嵐の前の静けさ

22
このまま続けば良い、そう思った幸せな日々は簡単に壊れるものだ。いま思えばあの日から少しずつ何かが変わっていた。

◇◇◇

 いつものように不死川様の上で寝ていた。ずり落ちないようにとそっと手を添えてくれるところが好きだ。添えられた手に尻尾を絡めれば、薄らと目をあけて掠れ声で「良い子」と言って応じてくれるところが好き。

 私が床に降りれば、寝た状態であっても布団の外に手を伸ばして探してくれるところが好き。枕元に近寄れば、安心したように私の身体に頬を擦り寄せてくれるところが好き。

 好きだから触れたい、そのように思うのは至って自然なことだ。
 私の歯形が残っている唇は僅かに開いていた。瘡蓋ももうじき剥がれ完治するだろう。労るように下唇を舐める。

「……そういうのは起きてる時にやれ」

 唇がゆっくりと動き、掠れた声を発した。ゆっくりとした瞬きに合わせて睫毛が揺れている。まだ意識が覚醒しきっていないのか、話し方はのったりしている。
 起きている時であっても先程のような行動を許してくれるというのか。驚いていれば、不死川様の手が私の頬を撫でた。
 
「……それとも待てなかったかァ? 堪え性のねぇやつ」

 私のヒゲを毛の向きに合わせて撫で付けながら、不死川様はフッと口元を緩めて笑った。目蓋がゆっくりと下がっていく。
 この穏やかな時間が好きだ。枕の近くに丸くなって寝転んだ私は不死川様の寝息を感じながら眠りについた。

 鎹鴉の鳴き声は好きではない。穏やかな夢の中にいようとも、好きなものに熱中していようともその一鳴きで現実に引き戻す。

 鎹鴉の声がして私と不死川様は跳ね起きる。障子を開けば、屋敷の上空をクルクルと旋回している鎹鴉が不死川様の肩に降り立った。

「出掛けるぞ」

 鎹鴉からの伝令を聞いた不死川様は眉を顰めていた。不機嫌というよりも不安げな表情だった。

 どのような内容だったのか聞き取ることができなかった為、不死川様の足元に近寄る。気配に気づいてくれたのか視線をこちらに向けてくれた。

「お館様がお呼びだ」

 私もお呼びということは、このような姿にした鬼について何らかの話があるのだろう。不安を抱えながらも静かに頷いた。

「久方ぶりだな」

 不死川様と共にお館様の元に向かえば、すでに到着していた伊黒様が話しかけてくれた。

「その様子だと収まるべきところに収まったようだな」
「あー、まぁお陰様でな」

 不死川様が櫛を選ぶ際に助言をした伊黒様はその後を気にしてくださっていたようだ。協力を仰いだ手前報告をする義務があると思ったのか不死川様は誤魔化すことなく肯定した。

「あら、名字さんもいらっしゃったのですね、こんにちは」
「今日は不死川と共に来たのだな」

 お庭の奥の方で立ち話をしていた胡蝶様と煉獄様に会釈すればにこやかに応じてくれた。
 
「あの一件に何らかの進展があったということでしょうか?」
「それは喜ばしいことだな」

 首を僅かに傾げ胡蝶様が投げかければ、煉獄様は召集がかかった理由を自身の中で結論づけた上で喜ばしいことだと明るい声で話した。

 このまま不死川様に抱き上げてもらった状態で良いのだろうか、失礼にならないだろうかと、ふと思った私は不死川様の顔を仰ぎみる。
 視線に気づいてこちらを向いた不死川様は「あぁ」と納得したように呟いてから私の身体を持ち上げた。

「落ちんなよ」

 そのまま地面に降ろしてくれることを期待していたが、不死川様は私を肩に乗せた。他の柱の方とも目線を合わせやすいようにという気遣いだったのだろう。
 抱っこされたままでは失礼だと思い地面に降ろしてくれと目線で訴えたのだが、さらに状況は悪化しているように思う。

 近くに鎹鴉はいない為、鏑丸様に通訳を頼み伊黒様の口から伝えてもらう他ないだろう。鏑丸様に伝えれば、少し頷いてから伊黒様に耳打ちしてくれた。

「本人が気にしていないならば問題ないだろう。それに俺にはそれを伝える義理はない。蹴られたくなければ不死川の言った通り、そこで大人しくしておくことだな」

 不死川様が気にしていないならば問題はないと伊黒様は鼻をふんと鳴らしてから言った。伝える義理はないと突き放しながらも、蹴られないように安全な場所にいろと心配してくれる伊黒様はやはり優しい方だ。

「意思疎通できたのか?」
「鏑丸を通してだがな」
「そんでこいつは何て?」
「さぁな、本人に聞くと良い」

 鎹鴉なしで私と伊黒様が会話をしていたことに不死川様は驚いた様子だった。不死川様がお顔をこちらに向けようとした気配を感じ、咄嗟に私は前足で頬を押し返した。

「随分と仲良くなられたようで微笑ましい限りです」
「不死川から一本取るとは天晴れだ」
「甘やかすなァ」

 片側の頬を押しつぶされた不死川様をみて胡蝶様は小さく肩を揺らしながら笑っていた。煉獄様は私が不死川様に一撃を食らわせたことについて天晴れだと笑った。

 上官に歯向かうなど本来ならば許されることではない。違反行動を許容したお二人に甘やかしすぎだと不死川様は指摘をしたが、私の行動を咎めない不死川様も甘やかしてくれているように思う。
 
「それにしても以前にも増して美しくなったな」

 こちらをじっと見つめていた煉獄様は突然口を開いたかと思うと、恥ずかしがる様子もなく容姿について触れた。打算するような人ではないことを知っている為、純粋な褒め言葉に胸をときめかせてしまう。
 
「煉獄、やめといた方がいいぜ?」
「なぜだ」

 気配もなく現れた宇髄様は、煉獄様の後ろからひょっこり顔を出した。やめておいた方が良いと謎の忠告をしたお顔はとても楽しげだ。訳がわからずに宇髄様を見ていれば、彼は「見てみな」といって顎をしゃくってみせた。

 煉獄様の視線がこちらに向けられた。ふむと考えた様子だったが、すぐに得心したように「なるほど」と声をあげた。

「男女の仲になっていたとは気付かず申し訳ないことをした。先程の言葉に他意はないから安心してくれ」

 快活な口調で謝罪と訂正をした煉獄様は悪意なく情報を拡散した。伊黒様はこの状況に頭を抱えていたし、胡蝶様は困ったように眉尻を下げていたような状況で、宇髄様だけは目尻に涙を浮かべながら腹を抱えて笑っている。

 深いため息をついた不死川様は眉を寄せたままの表情で宇髄様を睨んだ後、煉獄様を見遣った。

「声がでけぇし、変な勘ぐりはやめろォ」
「唇の傷、良くなったな?」

 呆れたような声で煉獄様の行動を咎めた不死川様に対して、宇髄様は楽しげに唇の傷について触れた。皆様の視線が不死川様の唇に注がれる。
 不死川様のお顔が真っ赤に染まっていく様子が視界の端に映った。

「そのお顔ではあまり説得力がありませんね」
「ただ傷つけ合うような関係は好ましくないが、人には趣向というものもあるだろうし、互いに納得しているならば何も言うまい。恥じる必要はない、胸を張ると良い」

 指を揃えた手で口元を隠しながら小さく笑った胡蝶様は、不死川様のお顔が紅潮していることを指摘した。煉獄様は不死川様の傷をみて妙な勘違いをされたようだ。

 居た堪れなくなった私は、申し訳ないと思いながらも不死川様を残してその場を逃げ去る。

 冨岡様がなぜだか庭の端で、皆様に背を向けて立っていた。玉砂利を踏む音で気付いてくれたようで、こちらを振り返ってくれた。

「あれからお前のことが忘れられずにいた」

 薄い唇を開いたかと思うと、冨岡様は衝撃の発言をした。愛を囁きのようだが、甘い雰囲気は一切ない。
 先程の発言から考えられる可能性は二つ、愛の囁きである可能性と、もう一つが恨みを買った可能性だ。しかし声からは怒りや憎しみも感じられない。

 恐らく言葉足らずと選び方が影響しているだけだろう。悩んだところで冨岡様の思考を完全に理解することは難しい為そう結論づけた。

「いいのかよ、あれ放っておいて」
「知るかァ」

 遠くで宇髄様の楽しげな声と不死川様の素っ気ない声が聞こえた。在らぬ誤解を招かなければ良いのだが。

「……また抱いても良いだろうか」
「えっ」

 どうして嫌な予感というのはこうも的中するのだろうか。しんと静まり返った庭に、今しがた到着された甘露寺様の驚きの声が大きく響いた。



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