疑心暗猫

14
人間の頃よりも嗅覚が鋭くなった。だからこそ気づいてしまった。見回りから帰宅した不死川様の隊服から他の動物の匂いがするのだ。

 鎹鴉の匂いではないし、ムキムキねずみでもない。私の知らない所で何らかの動物と触れ合っているということなのだろうか。

 出会った頃から不死川様は私を飼うことに消極的だった。怪我が治るまでは保護するが、そのあとは自由にしろと何度言われたことか。
 こんなにも可愛らしい姿をした私にも懐柔できなかった不死川様の心を奪った動物。気になる。

 まるで移り香から亭主の不貞を見抜き、言い逃れができないようにと逢い引きの現場を押さえようとする嫁の如く、私は不死川様が帰宅するであろう明け方に自宅の周囲を探索していた。

 しかしそう簡単に見つかる筈もなく、太陽が随分と高くのぼった頃にようやく諦めて帰路についた。
 
「早く食え」
 
 風柱邸に帰れば、不死川様はどこぞの馬の骨とも知れない動物の匂いを纏いながら、朝食を摂っていた。気配で感じ取っていたのか、視線をちらりとも向けることなく不死川様は短い言葉で朝食を摂るようにと促した。

 ほぐされた焼き魚が乗った皿は、食事台の上に置かれていた。食事台の手前には座布団がいくつか重ねられている。
 
「床に置かれるよりマシだろォ」
 
 猫の姿になってはじめて食事を摂った時には、床に置かれた皿に顔を突っ込む姿勢に抵抗があった。中身が人間である事を知った不死川様は、人間としての尊厳を守ろうとしてくれているようだ。

 座布団の上によじ登ってから、私は不死川様に感謝の気持ちを込めてお辞儀をする。特に反応は返ってこなかったが、気配で私が帰宅したことに気付けるようなお方だ。お辞儀をしたことにも気付いているだろう。

 焼き魚は焼け目がついている部分もあり食欲をそそる。ゆらゆらと立ち昇る湯気が鼻腔をくすぐり、腹を刺激する。いただきますと挨拶をしてから、焼き魚に口をつける。
 
「おい」
 
 不死川様の驚いたような声が聞こえた。その反応も仕方がない。私が悶えるようにして、座布団から転げ落ちたのだから。

 猫舌という言葉が存在するくらいだ、猫は熱いものが苦手なのだろう。焼き魚は湯気が立っていた。それを息を吹きかけて冷ますこともなく、口に入れてしまったのだ。
 舌を突き出すと、自分の手で必死に舌から焼き魚を払い落とす。
 
「火傷したか? 見せてみろォ」
 
 側にやってきた不死川様は、顎を掬いあげるようにして私に上を向かせると、舌を掴んだ。
 まさか舌を掴まれると思っていなかった私は目を丸くする。掴む指先には力が入っていないが、驚きのあまり舌を引っ込めることも忘れて不死川様を見つめ返した。
 
「問題なさそうだなァ」
 
 不死川様の指がそっと舌の表面を撫でた。問題はないと言ったが不死川様は舌を離してはくれない。

 声を上げたいが舌を出したままではうまく発音できず、されるがままの状態で目線だけで訴えた。くにくにと指の腹で揉んで猫の舌の感触を確かめているようだった。

 閉じることも許されない口の端からたらりと唾液が垂れてきた。口元の短い毛をつたうようにして首もとを濡らした。
 舌の表面を熱く蕩けさせる熱や、時折鳴るクチュっという端ない水音、口に溜まった唾液が飲み込み切れずに口端を流れていく感覚──まるで深く口付けをした時のようだ。

 意識してしまったからか、ただ触診のような手付きで触れられているだけだが、落ち着かない気持ちになる。腰にゾクゾクと快感に似た刺激が走り、私は尻をぺたりと床につけるようにして座り込んだ。これ以上は耐えられない。私はくぐもった声で不死川様を呼んだ。
 
「悪い」
 
 ようやくこの状況を理解したのか、不死川様はパッと手を引っ込めると、バツが悪そうに双眸を伏せた。耳のふちまで赤く染まっている。どうやら自分の無意識のうちにしてしまった行いを自覚して、動揺しているようだ。

 ただ火傷をしていないか確認をしようとしてくれて、その中で猫の舌の表面がざらざらとしていることに気付いた不死川様がその構造を興味深く思って触れていただけだ。そこに色欲は存在していない。それなのに一方的に妙な気分になるなど、欲求不満なのかと己のことが心配になってしまう。

 毛で覆われていることによって顔色を悟られないことが救いだった。涎を拭おうと手を口元に伸ばした。
 
「おっさんみたいな声でてんぞ」
 
 猫の身体であることをすっかり忘れていた。口元を手の甲で拭おうとしたが、手の甲には毛が生えていた。自分の毛を口に入れてしまって、嘔吐きかけてしまったのだ。

 舌を突き出すようにして、その上に乗ってしまった毛を自分の手で取り除こうとするが、毛が生えた手では意味がない。

 声など気にする余裕もなく、どうにかこの不快な状態を変えようとしていれば、胴体を掴まれた。不死川様は胡座の姿勢になると、腿の上に私の身体を仰向けの状態にして乗せた。口元に手が伸びてきて、何をされるのかと身を固くしていれば不死川様は「あー」と言いながら口を開いて見せた。
 
「分かんだろォ。分からなくとも察しろ。口開けんだよ」
 
 訳が分からずに呆然としていれば、不死川様は舌先を鋭く打ってから、口を開けろと命じた。先ほど口を開けて見せたのは、同じようにしろという意味だったのだ。

 私の察しが悪いばかりに、不死川様に恥をかかせてしまった。しかし無防備に口を開けた姿はあどけなさがあり、可愛らしかった。そのようなことを考えていれば、その思考を読んだかのように不死川様の眉間にはシワが刻まれていく。
 
「さっさとしろォ」
 
 反応を返さない私に焦れたようだ。不機嫌さの滲んだ声に急かされるようにして私は口を開いた。不死川様は背を丸めるようにして顔を近づけた。
 
「舌出せるか?」
 
 小さな口に指を挿し込むよりも、突き出された舌から毛を取り除く方が安全だと判断したのだろう。おずおずと舌を出せば、そっと指で迎えられる。
 
「気持ち悪ぃよりマシだろォ……手早く済ませるから、我慢しとけ」 

 舌の表面を滑らせるように指先が動いた。神経を直接撫でられているかのように脊梁にビリビリと刺激が走る。その快感をどうにか逃そうと身を捩れば、息苦しさを訴えていると思ったのか不死川様は励ますように声をかけてくれた。
 
「どうだァ? ちったぁマシになったか?」
 
 手拭いで指先を拭った不死川様は私の顔も手拭いで拭いてくれる。舌を口の中で動かしてみるが、毛が張り付いたような不快感はない。首肯を返せば、不死川様は私を床に下ろしてくれた。
 ようやく解放された私は安堵から床に寝そべる。畳のひんやりとした感触が心地良い。

「口の中、弄って悪かったな……気分が削がれちまったなら後でにするかァ?」

 舌を触ったことで私の食欲がなくなってしまったのではないかと心配してくれたようだ。不死川様は食事をまた後でにするかと提案してくれた。しかし何をされようとも腹は空くものだ。私は首を左右に振ると、重ねられた座布団によじ登る。 
 
「図太い神経してんなァ」
 
 食事を再開しようと席についた私の様子を見て、不死川様は片方の眉を僅かに持ち上げながら意味ありげに話した。図太い神経をしているというのは褒め言葉として受け取って良いのだろうか。女性を褒めるにしてはあまりにも無粋な言い回しだ。
 
「腹立ててんのかァ?」
 
 内心はムッとしていたが、それを表情には出していなかった筈だ。気付かれてしまったことに慌てていれば、不死川様はクッと喉の奥を鳴らして笑った。
 
「尻尾に出てんの、知らなかったか?」
 
 顎先をくいっと持ち上げて不死川様は私の尻尾を指した。私の尻尾はバシバシと座布団を叩いていた。無意識だった。慌てて尻尾を自分の身体で隠すがあまり意味もないだろう。
 
「アンタ、どんな人間なんだろうな。じゃじゃ馬であったことには違いねぇだろうが」
 
 じっとこちらを見たまま、不死川様は私の本来の姿に思いを巡らせた。共に生活をしていれば関心を持たない方が無理な話だが、それでもこれ程までに不死川様が私の本来の姿を想像するほど私に関心を持ってくれているとは思わなかった。

 じゃじゃ馬だと評されたのは納得がいかないが、ここで噛み付けばさらに悪評が加わる。私はふんと顔を背け、反応しないことに尽力した。
 食事を終えると、不死川様は玄関に向かわれた。
 
「少し出掛ける」
 
 任務がないというのに出掛けるのか? これは例の相手に会いに行くのではないか? 

 私の猫姿は可愛い。子猫のような愛らしさと、気品がある顔立ちに純白の毛はふわふわとしている。そのような私に靡かなかった不死川様がどこぞの動物に愛を注いでいるというのだ。納得がいかない。

 謎の対抗心を燃やす私は、現場を押さえてやろうと不死川様が出掛けられてすぐに後を追ったのだった。




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