猫の撹乱

13
ここ数日体調が優れない。何となく怠いというだけで、傷がある訳でも他にこれといった症状もない為、胡蝶様を訪ねるのも躊躇われた。そのうち治るだろうと、なるべくいつも通り振る舞っていた。
 
「どこか悪いのか」
 
 不死川様にそう聞かれてしまったのは明け方だった。不死川様が用意してくれた布団の中でで丸くなって寝ていれば、布団越しに声をかけられた。
 不死川様の前では特に気を遣い、いつも通りに振る舞っていた筈だ。何故そのように思われたのだろうか。不思議に思いながら布団の端から顔を覗かせる。
  
「いつも以上に丸くなってただろォ。寒かったか?」
 
 動きがあまりにも緩慢としていたのだろうか。体調が悪いことは確信に近いものがあるらしく、不死川様は私が体調を崩した理由について考え始めた。
 不死川様は私の額や喉元、腕の下になどに触れた。体温を確認しているのだろうか。夜間見回りをしていて冷え切った身体を、湯に浸かることで温めたようだ。手のひらから伝わる温もりが心地よくて目を細める。
 
「俺は今から寝る」
 
 唐突な宣言に、驚きながらも頷き返せば、不死川様は呆れたようなため息を吐いた。
 
「察し悪ぃな。一緒に寝た方が暖を取れるだろうがァ」
 
 首を傾げていれば、察しが悪いと悪態を突かれた。しかしその直後に私はようやく話を理解した。不死川様は共に休むことを提案してくれていたのだ。身体が小さければ、体温は外気温に影響されやすい。その為、本来ならば体の小さな動物の方が体温を高く保っている筈だが、私は不死川様の手が温かいと感じるほどに体温が低下していた。
 
「端寄れェ」
 
 掛け布団の端を捲ると、不死川様は端に寄るようにと言いながらもぞもぞと身体を潜り込ませてきた。私が敷布団の縁まで移動すれば、横向きに寝転んだ不死川様は私の身体の下に手を差し込んで、そのまま引き寄せた。
 
「もう少し休んどけ」
 
 頭から腰にかけて撫でてから、眠りを誘うように胴体をトントンと軽く叩かれる。身体が次第に布団に沈み込んでいくような感覚がした。
 心地よさから一転して、不快感によって意識を引き戻される。喉元を何かが這い上がってくると認識したと同時に、口からビシャっと音を立てて溢れ出す。
 
「……名前」
 
 上から掛けられていた布団が剥ぎ取られる。敷布団に広がる小さな水溜りに固形物は混じっていない。朝食を摂る前だったことがせめてもの救いだ。
 咳き込んでいれば、息と共に口から体液が溢れる。苦く舌先を痺れさせるようなその透明の液は恐らく胃液だろう。
 
「まだ出そうか?」
 
 隣に寝ていた不死川様は飛び起きると、私の背を撫でてくれる。これ以上布団を汚さないようにと口を押さえようとするが、不死川様は優しい声で促す。
 
「いいから、吐けるなら吐いちまえ」
 
 布団を汚してしまったというのに、怒りを滲ませるどころか気遣うような優しい声色をしていた。腹が無意識のうちにぴくぴくと動く。落ち着くまで不死川様は背をさすってくれた。
 
「落ち着いたかァ?」
 
 ようやく落ち着いてきた私は不死川様の問いに首肯を返す。敷布団はぐっしょりと濡れている。胃液で濡れた喉元の毛が張り付いて不快だ。
 
「頑張ったな」
 
 身体が濡れた敷布団から浮く。不死川様が腕に乗せるようにして抱いてくれたのだ。頭を撫でてくれる手つきや、労ってくれる声は優しい。不死川様の着流しが汚れてしまうと慌てて退こうとすれば「良いから」と制されてしまう。
 そのまま隣に敷かれていた不死川様の布団の上に降ろされる。
 
「蝶屋敷に向かうのはきついだろォ……胡蝶に来て貰うからそれまで寝とけ」
 
 布団を上からかけると、寝ているようにと言ってから、不死川様は私が汚してしまった布団を外に運び出した。どうするのだろうかと慌てて追いかければ、不死川様は着流しの袖を襷でまとめた格好で井戸の前でしゃがんでいた。
 
「いいから中入ってろォ」
 
 縁側から外に降りて、しゃがみ込んだ不死川様の隣に並べば、ちらりとこちらに視線を向けて僅かに厳しい口調で中に入っているようにと言った。不死川様は洗濯桶と板を用意して布団を洗おうとしていた。このようなことをさせてしまっている申し訳なさから項垂れていれば、不死川様は水を掬った手のひらを私の前に差し出した。
 
「口濯いどけェ」
 
 人間とは違い水を飲む時はちろちろと出し入れする舌に乗せるため、時間がかかってしまう。しかし不死川様は急かすこともなく、じっと手を差し出してくれた。
 水を飲んだことで口内の不快感は薄まった。小さく頭を下げれば、思いを汲み取ってくれたようで「ん」と短く返事をしてから不死川様は手を引っ込めた。
 
「食欲は?」
 
 食欲はあまりない。今食べてしまえば吐き出してしまいそうで躊躇われた。私が首を左右に振れば、不死川様は無理に勧めることもなく「分かった」と理解を示してくれた。
 不死川様は手拭いで濡れた手を拭いてから私を抱き上げた。そのまま布団が敷いてある部屋へと向かわれる。
 
「鎹鴉は飛ばした。すぐに来るから安心して寝ろォ」
 
 胡蝶様にはすでに連絡をしてくださったようだ。私が素直に丸くなって寝る体勢を取れば、不死川様は僅かに目元を柔らげながら私の身体に布団を掛けてくれた。
 
「胡蝶が到着した」
 
 不死川様の気配で目を覚ました。布団から顔を覗かせれば、いつの間にか着替えて隊服を身につけた不死川様が到着したことを教えてくれた。
 
「待ってなァ」
 
 待っているようにと不死川様は私の頭を撫でてから部屋を出た。胡蝶様を出迎えに行ったのだろう。
 布団に寝たままでは失礼だ。身体を起こせば、胃の中をぐるぐるとかき混ぜられているような感覚がして身体に冷や汗が滲んだ。このままではまた布団を汚してしまう。

 緊急事態なのだ。布団を汚すよりは良いだろうと判断して、障子を突き破ると、そのまま外に出た。
 草陰にと思ったが、屋敷の庭でなど言語道断だ。外に出て少しすれば林がある。そこでならば問題ない筈だ。私は必死に足を動かす。

 木々の合間を風が吹き抜ける。葉が揺れるたびに地面に差し込む光が形を変える。
 どこか落ち着ける場所を探そうと低木の隙間に身体を滑り込ませる。木陰で丸くなっていれば、近くで獣の気配がした。

 猫だ。縄張りに入り込んでしまったか? 威嚇をするが怯む気配はない。背中に覆い被さろうとする猫の様子を見て、ようやく状況を理解した。交尾だ。

 気怠い身体を必死に動かして、雄猫を払い除ける。後尾には至っていない為問題はないが、身体の中で渦巻いていた気怠さが熱に変わり全身に広がった。
 身体が熱い。呼吸が短く浅いものに変わる。寂しい。人の尊厳を奪われたあの雪の降り頻る日も同じだった。このまま死んでしまうのだろうかと、柄にもなく暗いことを考えてしまう。

 瞼が重くのしかかってくる。人生の幕を下ろすかのように、争うこともできないような強い力で暗闇へと引き込まれていく。
 
「……知らねぇとこでくたばんなって言ったろォ」
 
 光が差し込み、手がこちらへと伸びてきた。不死川様だ。あの日と同じだ。
 どうやら私を見つけ出すのが上手らしい。隠れんぼをしたらきっとすぐに負けてしまうだろう。

 不死川様の口からは安堵が混じった声と共に白い息が吐き出される。口を開けば私の口からも白い息が漏れた。
 
「知らないところで野垂れ死なれた方が後味悪ぃんだよ」
 
 大きく舌打ちをして苛立ちを表出させたが、不死川様は私を優しく抱き上げてくれる。
 
「突き放し切れなかった俺の負けだ。人間に戻るまでは帰る場所になってやる……だから大人しく帰って来い」
 
 独り言のような声量で話した不死川様に私はか細い声で返事をする。了承を受け取ってくれたのだろう。不死川様は「分かりゃいいんだよ」と言って私の頭を撫でてくれた。
 
「触診させていただきますね」
 
 屋敷に戻れば胡蝶様が待っていた。胡蝶様の手を煩わせる訳にもいかず、大人しく横になった。
 
「気分はいかがですか」
「問題ナイデス」
 
 鎹鴉を通じて返答すれば、胡蝶様は安心したように微笑んだ。
 
「猫は食道が短いので吐き戻してしまうことは良くあるようです。寧ろ毛繕いの際に身体に取り込んでしまった毛を体内から出すには必要な行為でしょうね」
 
 聴診器を片付けながら胡蝶様はゆっくりとした口調で明瞭な説明をしてくれる。
 吐き戻すことは猫にとってはよくあることで、健康でいるには必要な行為でもあるようだ。しかしその度に屋敷を汚してしまい、不死川様に後処理をさせてしまうのは申し訳ないし居た堪れない。
 
「しかし猫としては普通でも、貴女は違います。とても辛いですよね」
 
 心情を察したかのように、胡蝶様は気遣いを含んだ声で私の置かれた状況について情を寄せてくれた。
 瞬きに合わせて長い睫毛がゆっくりと揺れる。感情を覆い隠すような深い紫色の瞳からは以前のような警戒や緊張は感じられない。ただ優しく私を見つめている。
 胡蝶様の視線が私から不死川様へと移される。
 
「櫛で梳かしたり、手で毛繕いをしたりすると少し改善されるようですよ」
 
 予防策を提案してくれたが、これではまるで不死川様に手伝うようにと言っているようだ。猫の姿の時は、膝の上に座れば不死川様は無意識のように私の身体を撫でてくれた。その時に無駄な毛も抜けていたのだろう。
 しかし現在は人間だと知られている。いまさら猫らしく振る舞うのも気が引ける。男女として適切な距離を取ろうと気遣ってくれている不死川様が拒んでくださる筈だ。
 
「……櫛って人間用ので良いのか」
「問題ないかと」
「分かった」
 
 不死川様が拒否してくれるだろうと安心して聞いていれば、不死川様の口からでたのは拒絶ではなく受け入れたかのような言葉だった。胡蝶様の返事を聞くと、納得したように頷いた。
 状況を飲み込めずにいるのは私だけのようだ。何とか理解しようと頭を働かせている間にも二人は何やら小難しい話をしている。
 
「不死川さんは少し席を外していただけますか?」
 
 やりとりが一旦途切れたところで、胡蝶様は不死川様に席を外すようにと話した。不死川様はちらりとこちらに視線を向けた。
 
「何かあったら呼べ」
「そんな取って食おうって訳じゃないですよ」
 
 どちらに向けた言葉だったのだろうか。少なくとも胡蝶様はその言葉が私に向けられたものだと捉えたようで、自分は害を与えるつもりなど毛頭ないとふふっと笑ってから緩い口調で話した。

 不死川様が障子を静かに閉じて退室された。障子には先ほど私が開けた穴がある。これで障子を破ったのは二度目だ。申し訳なくなりながらその穴を眺めていれば胡蝶様がふふっと息を漏らした。
 
「不死川さんに頼んだ私が言えたことではありませんが、少し心配していたんです。荒々しい方ですからね」
 
 障子の方をぼんやりと眺めた胡蝶様は眉尻を垂らしながら笑っていた。胡蝶様は私を屋敷に預かることが出来ず、不死川様に一任してしまったことを気にしてくださっていたようだ。
 
「しかし先日と今回の様子を見て、安心しましたよ」
 
 先日というのは私が不死川様のお身体をみて失神し、そのまま蝶屋敷に担ぎ込まれた時のことを指しているのだろう。そして今回嘔吐をした私を心配して胡蝶様をお呼びになった不死川の行動をみて安心したというのだ。

 鬼を狩る時の形相を見れば、猫の頭を捻り潰しそうな人物だと勘違いしてしまう。多くの隊士はそう思い恐れている筈だ。私もその一人だった。
 
「猫は死の間際に姿を消すと私が不安を煽ってしまったのも悪いのですが、不死川さんは名字さんのことを慌てて探しに行かれたのですよ」
 
 私が消えたところで痒くも痛くもない筈だ。しかし助けられたのはこれで三度目だ。鬼に猫にされて瀕死状態だった時、勝手に家を出て寒さで凍えていた時、そして今回だ。胡蝶様は微笑ましそうに話した。
 
「鎹鴉に探させた方が効率が良いというのに。不死川さんも普段であればそうしていた筈です。しかし貴女のことになるとそうはいかないようですね。人の感情とは難しいものです」
 
 その答えを知っているかのようだったが、胡蝶様はにっこりと笑顔を浮かべるだけで言葉にすることはなかった。
 鎹鴉を通してその理由を尋ねようとしたが、胡蝶様は手をぱちんと叩いて私の声を遮った。
 
「随分と話が逸れてしまいましたね、失礼しました。それで身体の熱っぽさですが、恐らく発情期かと」
 
 胡蝶様は話を元に戻した。そして体調不良の原因について、発情期ではないかと話した。
 熱っぽさや食欲の減少──これらは発情期の猫に見られる症状だと教えてくれた。
 
「自然と落ち着きますから、それまでは外に出ないようにしてくださいね。発情期の際に後尾に至れば、子を宿す可能性がありますから」
 
 真剣な顔つきからは胡蝶様が心より私を心配してくれていることが伝った。先ほどあのまま猫に襲われていたら──と考えると恐ろしさから身体が震えてしまう。
 
「このことは不死川さんにお伝えしても宜しいですか? 心配されているようですし、事情を知っていて貰った方がこちらとしても安心です」
 
 発情期であることについて現在最も側で面倒をみてくれている不死川様に話した方が良いという胡蝶様の主張も理解ができた。しかし元は人間だ。多少の抵抗がある。
 
「もし気がかりなようでしたら、不死川さんにはお伝えせずに発情期が治るまで蝶屋敷で過ごしていただくことも可能ですよ」
 
 私の心の揺れに気付いたのか、胡蝶様は代わりの案も提示してくれた。胡蝶様の元で過ごせるというのは安心出来るし有難い話だが、隊士の治療を請け負う胡蝶様の負担になってしまうのではないだろうか。
 
「今は患者さんも少なくて、部屋に余裕もありますから、大丈夫です。名字さんが良い方を選んでくださいね」
 
 私の心配に先回りをするように、胡蝶様は穏やかな声で不安を取り除いてくれる。とても魅力的な提案だ。
 
「有難イオ話デスガ……」
「分かりました」
 
 魅力的な提案であるにも拘らず、私は鎹鴉を通じてお断りの言葉を伝えていた。胡蝶様はそのように返答するとまるで予測していたかのように、驚いた様子もなくただ微笑んで了承してくれた。
 
「例のことをお伝えしても宜しいですか?」
「ハイ」
「不死川さんをお呼びしてきますね」
 
 胡蝶様は私の意思を確認してから、不死川様を呼ぶと言って部屋を退室された。なぜ胡蝶様ではなく不死川様の元を選んだのだろうか。

 合理的とは言い難い判断をさせた要因について考えるが、熱に浮かされた頭では結論が導き出せない。障子が開かれる音から、不死川様と胡蝶様が戻られたことを知る。
 
「それでは私はこれで失礼しますね。また困ったことがあったら仰ってくださいね」

 治療の為の道具を片付けた胡蝶様は、優しく微笑んでから立ち上がった。
 
「見送りは大丈夫ですよ。それよりも彼女の側に」

 不死川様が門のところまで見送ろうと立ち上がったが、胡蝶様はやんわりと断り、私の側に居るようにと促した。胡蝶様は「不安でいっぱいの筈ですから」と私の気持ちを代弁してくれる。
 
「礼は後日させて貰う」
「そうですね、ほんの少しだけ血液を頂けると嬉しいです」

 冗談とも本気とも取れない言葉を残して、胡蝶様は屋敷を後にされた。
 そういえば胡蝶様は私の容体について、不死川様にお話になっていない。私から伝えなくてはいけない。五十音表を用意しようと布団から身体を起こす。

「……身体のこと、胡蝶から聞いた。大人しくしとけェ」
 
 なるべく不安にさせないようにと気遣ってくれているのか、不死川様は声量を落としてゆったりとした口調で話してくれた。
 どうやら胡蝶様は不死川様を呼びに行った際に伝えてくれたようだ。同席している場面でその話題になれば私は居た堪れなくなった筈だ。胡蝶様の気遣いには感謝しかない。
 不死川様は立ち上がろうとする。
  
「尻尾……」
 
 指摘されてようやく気付いた。私は無意識のうちに不死川様の腕に尻尾を絡めていた。不安な気持ちが表れたのだろう。しかしこれでは引き止めているようだ。慌てて尻尾を解く。
 しかし不死川様は隊服姿のまま布団に入り、私の隣で横になった。
 
「鬼を狩るまでまだ時間はある。昼寝も悪くねぇか」
 
 ひとりごとのように話すと、そのまま仰向けの姿勢になった。私の身体をそっと持ち上げると、自分の胸のあたりに乗せた。私は胴体を胸のあたりに乗せ、左肩あたりに顔を埋める形になった。
 
「落ち着くんだろォ」
 
 声が思ったよりも近くからして耳がぴくりと震えた。よく不死川様の身体の上で寝ていたが、それは不死川様が乗せたからだ。しかしどうやら不死川様はそうすると私が落ち着くと解釈されているようだ。

 訂正するべきかと悩んだが、上下する胸の動きに眠気が誘発されたようで、勘違いされたまま私はそのまま眠りについた。



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