腹部の上に乗せたままでは不死川様が熟睡できないだろうと、一時は枕の隣で眠ることにした。しかし、どうやら自分が思っていたよりも寝相が悪かったようで起きた時には不死川様の顔の上に乗っかり、腹で不死川様を窒息させかけていた。寝ぼけた猫に乗られたことによる窒息が死因では成仏できないだろう。その出来事があってからは、腹の上が定位置となった。身体に乗せられた手がまるで包容してくれているような感覚がして心地良い。
「……見当たらねぇと思ったらここにいたのか」
身体を覆っていた布団が捲られ、黄色く柔らかな朝日が差し込む。布団は相変わらず二組用意されているが、どうせ一緒に休むならば初めから不死川様の布団で寝ていようと思ったのだ。いつもは不死川様が帰宅されてから、不死川様の布団に移動する。布団にいない私を探してくれていたのか、あたりは少し散らかっている。
手が前足の下に差し込まれて抱き上げられる。着流し越しに伝わる体温が心地よくて微睡んでしまう。無意識のうちに不死川様の胸のあたりに頬擦りしたところで、意識が浮上する。
「何だァ……眠いんだろォ、休んどけ」
目をいっぱいに見開いて、縦長な瞳孔を光らせる。突然覚醒した私に驚きながらも、不死川様は寝かしつけるように身体を軽く上下に揺らした。子供扱いをしないで頂きたい。
目の前にある不死川様の胸を前足で蹴ると、身体を捻るようにして腕から抜け出した。軽やかに着地すると、そのまま布団の近くに畳まれていた不死川様の隊服に駆け寄り、鼻先を埋めた。
先ほどまで着ていたとあって不死川様の香りが肺を満たしていく。しかしその中に嗅ぎ慣れない香りがあった。上品な甘い香りだ。
隊士からも恐れられている風柱様に恋人はいないだろうと勝手に考えていたが、実際はとても優しく、愛情深い人だ。親しい女性がいても何ら可笑しくはない。移り香から親しい女性の存在を知ることになるとは思わなかった。
隊服の間に埋めていた鼻先にかさりと何かが触れた。申し訳なさもあったが、畳まれていた隊服を鼻先で退かしてその正体を確かめる。
可愛らしい包み紙だ。中身までは判断がつかないが、それが女性に贈る為に用意されたものだということだけは分かる。
「……人のに突っ込むな」
呆れたような口調で私を咎めた不死川様は、片手で前髪を鬱陶しそうに掻き混ぜた。人の恋愛に突っ込むなということだろうか。
「寝んぞ」
抱き上げられ、身体を胸に押しつけられる。心臓の音が良く聴こえる。その女性への想いの強さを表すかのように、そこには確かに恋心が存在することを主張するかのように激しく脈打っていた。
──嫌だ。
「どこか痛むのか」
離してもらおうと、着流し越しに爪を立てるが、払い除けるどころか不死川様は優しく背を撫でてくれた。しかしその優しさがどうしようもない怒りを増長させた。
親しい女性がいるならば、受け入れて欲しくなかった。目一杯の力で不死川様の身体を押し返せば、力が緩められた。その隙に不死川様の腕の中から抜け出し、障子を突き破って屋敷を飛び出す。
気づけば街にまでやって来ていた。人通りも多いため、気をつけながら道の端を歩く。
「あら、不死川さんのお家の」
「名字名前と言ったか」
鈴の音のように可愛らしい声と、低く穏やかな声が聞こえた。地面に落としていた視線を持ち上げれば、大きく手を振る恋柱の甘露寺様と、その横で静かに佇む岩柱の悲鳴嶼様がいた。
素通りすることもできずに小さく頭を下げる。
「悲鳴嶼さんと同じ任務についていてその帰りなの」
珍しい組み合わせだと思っていれば、その疑問を感じ取ったかのように甘露寺様が疲れを感じさせない笑顔で任務帰りだと教えてくれた。同意するように悲鳴嶼様が頷く。
「良かったら一緒にご飯食べましょう」
どうやらこれから朝食を摂ろうとしていたようで甘露寺様は明るい声で誘ってくれた。朝食を摂らずに屋敷を飛び出てしまった為、ぐぅと小さく腹が鳴った。それを返事と受け取ったのか、甘露寺様はそっと身体を持ち上げ、胸の前で抱いてくれた。
柔らかな胸に身体を押し付けられ窒息しそうだ。前足で押し返せば白い肌に傷をつけてしまいそうだが、声を上げることもできない。
「甘露寺、その者は私が抱こう」
危険な状態にあることを察知してくれたのか悲鳴嶼様は運ぶ役を代わると名乗り出てくれた。甘露寺様の胸から解放され、悲鳴嶼様の腕に移る。腕は太くがっしりとしている為、片手で支えられても身体は安定しているが、悲鳴嶼様はもう片方の手で身体を支えてくれた。衣服から獣、恐らく猫の匂いがする。普段から触れ合っているのだろう。無意識のような手つきで私の身体を撫でていた。
「店主が猫好きだ。此処ならばその姿でも問題はない」
猫を歓迎してくれる店があるだろうかと懸念していたが、猫好きな店主が切り盛りする食事処に連れてきてくれた。綺麗に畳まれた手ぬぐいを机の上に敷くと、その上に私を降ろしてくれた。
お品書きを受け取ると、甘露寺様は無邪気に端から端までを次々に読み上げた。
「食べるのが好きで、いっぱい食べちゃうの」
ぽかんと口を開けたままの私を見ると、甘露寺様は桃色に染まった頬を両手で隠しながら食べることが好きなのだと話した。悲鳴嶼様は甘露寺様が読み上げたお品書きの中から一つ選んで口にした。
店主が猫好きというのは本当のようで、甘露寺様と悲鳴嶼様が頼んだ品の他に猫のために味付けをしていない焼き魚を用意してくれた。
「火傷をしないように気をつけなさい」
悲鳴嶼様は目が見えないのだと聞いていたが、器用に焼き魚をほぐし、私の前に出してくれた。骨も除かれている。とても丁寧で優しい方だ。お礼を伝えてから皿に顔を寄せる。
「何かあったの?」
食事を終え、新たに甘味を注文した甘露寺様は温かい茶で喉を潤してから、私に何かあったのではないかと尋ねた。自分の中で抱え込めないほど大きく育った感情を誰かに聞いて欲しい。しかし個人的な悩みなどで柱のおふたりの時間を奪って良いものなのだろうか。
「元気がなさそうに見えたから」
「他言はしない、話してみると良い」
柔らかく弧を描く眉の端を哀しげに下げ、先ほどの質問をした理由について明かしてくれた。食事に誘ってくれたのも、元気がなさそうに見えた私の話を聞こうとしてくれていたのだろう。甘露寺様の言葉に頷いてから、悲鳴嶼様も話すようにと促してくれた。
言葉が通じないのではないかと思っていれば、甘露寺様の鎹鴉が私の隣にやってきてくれた。頭に飾りをつけて可愛らしく着飾っている。鎹鴉にも話すようにと促され、実は──とことの成り行きを話した。
「それって……」
全てを話し終えると、甘露寺様は頬を桃色に染め、丸い瞳を煌めかせながら期待のこもった声で呟いた。その言葉の先の検討がつかずに、首を傾げていれば、悲鳴嶼様が結んでいた口を開く。
「恋煩いだろう」
精神が不安定になり、不死川様に感情をぶつけてしまうという私の話を聞いた悲鳴嶼様は、それが恋煩いだと話した。触れられれば心が温かくなり、遠ざけられれば胸がずんと重くなる、それらの起因となる感情に名前がついた。
私は不死川様を好きになってしまっていたのだ。
恋心は認めよう。しかし報われる可能性など一寸にも満たない。いつからかは分からないが、静かに、それでも確かに胸の内で育まれていた感情は誰にも知られることなく消えていかなければならない。知られずに消えていく恋心に対して可哀想だなんて、他人事のように考えてしまう。
「荒々しいけれど、そこが素敵よね」
気持ちが沈み込む私とは対照的に、甘露寺様は声を弾ませていた。初めは荒々しいだけの人だと思っていたが、とても優しい人だということは一緒に生活をする中で気づいた。その点については同意ができる。
「ふたりの時の不死川さんってどんな感じなの?」
興味津々といった様子で甘露寺様はずいっと身体を寄せた。甘露寺様の豊かな胸が迫り、驚いて少しよろけてしまった。片手で私の身体を支えてくれた悲鳴嶼様は、興味があるのか意識をこちらに向けているのが分かる。
「身体ヲ冷やさナイヨウニト夜ハ一緒ニ寝テクダサイマス。手前勝手ナ事情デ家出ヲシタ私ヲ迎エニキテクダサイマシタ」
鎹鴉を通して伝えれば、お二人がピシリと動きを止めた。甘露寺様は頬だけでなく胸元まで赤く染め、悲鳴嶼様は眉をピクリと動かした。
「……一緒に寝るなんて大人な関係だわ」
熱をもつ頬を押さえながら甘露寺様は独り言のように呟いた。どうやら齟齬があったようだ。ただ添い寝をしてもらっているだけで、甘露寺様が想像されたような出来事は何もない。
そうではないのだと訂正をしようとしたところで、悲鳴嶼様が口を開いた。
「不死川に特別親しい女性はいない。安心すると良い」
悲鳴嶼様にも不死川様との関係を勘違いさせてしまったようだ。本来ならば訂正をするべきだったが、悲鳴嶼様の話した内容に関心が引き寄せられてしまった。
親しい女性がいないとはどういうことだろうか。女性ものの香が衣類に移っていたし、女性の為に選んだとみられる贈り物もあった。やはり今朝のことが気がかりで悲鳴嶼様の言葉を聞いても素直に喜ぶことができない。
「お館様からの命は、名字名前お前を保護することだ。それ以上の行動は不死川の意思によるものだろう」
「初めて会ったとき、柱合会議の時のことなのだけれど、あの時に不死川さんがすごく大切にしていることが伝わってきたの」
僅かに眉尻を垂らし口元を緩めた悲鳴嶼様は、大きく分厚い手のひらで私の頭を撫でてくれた。甘露寺様は少し興奮したような口調で、客観的にみても不死川様の行動には想いがこもっていると励ましてくれた。こうしてこの気持ちを誰かに知ってもらえて、認めて貰えただけで十分救われた気持ちになる。
お勘定は悲鳴嶼様が持ってくれた。細身の身体に机を埋め尽くすほどの料理を取り込んだ甘露寺様は、悲鳴嶼様に対して何度も深く頭を下げていた。私も同じように頭を下げていれば、悲鳴嶼様がそろそろ帰るようにと促した。
「飛び出して来たのだろう。不死川が心配している」
「そうよね、きっと心配しているわ」
ハッとした表情を浮かべた甘露寺様は、悲鳴嶼様と同様に私に帰宅するように促した。
「各々気にかけてはいるもののこれ程までに情報が集まらないとは……再度集まって情報交換をした方が良さそうだな。近いうちに集合をかける。その際には名字にも参加して貰うことになるだろう」
私を猫の姿に変えた鬼について、情報収集に励んでくれているようだがこれといった成果は得られていないようだ。悲鳴嶼様の言葉に承知しましたという意味を込めて鳴き声を出す。
「成就するよう願おう」
皆までは言わなかったが、先程の話の流れからも何に対する成就を願ってくれているのかは容易に察することができた。悲鳴嶼様は案外、男女の惚れた腫れたに関する話題を好んでいるのかもしれない。羽織を翻し、悲鳴嶼様は立ち去られた。
「じゃあそろそろ私たちも行きましょう」
甘露寺様がそう切り出したところで、「甘露寺」と呼び止める声がした。振り向くと、包帯の下で頬を僅かに紅潮させた伊黒様が立っていた。
「……名字もいたのか」
美しい色の瞳は甘露寺様しか写していなかったようで、伊黒様は驚いたように私を見た。しかし甘露寺様の声がすれば、すぐに視線はそちらに向けられた。
「伊黒さんはどうしてここに?」
三つ編みを揺らしながら甘露寺様が首を傾げた。ふわりと柔らかな香りが広がる。甘露寺様の場合は香ではなく、先程食事処で食べていた甘味の香りだろう。
なぜか伊黒様がこちらにちらりと視線を向けた。不思議に思っていれば、伊黒様が大きく息を吸ってから口を開いた。
「この辺りに新しくできたが評判の良い甘味処がある。甘露寺さえ良ければ……一緒にどうだろうか」
「よ、喜んで」
あまり大きな声ではなかった。言葉の言い終わりのあたりは僅かに掠れ、伊黒様の緊張を感じ取れた。甘露寺様は顔全体を真っ赤に染めながら、嬉しそうにはにかんで承諾した。
以前に街であった際に、伊黒様は自分の言葉で甘露寺様を食事に誘うと話していた。その宣言通り、自分の言葉で伝え、実現させたのだ。拍手をしたくなったが、いまは邪魔をしないでおこうと心の中でおふたりに祝福をする。
「なぜここに居るのだ」
そのままお二人で甘味処に向かうのかと思ったが、伊黒様は私になぜこのような場所にいるのかと気にかけてくれた。下に滑り込んだ手がそっと私の身体を持ち上げた。伊黒様が抱き上げてくれたのだ。
「貴様が怪我をして彼奴が黙っているとは思えん。過保護だからな。甘露寺、すまないがこの者を街の外れまで送って行っても良いだろうか」
「じゃあもう少し一緒にいられるのね」
以前に往来を歩いていて蹴られてしまった場面に居合わせた伊黒様は心配してくれているようだ。人通りが少ない街の外れまで私を送って行っても良いかと、これから甘味処に行く約束をしていた甘露寺様に問いかけた。甘露寺様は目尻を垂らして笑うと、明るく受け入れてくれた。
「先程の問いに対する答えを聞いていないな」
「喧嘩ト言イマスカ、私ガ一方的ニ感情ヲブツケテシマイ、屋敷ヲ飛ビ出シテ来マシタ」
「不死川と? 渡す際に余計な一言でもあったか?」
街の外れへと歩きながら伊黒様は話題を戻した。なぜここにいるのかという問いだった。鎹鴉を通して経緯を伝えれば、伊黒様は不思議そうに眉を寄せた。
渡すとは何のことだろうか。思い当たることがない。首を傾げていれば、伊黒様が長めの羽織に包まれた手で口元を隠した。
「まだだったか……」
口元が布で覆われている為声がくぐもった状態で耳に届く。まだ、とはどういうことだろうか。伊黒様の隣を歩いていることで緊張しているのか、甘露寺様はふわふわと心ここに在らずといった様子で、会話は耳に届いていないようだ。
「先程の言葉は今すぐ忘れろ。良いな」
鋭い声で先程のやり取りを忘れろと伊黒様は言った。話の全貌が見えずに焦れてしまう。視線で不満を訴えれば、伊黒様はふっと息を漏らした。
「何があったかは知らん。だが早めに帰ってやってくれ、随分と頭を悩ましていたからな」
先ほどまで一緒にいたかのような口ぶりだ。何か知っているのかもしれない。根掘り葉掘り聞き出したい衝動に駆られたが、伊黒様はこれ以上話すつもりはないという様子で話を切り上げてしまった。
人通りがない場所までたどり着くと、伊黒様は私をそっと地面に降ろしてくれた。せっかくのふたりの時間を邪魔してしまったのだ。私はお礼と謝罪の気持ちを込めて深く頭を下げる。
「このような場所で油を売っている暇はないぞ。早急に帰るのだな」
やはり別れ際には突き放すような物言いをする。素直ではない方なのだろうか。自分への礼はもう十分だから、早く帰宅するようにという意味であると解釈して良いのだろう。
「私も応援しているからね」
しゃがんで目線を近づけてくれた甘露寺様は、声をひそめながら応援していると話してくれた。何をと言わなかったのは、近くに伊黒様がいたこともあり、配慮してくれたのだろう。
「怪我をしては洒落にならん、慣れた道であっても用心することだな」
伊黒様は最後まで心配してくれた。先ほど、不死川様のことを過保護だと評していたが、伊黒様にも共通する部分があると思う。素直に頷けば納得してくれたのか、ふいっと視線を逸らして甘露寺様に柔らかな眼差しを向けた。
「付き合わせてしまってすまない。客足が絶えない人気店と聞いた、早めに向かおう」
お二人とも緊張は感じられるものの、とても幸せそうだ。背丈があまり変わらない分、歩幅は揃っているようだ。私も応援しています。お二人の背中に向けて、そっとつぶやいた。