雨降って地固まる

19
屋敷に到着して不死川様の姿を探すが、台所にもお部屋にも見当たらない。どこかに出掛けてしまったのだろう。

 空は灰色の雲に覆われ、嵐になりそうな様子だ。縁側で不死川様の帰りを待つが一向にお戻りになる気配はない。

 冷たい風が吹き庭の木々を揺らす。寒さを凌ぐために縁側に布団を運び出そうとするが小さな身体では押し入れから引っ張り出すこともできない。

 視界の端に捉えていた黒い物体に目を向ける。不死川様の隊服が脱ぎ捨てられていたのだ。私が家出をする原因にもなった香水の匂いが混じった隊服だ。

 代案も浮かばなかったため不本意ではあるものの隊服を縁側まで運ぶとそこに包まった。時間が経ったからか香水の匂いはしない。隊服の間に潜り込めば不死川様の匂いで肺が満たされていく。

「……人のに突っ込むなって今朝も言ったろォ」

 安心したのかいつの間にか寝ていたようだ。次に目を覚ました時には不死川様が目の前にいた。隊服の中から抱き上げられる。
 眠りを邪魔された私はつい非難めいた視線を向けてしまう。

「汗くせぇだろォ」

 深いため息をついた不死川様は言いにくそうに口を小さく動かして理由を話した。人のに突っ込むな──聞き覚えのあるフレーズだ。それもそのはず、今朝不死川様に言われた言葉だ。

 あの時私はいまと同じように隊服に顔を埋めていた。人の色恋について口を挟むなということかと思ったが、使用済みの隊服に顔を突っ込むなという意味だったのではないだろうか。
 都合の良い解釈かもしれないが、妙に腑に落ちた。

 この状況に不釣り合いなハッハッと荒い息遣いが聞こえた。不死川様に抱かれたままの私はちらりと視線を下に向けた。目をキラキラと輝かせた犬がいた。

 ピンと立った耳に、つぶらな瞳、身体は鎹鴉のように美しい黒色をしていて、目の上あたりには一部だけ白い毛が生えておりまるで公家のようだ。人間の時であれば可愛らしいと愛でていただろうが、猫の身となった私にとっては巨大な獣でしかない。

 尻尾をふりながら不死川様の足元をうろうろしている。目があった瞬間に飛びかかってこようとする犬に対して私は毛を逆立て威嚇のような声を出す。
 
「この頃近くのおんぼろ神社に住み着いてるんだよ。嵐で神社ごと吹き飛ばされそうだから連れてきた」

 屋敷から少し離れた場所に古びて誰も足を運ばないような神社がある。神社といっても大層なものではなく、小さな境内は荒れ果てているし、奥に腐食してしまった小さな賽銭箱が置いてあるくらいだ。
 これから嵐がくることを見越して放浪していた犬を保護してきたようだ。

「随分ト懐イテイマスネ」
「何回か食い物をやったくらいだ」

 この頃不死川様が衣類につけていた獣の匂いとこの犬の匂いは一致する。鎹鴉を介して嫌味っぽく伝えれば、不死川様は怪訝そうに眉根を寄せた。

 彷徨っていた犬に施しを与えただけのようだが、心地よい時間を奪われた私としては面白くない。大人気ないとは思いながらもふいっと顔を背けた。

「仲良く……ってのは無理そうだなァ」

 その様子を見ていた不死川様は困ったように頭を掻いていたが、私は物分かりのいい女にはならない。優しさを独り占めしたいと思って何が悪い。首を大きく縦に振って不死川様の言葉に同意する。

「……隠にコイツの世話頼んでくるから待ってろォ」

 今日は隠の方の姿が見えない。恐らく天候が荒れることを考慮して帰宅を命じたのだろう。風柱邸の管理や身の回りの世話を担当しているお付きの隠は、屋敷の近くに構えた自宅から通っている。その自宅で預かってもらえるよう頼みにいってくれると言うのだ。

「怖ぇなら無理して一緒に来なくていい、大人しく留守番しとけ」

 そう言って私の頭を撫でると、犬を小脇に抱えて隠の元に向かってしまった。雨が降りそうだというのに傘も持たずにだ。不死川様の足ならば雨が降る前に戻って来られるだろうか。

 気持ちが落ち着かずにうろうろしてしまう。雨粒が葉に当たる音がした。外を見遣れば大きな雨粒が不規則に降っていた。

 灰色の雲に覆われていた空もさらに黒を混ぜた暗い色に変わっていた。まだ八つ時だというのに真夜中のようだ。

 鬼殺隊の頃は夜に活動することが当たり前だったというのに、このまま闇が広がり呑み込まれてしまうのではないかと少しの恐怖を覚える。

 当たりが一瞬だけ青白く光った。閃光を追いかけるようにしてドンという大太鼓を叩いたような腹に響く音が鼓膜を揺らした。
 何が起きたのか分からず私はバタバタと足を動かした。
 
「名前」

 頭が真っ白になっている中でもその声だけはしっかりと私の元に届いた。不死川様が戻ってきてくれたのだ。

「馬鹿」

 なぜだか不死川様は慌てたような様子だった。胸に飛び込んだつもりが身体は地面に向かって落ちていった。地面はぬかるんでいた為打身にはならなかったが、水溜まりに顔から突っ込んでしまったのだ。

「雨の中飛び出してくんなァ……綺麗な面が泥まみれじゃねぇか」
 
 水溜りから私を引き上げてくれた不死川様は呆れたような困ったような表情をしていた。帰宅する途中で雨に降られたのか全身濡れている不死川様はさらに濡れることを厭わず、着流しの袖で顔を拭ってくれた。

 すぐ近くの空がピカッと光り数秒もしないうちに空気を揺らすような音が響いた。助けを求めて不死川様に縋り付く。

 頬に温もりが触れ安心感から胸を撫で下ろした。暗いため自分が咄嗟に隠れた場所はどこなのか分からずにいたが、直に振動が伝わってきた為すぐに理解した。──不死川様の懐に頭を突っ込んでしまったのだ。

「頭隠して……何とやらだな」

 この様子では不死川様のお身体も泥だらけだろう。お叱りを受けるのも当然のことに思えたが、叱るどころか不死川様は小さく笑ってから私の尻尾がはみ出ていることを指摘した。

 雷鳴は次第に近づいてきているようで低い音が鳴り響き、内臓を僅かに浮かせた。心臓が痛いくらいに激しく拍動している。
 
「そのままでいいから、大人しく抱かれとけ」

 着流しの中に不死川様の手が侵入してきた。摘み出されてしまうかと思ったが、不死川様の手は私の腹のあたりをポンポンと叩いてから、身体を支えるように添えられた。

 腕に尻尾を巻き付けたのは無意識のうちだったが、それを振り払われることもなく不死川様は「へそは隠しておいてやるから安心しなァ」と揶揄ってから屋敷に上がった。

「これ、どうした?」

 箪笥から新たな着流しを出しながら不死川様は私が背負っていた葉の包みについて尋ねた。いまの私は頭隠して尻隠さずという状況で、頭が不死川様の脇腹あたりにあった。これでは外の様子を知ることが出来ない為、雷鳴に警戒しながらも着流しの中でもぞもぞと動く。

「誰かに貰ったのかァ?」

 葉をつかって包みは現在の肉球がついた可愛らしい手では作ることが出来ない。それを不死川様も分かっているため、誰かから貰ったのかと聞いた。鳴き声で返事をすれば不死川様は少しの逡巡を見せた。

「貰ったもんを俺が開けちまうのは忍びねぇが、濡れたまま放置すんのもなァ……乾かしといてやるから開けても構わねぇか?」

 中身が何であっても濡れたまま放置するよりは、しっかりと乾かした方が良いと考えたのだろう。伊之助くんは自分が大切にしていたものを譲ってくれたのだ、私も大切にしたい。不死川様の提案はとても有り難く、首を何度も縦に振ってお願いをした。

「どんぐり……随分と綺麗じゃねぇか」

 丁寧な手付きで木の葉の包みを解くと、どんぐりを摘み上げた。綺麗だと共感してもらえたことがうれしくて私は尻尾を揺らした。

「擽ってぇよ」

 揺らした尻尾が脇腹をくすぐってしまったのか不死川様は身体を揺らした。

「ここに仕舞っておいてやる。大切なんだろォ」

 箪笥の上には見覚えのない木箱が置かれていた。手のひらほどの大きさの木箱に不死川様はそっとどんぐりを入れてくれた。

 木箱には何やら彫刻が施されているようだった。蔵にでもあったものを出してきたのだろうか。間近で見たいという気持ちが強くなり、私はひょいと不死川様の肩に飛び移る。

 木箱の中にはどんぐりが二つと、柘植でつくられた櫛が入っていた。櫛の表面に施された蒔絵は、金色で牡丹が描かれていた。華やかさと上品さを兼ね備えている。

「……これは、アレだァ……伊黒が櫛の一つくらい贈れってうるさかったからだなァ……それに胡蝶も櫛で梳かした方が良いって言っていただろォ」

 居心地悪そうに視線を逸らした不死川様ははっきりとしない口調で言い訳をした。胡蝶様の件でようやく合点がいった。腹の中に毛を溜め込んでしまい身体に不調をきたしていた私に対して、胡蝶様は定期的に櫛で毛を梳かすことで改善できるのではないかと提案してくれた。つまりこの櫛は不死川様が私に贈ろうとして選んでくれたものなのだ。

 先ほどお会いした伊黒様の不可解な言葉もようやく理解できた。以前に甘露寺様への贈り物をどうするべきか悩んでいた伊黒様に、女性であれば簪や櫛を贈られると喜ぶのではないかとお伝えした。そしてその少し後に偶然会った不死川様に対してその事を教授していた。

 伊黒様に促されたということは確かだろう。しかし適当に選んだ訳ではないということは、今朝の伊黒様の発言から確信できる。不死川様が頭を悩ませながら選んでくれたその品はとても美しく、胸をときめかせた。


「勝手に買ってきただけだァ……要らねぇなら棄てろォ」

 まさか不死川様から贈り物をくださるとは思いもしなかった。前櫛は装飾品としても髪の毛を梳かすために使うことも出来るだろう。

 牡丹は蕾の時は小さくかたく閉じているが、大きく美しい花を咲かせる。この事から幸せになることが連想され、縁起の良いものとされている。そこまで深く考えて選んだかは分からないが、贈ろうと思ってくれたこと、自ら選んでくれたということが何より嬉しい。

 
 今朝隊服から感じ取った香水の匂いは呉服屋を見てまわった際に染み付いてしまったもので、隊服の中から見つけた贈り物はこれだったのだ。その証拠に見覚えのある可愛らしい包み紙が破り取られている。

 そっぽを向いてしまわれたが、耳のふちが赤いことから照れているだけだと分かる。この喜びを伝えようと私は不死川様の頬に身体を擦り寄せた。

 不死川様の頬に茶色の跡が広がる。なぜと不思議に思ったがすぐにその原因が思い当たった。先ほど私は水溜りに頭から入ってしまい、顔が泥だらけになっていたのだ。その身体で擦り寄れば、泥が移るのは必然だった。

「上官に泥をなすりつけるとはなァ……」

 持ち上がった口角はピクピクと引き攣っているし、声は末尾に向かうに連れて低くゆっくりとした口調になっていた。怒らせてしまった。言葉の通りに私は不死川様の顔に泥を塗ってしまったのだ。

 贈り物をいただいたというのに何という仕打ちだ。自分の失態を帳消しにするべく不死川様の頬の汚れを舌でぺろぺろと舐め取る。

「間に受けんな。あと舐めんのはばっちいからやめとけ」

 照れ隠しに先程のような高圧的な言動を取ったようだ。不死川様は私を腕に抱え直すと、もう片腕で着替えを持って部屋を出た。

「このまま風呂入んぞォ」

 ──彼は何と言ったのだろうか。




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