「今日は随分とゆっくりだったじゃねぇか」
「少し道端で友人と出会ってな」
この声は宇髄様だ。昨日お会いしたばかりである為声だけでも判別できた。
煉獄様は快活な声で返事をした。私の存在は一先ず隠すということなのだろうか。
「そんで、その懐のは何だよ」
「友人だ」
しかし流石は柱であり、もと忍びという経歴を持つ人物だ。私は鳴き声ひとつあげなかったというのに、煉獄様の羽織の中の存在を指摘した。
バレてしまったと私は慌てるが、煉獄様は変わらぬ口調で答えた。
羽織が風で大きくあおられ、外界と遮るものがなくなった身体に冷たい空気が吹き付ける。私は身体を小さく奮わせた。
細めていた瞳を開けば、目の前には知らない人間と知らない空間があった。
「猫ですね」
柱の中でも一際小柄な胡蝶しのぶ様が少し離れた位置から私を見ていた。目尻垂らすようにして細められた瞳は優しげな印象を与えている。口角は均等に持ち上げられている。以前に外国からつたわったとされる絵画を見たことがあったが、そこに描かれていた女神のように美しく見本のような微笑みだ。
胡蝶様だけでなく、この場にいるすべての柱の視線を一身に受けていた。近くでシャーと細い息が聞こえた。身の毛がよだつとはまさにこのような状況をいうのだろう。
蛇柱の伊黒小芭内様の首元で蛇が蠢いている。長い舌を別の生き物のように動かす様に、私の頭には捕食ということばが浮かんだ。
「これからお館様にお会いするというのに獣を連れてくるなど、何を考えているのか……納得できるような事情があるのだろうな?」
「勿論だ」
「違うの伊黒さん」
纏わりつくような口調で、私を連れてきたことについて煉獄様に説明を求めた。煉獄様は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっている私の身体を大きく厚みのある手で撫でてくれた。
煉獄様の斜め後ろに立っていた甘露寺様は慌てた様子で会話に割って入った。私に向けられていた視線が一気に甘露寺様に向かう。甘露寺様の頬は一気に桃色に色づいた。その混乱している様子に気付いた胡蝶様は、落ち着かせるように穏やかな声を出す。
「甘露寺さんも事情をご存知のようですね? お話しをしてくださいますか?」
「私が森でこの子を見つけて、すごく綺麗な毛並みをしているし、きっと迷子だから家族のもとに帰してあげたいと思ったんだけど……」
「そこに俺が遭遇した。お館様を待たせる訳には行かないが、この子を森にひとりにするのも忍びなく思い、連れてきた次第だ」
説明を求められた甘露寺様は先程よりは少し落ち着いた様子で話し出した。視線を上下左右に動かしながら、順を追うようにして説明をした。甘露寺様が言葉を詰まらせたところで、煉獄様は説明を引き継いだ。簡潔な説明で事情を把握した柱の方々は僅かに眉を寄せ、考え込むような素振りを見せた。
「とても利口な子だ。今もこうして大人しくしている」
煉獄様は鳴き声もあげずに大人しく抱かれている私の様子を根拠に、問題がないと主張した。顎に手を当てて何やら考えるような仕草をしていた宇髄様がずいっと私に顔を寄せた。大きな瞳に、目を丸くした白猫の姿が映る。
「こりゃ、不死川のとこの猫じゃねぇか?」
揺れる額当てに手を伸ばしたくなる衝動を堪え、宇髄様を見つめ返す。一度見ただけの猫だったが、宇髄様は覚えていてくれたようだ。
「考えられん。宇髄、嘘をつくにしても、面白みのある嘘をつけ」
「嘘じゃねぇって。こんな嘘ついたところで何の得もねぇだろ」
「貴様のことだ、己の悦楽の為ならばこのような低俗な作り話を真しやかに語るだろう」
「信用ねぇな」
不死川様が猫の世話をする姿は想像できなかったのだろう。伊黒様は不快だという様子を全面に出しながら、宇髄様の話を嘘だと一蹴した。私もこうして世話を焼かれるまでは不死川様にこのような一面があったとは思いもしなかった為、伊黒様がそのような反応になるのも頷けた。
事実を述べたにも拘らず否定されてしまった宇髄様は眉を寄せ、ムッとした表情を浮かべた。その空気を察してか、胡蝶様が話の流れを変えるように声をあげた。
「不死川さんが連れて来られたのでしょうか?」
「不死川は随分と前に到着していた。小さな命を森に置いていくとは考え辛い」
不死川様が私の主人であるということを一先ずは受け入れたのだろう。胡蝶様は、不死川様に飼われている筈の私がなぜ風柱邸からも遠いこと場所にいたのかということを話題としてあげた。言葉にはしなかったものの、彼が置いて行ったのかという疑問が言外に含まれていたように思う。
その疑問に対して、岩柱の悲鳴嶼行冥様が落ち着いた口調で話した。不死川様の人柄を知っているのか、どこか断言するような口調だ。
柱の皆様が難しい顔をしている中で、甘露寺様だけはなぜか顔を綻ばせていた。私がじっと見つめれば、その視線に気づいた甘露寺様は少し屈むようにして煉獄様の腕の中にいる私と目線を合わせると、頭を撫でてくれた。
「ご主人様について来ちゃったのね? 健気だわ」
彼女は前向きに捉えたようだ。甘露寺様の発言に、あたりの空気が緩んだように思う。まるであたりを柔らかく照らし、暖める春のお日様のような人だ。
「煉獄さん、私にも抱っこさせてください」
煉獄様はちらりと腕の中の私に視線を向けた。どうするか私に判断を委ねているようだ。私は煉獄様の腕から、甘露寺様の腕の中に恐る恐る移る。
「真っ白で大福みたいね」
抱き止めてくれた甘露寺様は慣れた手つきで私の身体を撫でながら大福みたいだと話した。心地よさから喉を鳴らせば、甘露寺様も小さく笑った。
伊黒様からの視線が刺々しいものから、柔らかいものに変わった。宇髄様からも悲鳴嶼様からも敵意は感じない。受け入れてくれたようだ。
水柱の冨岡義勇様、霞柱の時透無一郎様は表情からその思いを読み取ることは出来ない。周囲の判断に任せるという様子なのだろうか。
全体として受け入れてくれるような空気がある中で、一人だけは表情から緊張が感じられた。胡蝶様だ。笑顔を浮かべられているものの、隙を感じさせない貼り付けたような笑顔だった。
「この子、しのぶちゃんのことが気になるみたい」
何故だろうかとその答えとなるものを求めて観察していた為だろう。私の視線が胡蝶様に注がれていると甘露寺様は明るい声で話した。
「しのぶちゃんも抱っこしてみる?」
「いえ、私は結構です」
甘露寺様が私を抱えたまま一歩近づけば、胡蝶様は笑顔を貼り付けたまま一歩後退した。まだ一度も触れられていないし、近づいてすらいない。嫌われる心当たりはないのだ。
「胡蝶は毛で覆われた動物が苦手だ」
「わざわざ人の弱みをばらす必要ありました?」
私がこの場に来てから一度も言葉を発さなかった冨岡様がこの状況で口を開いた。突然口を開いたと思えば人の弱みを暴露した冨岡様に、胡蝶様は棘のある口調で話しかけた。
胡蝶様に身体を見てもらう為にこのような場所まで来たのだ。毛で覆われた動物というのは今の私そのものだ。どのように距離を詰めれば良いのかと頭を悩ませていれば、身体が宙を浮いた。
「不死川に愛想尽かして家出か?」
宇髄様が私を持ち上げたようだ。楽しげに目を細めて、家出をしたのかと尋ねた。宇髄様は私が言葉を理解している前提で話しかけているようだ。
「そのようなことは無いだろう。毛並みも肉付きも良い。随分と大切にされているようだ」
「降りてぇのか?」
煉獄様は宇髄様の考えを否定した。私の毛並みも身体つきも健康そのものだ。宇髄様は確かめるように私の腹のあたりを揉んだ。
ジタバタと身体を動かせば、宇髄様は地面に降ろしてくれた。敷き詰められた玉砂利がぶつかり、微かに音を鳴らした。
胡蝶様に今すぐにでも診察して頂きたい。しかし毛が生えた生き物が苦手だという胡蝶様に安易に近づいて良いものだろうか。ついつい見詰めて仕舞えば、胡蝶様は居心地が悪そうに視線を逸らした。
「胡蝶のことを見ているな」
「猫ちゃん、こっちで遊びましょう」
煉獄様と甘露寺様が、胡蝶様を気遣うように私の意識を他に向けようとさせた。宇髄様は厚みのある胴体を屈めるようにして私と胡蝶様を交互に見た。
「一応は遠慮しているようだが、胡蝶が気になって仕方がないって感じだな」
「何も持っていませんよ」
状況を宇髄様が簡単に説明すれば、胡蝶様は眉を垂らして笑いながら、餌は持っていないと手のひらを見えるように突き出した。その隙を感じさせない美しい笑顔は、構わないで欲しいという思いがこもった柔らかな拒絶なのだろう。
「あんまりフラフラされても困るし、外に出しとく?」
一歩前に出れば、玉砂利が小さく音を立てた。自分で立てた音に驚いて身体をぴょんと跳ねさせれば、そのまま宙を浮き続けた。どこかをぼんやりと見つめて、会話には積極的に参加されていなかった時透様が私の胴体を掴んだのだ。あまり抑揚のない声で、私を屋敷の外に出しておくかと尋ねた。
それは困る。胡蝶様に嫌な思いをさせてしまうのは心苦しいが、こちらとしても譲れない。時透様の手から逃れようと必死に身体を捩る。
「仔猫に罪はない」
「連れてきてしまった俺に責任がある。そう強くあたらないでやってくれ」
悲鳴嶼様はどうやら私のことを仔猫だと思っているようで、時透様の行動を窘めた。続けて煉獄様が自分に責任があるのだと言って時透様を宥めた。
「じゃあ面倒見てね」
それ程までに関心がなかったのか、時透様は私の面倒を見るように言って、私を掴む腕を突き出した。ザッザッと玉砂利が鳴る音がした。柱の方々の視線がパッと一点に向かう。
「ようやくご主人様のお出ましだ」
「何だァ、人の顔をジロジロと……」
楽しげに笑った宇髄様の言葉で私はこの状況を理解した。不死川様がいらっしゃったのだ。一斉に向けられた視線に不死川様は戸惑いと不快感を露わにした。
「は?」
しかし時透様の手の中にいる私を見て、ピシリと動きを止めた。
「森で彷徨っているところを保護した」
「不死川さんの後を追いかけてきちゃったみたいです」
煉獄様と甘露寺様が私がこの場にいる理由を説明してくださった。言いつけを破ってここまでやってきたのだ。合わせる顔がなくて私は顔を背ける。
「不死川の猫なのか?」
「うるせェ」
「否定はしないんですね」
冨岡様が抑揚のない声で問いかけた。話の流れや不死川様の反応からも、何が真実かは察することは出来ただろう。他の柱の方々は口にしなかったことを、わざわざ口に出して確認した冨岡様に、不死川様は苛立った様子で返した。
怪我が治れば出て行って良いと言われていた。保護してくれているだけで、決して飼うとは口にしなかった。そこには前線に身を置き、死と隣り合わせで生きている不死川様なりの思いがあったようだ。
てっきり関係がないと言われると思っていた為、ぶっきらぼうではありながらも否定されなかったことに驚く。不死川様が苛立ちながらも、冨岡様の問いに否定を返さなかったことを胡蝶様はにっこりと人の良さそうな笑顔で指摘した。不死川様はぐっと言葉を飲み込んだ。
視界が揺れた。やり取りを静観していた時透様が、私の胴体を掴んだままぐるりと不死川様に向き合ったのだ。
「これどうすんの?」
「お館様は寛大なお方だ。小さき命を助けたこと、責めはしないだろう」
「不死川が面倒見るのが妥当だろうな」
時透様から敵意は感じられないが、あまりにも扱いが雑だ。胴体を掴まれて持ち上げられている為、風が吹けば足と尻尾が揺れる。その不安定さは落ち着かない気持ちにさせる。しかしもがけばそのまま手を離されそうだ。
私がじっとしていれば、悲鳴嶼様が正面にやってきて位置を探るようにしながらそっと私の頭を撫でてくれた。穏やかで優しい人柄がその遠慮がちな手つきから伝わってくる。
宇髄様は逞しい腕を胸の前で組んだ姿勢のまま、不死川様に面倒を見るように話した。
「悪りぃ、貰う」
不死川様は後頭部のあたりをガシガシと掻きながら時透様の前にやって来ると、私を預かることを申し出た。時透様は最後まで雑な対応で「はい」と不死川様に私を押し付けた。不死川様はそっと受け取ると、赤子の抱くかのような手つきで抱えてくれた。
その様子を柱の方々は物珍しそうに見てから、それぞれが屋敷の前に移動して片膝をついた。もうじき当主が登場するのだろう。
私のせいで不死川様は面倒事に巻き込まれてしまった。怒っているかと思うと不死川様の顔を見ることが出来ない。ピンと立っていた耳は倒れ、尻尾は丸まり身体の下に隠れた。
鋭く舌先を打った不死川様は背に添えた手をぽんぽんと動かした。
「そう怯えんなァ。来ちまったもんは仕方ねぇ……大人しくしてろォ」
声を荒げることもなく、不死川様は私を連れて柱の皆様の横に並んだ。