猪につままれる

18
あれ程までに念押しされたが、まだ気持ちの整理はついていない。少し遠回りをするため林を通り抜けることにした。
 枝や落ち葉を踏み鳴らしながら歩いていれば何かにぶつかった。目の前には硬く黒い毛で覆われた足があった。
 
「……何だこりゃ」
 
 人間だろうか──身体を持ち上げた人物の顔を見た途端に、人間という確信が持てなくなった。なぜなら猪の頭をしていたのだ。
 
 二本足で立っているし、露出した上半身は人間の身体付きそのものだ。背丈はそれほどないが、鍛え上げられた筋肉を纏う肉体は分厚く、威圧的に感じる。
 
 第一、人間の言語を話していた。私の存在を疑問に思ってつまみ上げたようだが、何だこれはというのはこちらの台詞だ。この者は獣なのか、人間なのか。
 
 猪頭は顔を近付けると、ぎょろりとした目でこちらを見つめた。根本が太い牙は、鋭い先端を剥き出しにしていた。これに刺されては身体に穴が開いてしまう。
 
「饅頭みてぇ」
 
 ぽつりと呟かれた言葉に私は身体を硬くさせる。私の姿をみて饅頭と言ったのだ。以前に甘露寺様が言われた大福みたいというセリフとは本質が異なる。
 
 甘露寺様は甘味に喩えたものの、愛でる気持ちがこもっていた。しかし猪頭のセリフは明らかに他意はなく、そのままの意味だ。饅頭だと認識されている。つまり食べられる。
 
 ジタバタと手足を動かし手から逃れようとしていれば、胴体を鷲掴みにされた。そのまま猪は二足で木々の合間を走り抜けた。風がビュービューと身体に打ち付け、視界が上下に揺れる。噛み締めた歯の隙間から情けない声が漏れる。

 猪頭が足を突っ張るようにして急ブレーキをかけた為、私の身体は大きく揺れた。恐怖から全身の毛がぶわっと広がっているのが分かる。

「紋次郎」
「どこ行ってたんだ、伊之助」
 
 聞き覚えのある声がして、私は脱力してぐったりと垂らしていた頭を持ち上げる。
 
「あれ、君はこの前の」
 
 額に痣のようなものが広がる少年は丸くした目で私を見ていた。猪頭は少年をモンジロウと呼んでいたが、私の記憶が正しければこの少年は竈門炭治郎君だ。

 竈門君の背後からひょこりと顔を出した少年は鮮やかな山吹色の髪の毛をしていた。ざっくばらんに切られた髪の毛は、たんぽぽの花弁を彷彿させる。
 
「炭治郎の知り合い?」
「以前に木から降りられなくなっているところを助けたんだ」
 
 やはり炭治郎君だ。モンジロウとは誰のことだったのだろうかと疑問が残るが、そのようなことは今はどうだって良いのだ。
 言葉が通じる竈門君に出会うことができたのだ。必死に助けを求める。
 
「離してやれよ。その子から死にそうな音してる」
「にゃんころ、てめぇ死ぬのか」
「今のは喩えで、そんくらい緊張の音がするってこと」
 
 たんぽぽ頭の少年が少し呆れたような口調で、先ほど竈門君に伊之助と呼ばれていた猪頭に苦言を呈した。伊之助君は鼻をずいっと近づけ、ギョロリとした目で私を見つめながら死ぬのかと尋ねてきた。死にそうなほどに心臓は跳ね上がっている為、あながち間違いではない。
 たんぽぽ少年は先程の発言は比喩であったことを説明する。これだけ距離が離れていて心音が聞こえるとは俄かに信じ難いが、私の状況を感じ取って代わりに伝えてくれたことには感謝しかない。
 
「何かに狙われてんのか?」
「いや、原因お前だからね」
 
 緊張と聞いて、何かに狙われているのではないかと可能性を浮かべたようだ。携えていた刀を構えながら周囲を見渡す伊之助君に、たんぽぽ少年が素早く訂正する。
 
「なんで俺が原因になんだ」
「怯えさせてんじゃん、現在進行形で」
 
 緊張の原因として挙げられたが、伊之助君は身に覚えがなかったのか憤慨した様子で詰め寄ろうとする。たんぽぽ少年は身の危険を感じたのか、炭治郎君の背に隠れながらも言い返す。
 ふたりに挟まれた炭治郎君はまぁまぁと軽く宥めながら、ちらりと私に視線を向けた。赤みがかった瞳がじっとこちらを見ている。
 
「赤子を抱くみたいにすれば安心するんじゃないか?」
 
 緊張の原因が抱き方にあるのではないかと推察したのか、縦抱きをしてみてはどうだろうかと炭治郎君は穏やかな口調で提案した。伊之助君がぴたりと動きを止めた。
 
「赤子なんて弱ちくて潰しちまうから触ったことねぇ」
「伊之助ならすぐ出来るようになるよ。俺がやってみるから少し見ていてくれ」
 
 先程より勢いを無くした口調で赤子を抱いたことがない為、手法がわからないと話した伊之助君に炭治郎君は明るい声で励ました。両手で私の身体を包むと優しい手つきで自分の胸の位置に運び、そっと抱いてくれる。

 黒い隊服は春めいてきた暖かな陽光をまとっていて心地よい。
 触れ合いならば本物の猫としてくれ──と本来ならば突っ撥ねていたところだが、炭治郎君には助けてもらった恩があるし、伊之助君の素直に学ぼうとする姿は好意的に映った。少しくらい協力しても良いだろう。
 
「出来そうか?」
「ウン」
 
 口を閉ざしてじっと観察していた伊之助君は、炭治郎君に尋ねられると、少しぎこちない口調で答えた。そっと両手が差し伸べられる。たんぽぽ少年は少し不安げに、炭治郎君はにこやかに見守っている。
 差し伸べられた手に頬を擦り寄せ、身体を委ねる。
 
 
「こう……か?」
「いい感じだ、上手だぞ伊之助」
 
 尻と背を支えられながら伊之助君の胸に身体を預ける。ぎこちない手付きだ。決して心地良いとは言い難かったが、気遣いを感じられて応援したい気持ちが湧いてくる。

 不安を気配ににじませながらこちらを窺う伊之助君を安心させるように甘えるような鳴き声をあげれば、僅かに肩の力が抜けた。

 人間の身体つきで、頭部だけは猪なのだと思っていたが、どうやらそうではないようだ。猪頭と身体にはわずかに隙間があって、被り物であることを知る。伊之助君はどのような人物なのだろうか。好奇心が勝ってしまい、私は猪の被り物に手を伸ばす。
 
「何してんだ」
「伊之助の顔が見たいんじゃないか?」
 
 指先が掠めるだけで被り物を外すことができず何度も手を伸ばす。私の行動を訝しむ伊之助君に、炭治郎君が行動の意図を代弁してくれた。
 鼻先で被り物をぐいぐい押していると、伊之助君はぐるりと炭治郎君に顔を向けた。
 
「炭治郎」
「分かった、外すから少し屈んでくれ」
 
 私を抱えたままの伊之助君は自分で被り物を外すことが出来ず、炭治郎君がそっと被り物を持ち上げた。はらりと髪の毛が垂れる。円な瞳は光を帯びてキラキラと光る。
 白い肌に、ふっくらとした唇、長い睫毛に囲まれた大きな瞳、青みがかった少しクセのある髪の毛。あまりの美しさに思わず息を呑んでしまう。
 
「……キラキラしてんな」
 
 伊之助君はぽつりと呟いた。しかしその言葉は私よりも伊之助君を表現するにふさわしい。まっすぐに向けられる視線と称賛の言葉がこそばゆさを感じるものの、彼の表情が柔らかく先程のような恐怖感はない。
 
「少しそのままでいてやれよ、落ち着いたみたいだし」
「伊之助の顔を見て優しい人だって気づいたんだよ」

 たんぽぽ少年と炭治郎君が微笑ましそうに伊之助君を見ていた。
 
「ちっせぇな。お前ひとりなのか?」

 頭がすっぽりと手のひらに収まってしまうことに気付いたのだろう。恐る恐るといった手つきで撫でた伊之助君はじっと目線を合わせたまま一人なのかと尋ねた。誰も付き添いは居ない為伊之助君の問いに首肯する。
 パッとたんぽぽ少年がいる方に顔を向けた伊之助君は私の胴体を掴んだ。

 弧を描くようにふわりと身体が宙を舞う。手足を必死に動かすが空中を歩けるはずもなく、内臓を置き去りにしたような感覚とともに落下する。

「善逸、そいつ持っとけ」
「ウソだろ」

 伊之助君の声が聞こえて瞑っていた目を開けば、落下地点にたんぽぽ少年が待ち構えていた。たんぽぽ少年こと善逸君を信じて伸ばしていた手足を丸め込めばしっかりと胸に抱き抱えてもらえた。

「生き物を投げるんじゃありません、びっくりしちゃうでしょうが」
「待つんだ伊之助」

 突然投げられたことに驚いたのは善逸君も同じだったようで、胸元に耳を寄せれば心臓が激しく鳴り響いていた。
 驚きから裏返った声で窘めるが、伊之助君はどこかへ走り去ってしまった。そのあとを炭治郎君が追っていってしまった為、残された私は気まずさからちらりと善逸君を見る。
 
「ごめんなぁ、驚いただろう? あんなだけど悪いやつじゃないからさ」
 
 目があった善逸君は申し訳なさそうに眉を下げ頬を掻きながら、取りなすように話した。伊之助君は行動が豪快なだけに誤解されやすいが、根はとても素直で優しい子なのだろう。

「下に降りる?」

 首を縦に振れば、善逸くんは驚いたような表情をしながらもそっと草の上におろしてくれた。

「意思疎通ができる動物って鎹鴉だけかと思ってたけど、猫にも居るんだなぁ」

 感心したように呟く善逸くんに元は人間だという秘密を話してあげたくなったが、伝える手段はないため頷くだけにとどめた。

「それにしても置いていくとかひどくない? 誘ってくれてもいいと思うだろう?」

 目線を合わせてくれたのか座り込んだ善逸くんは手持ち無沙汰だというように地面に生えた草をいじりながら同意を求めてきた。置いていかれてしまったことを気にしているようだ。

 草をいじっている手を鼻先で押し上げ、手のひらの下に滑り込んだ。少しでも癒されてほしいという気持ちから身体を擦り寄せた。

「もしかして俺のこと慰めようとしてくれてる? 君は優しいなぁ」

 思惑に気づいてくれたようでへにゃりと眉を垂らして笑った善逸くんは頭を撫でてくれた。

 善逸くんのひとりごとに私がニャーと鳴いて返事をするというやり取りをしていると、少し遠くの木々が大きく揺れて地響きのような音がした。

 驚きから善逸くんの膝に飛び乗り、何かが向かってくる方角をじっと見つめた。
 黒い影がパッと私たちが座っている開けた場所に飛び出してきた。その影の正体をみて私は脱力した。地響きの原因は伊之助くんだったのだ。

「もっと静かに出てこいよ、この子がまた死にそうな音になってるだろ」
「ツヤツヤのどんぐりだ」

 呆れたような善逸くんの声を遮ったのは伊之助くんの誇らしげな声だった。目の前にずいっと近づけられたのはどんぐりだ。冬の間は雪の下に埋もれていたのか、それとも小動物によって土の中に隠されていたのか腐ってもひび割れてもいない美しい状態だった。

 なぜどんぐりなのだろうか。餌を与えようとしてくれているのだろうか。毒がないことは確かだが、猫がどんぐりを食べている姿を見たことがない。彼の好意をどのように受け取ることが正解なのか分からずに戸惑ってしまう。

「足りないか? ならこれも付けてやる」

 反応がなかったことから贈り物に不満を持っていると考えたのだろうか。伊之助くんはポケットから新たにどんぐり取り出した。形といい艶といい完璧だ。
 

「それは伊之助が大切にしていたどんぐりじゃないか?」
「子分のためだ。お前にやる」

 差し出されたどんぐりは伊之助くんにとっての宝物だったようで、炭治郎くんは驚いた様子で指摘した。出会ったばかりではあるもののどうやら私を子分と認定してくれたようで、伊之助くんは子分の私であれば譲っても良いと話してくれた。

 伊之助くんは腰に巻きつけている獣の皮で軽くどんぐりの表面をみがくと、太陽にかざした。
 
「こうするとぴかぴかすんだよ。これで寂しくねぇだろ」

 滑らかな表面は太陽の光を反射させ煌めいている。このような場所にひとりぼっちでいた私が寂しくないようにと、自分の大切なものを譲ってくれたようだ。驚きから反応を返すことができずただどんぐりを見つめていた。
 
「足りねぇか?」
「いや、きっと伊之助の気持ちが嬉しかったんだよ」
「嬉しそうな匂いがする」

 善逸くんは聴覚、炭治郎くんは嗅覚が優れているようで私の様子から思いを代弁してくれた。

「親分だから子分が喜ぶことをするのは当然だ」

 伊之助くんは私の脇の下に手を入れるとそのまま持ち上げ、顔に近づけた。人柄を知ったからか先ほどのような恐怖感はない。その様子を炭治郎くんたちは微笑ましそうに見ていた。

「持って帰りやすいように何かで包んであげた方がいいな」
「分かった。草で包めば良いんだろ」

 持ち運びがしやすいようにと何かに包むという炭治郎くんの提案に、伊之助くんは名案が浮んだというような明るい声をあげた。

「あ、これとか大きくて良さそう」

 立ち上がった善逸くんは垂れ下がった枝から大きな葉をもぎった。

「それかぶれるやつだぞ」
「え?」

 ちらりと視線を向けた伊之助くんは淡々とした口調で触るとかぶれてしまう植物だと指摘した。善逸くんの手からひらひらと葉が落ちていった。

「触っちゃったんですけど」
「騒いでみっともないぞ善逸。大丈夫、ただ痒くなるだけだから」
「痒いだけって、痒いのも嫌なんですけど、もう少し心配してくれよ後生だからさぁ」

 身体を震わせながら甲高い声で悲鳴をあげた。困ったように眉を寄せた炭治郎くんはいつもと同じように穏やかな口調で、少しずれた励ましをした。彼の励ましの言葉に違和感を感じたのは私だけではないようで、心配して欲しいのだと嘆いて縋り付いていた。

「これでいいな」

 このような状況にも慣れているのか動じない炭治郎くんは葉と茎を使って風呂敷のようなものを手早く作ると、私の身体にくくり付けてくれた。
 
「伝令、伝令」
「そろそろ行かなくちゃいけないみたいだ」
 
 バサバサと羽の音をさせながら頭上を飛び回る鎹鴉は次の指令を伝えた。任務に向かう3人とはここでお別れだ。炭治郎くんの言葉に頷く。

「にゃんころ、一緒に来ても良いんだぜ」
「この子は帰る場所があるから俺たちとはここでお別れだよ」
 
 心配してくれているのか伊之助くんは自分たちと共に来ても良いと言って誘ってくれた。腹を立てて飛び出してきたとしても、帰りたいと思う場所はやはり決まっているのだ。首を左右に振って一緒に行くことはできないと伝えれば、事情をそれとなく把握してくれている炭治郎くんは説明を加えてくれた。
 じっと私の瞳を見つめてから伊之助くんはこくりと頷いた。

「君とはまたどこかで会えるような気がするなぁ」
「次は禰󠄀豆子ちゃん……炭治郎の妹で、訳あって昼間は会えないんだけど、禰󠄀豆子ちゃんにも紹介させてよ。可愛くて優しい子だから仲良くなれると思うんだ」
「禰󠄀豆子も喜ぶと思う」

 炭治郎くんには禰󠄀豆子ちゃんという妹がいるようだ。昼間には会うことができないという事情は、炭治郎くんが背負っている木箱の中からする気配と何らかの関係があるのだろう。
 
 鬼殺隊の頃の私であれば追求しただろう。しかし現在は猫である為、詮索したところで対処できない。何より彼らを信じたいという思いから私はふたりに了承の意を込めて頷き返した。

「変なやつに食われんなよ」

 捕食される危機を感じたのは後にも先にも伊之助くんにだけだろう。

「食われんなって不吉なこと言うなよな」
「じゃあなんて言うんだよ」
「また会おうで良いんじゃないか?」

 炭治郎くんの言葉を参考にしたのか、伊之助くんは「またな」と言って大きく手を振ってくれた。確約はできないことは分かっているが、また会おうという約束が力を与えてくれることはよく知っている。また会える日を願いながら、四人を見送った。
 
 悲鳴嶼様にも甘露寺様にも、そして伊黒様にも応援してもらったのだ。伊黒さんの意味深な言葉の意味も気になる。腹を決めて不死川様と答え合わせをするべきなのだろう。

 ここに来るまでの足取りは重かったが、なぜだか今は不死川様に会いたくてしょうがない。草を踏み鳴らしながら私は帰路についた。
 



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