた。
中身が人間だとは思いもしなかっただろう。人間に対する配慮と同じだけの対応を猫にする人は稀だろう。冨岡様の行動は配慮に欠けていたとは思わない。しかし恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。不死川様の心遣いは有り難かった。
「いつも真っ先に消えるやつがこういう日に限ってチンタラしやがって、さっさと失礼しろォ」
「失礼しようとしていた所だ。不死川が話掛けたのだろう」
「テメェだろ」
早くどこかに行けと言う不死川様に、冨岡様は納得がいかないと言った様子で反駁した。このまま殴り合いになるのではないかと不安に思っていれば、大きな影が私とそしてお二人を覆った。
「あまり大きな声を出すな。猫は人よりも聴覚が優れている、驚かせてしまうだろう」
猫の身体に詳しいのだろうか。私を気遣い仲裁してくれた。不死川様も悲鳴嶼様の前では勢いをなくし、素直に「すみません」と謝罪をした。礼節を重んじているのか冨岡様の頭を掴むと、無理矢理下げさせた。
僅かに眉を寄せて、表情に不満を滲ませた冨岡様だったが「行くぞ」と悲鳴嶼様に促されてそのまま退室された。
一日の疲れを身体の外に捨てるかのように、時間をかけて不死川様は息を吐き出した。そのまま歩き出した不死川様の後を小走りになりながら追う。
「その足じゃ日が暮れる」
立ち止まった不死川様は私を抱き上げた。廊下に出した羽織を回収すると、それで私の身体を包んだ。懐に入れるという搬送方法は適さないと判断したのだろう。御包みに包まれた赤子のようになっている。懐に入れられた時よりは肌との密着度は低いが、それでも胸元が大きく開いた隊服姿では、抱かれた私の目の前にあるのは鍛え抜かれた肌になってしまう。
「嫌なら、眠らせてやるよ」
戸惑いを見せていれば、不死川様は寝ている間に運ぶことを提案してくれた。しかしその口調からは子守唄を歌って寝かしつけるなどの穏やかな光景ではなく、首の裏を手刀で叩かれて強制的に眠らせる光景が思い浮かんだ。恐ろしい。遠慮させていただきます──と口にするがニャーニャという音にしかならない。しかしその反応から察してくれたのか、「じゃあ大人しくしてろォ」と提案を取り下げ、そのまま丁寧に抱き上げてくれた。その表情は人だと認識される前と何も変わらなかった。
人間に戻れる日は近いのかもしれない。期待からか、それとも別の感情からか胸が高鳴るのを感じた。