可愛い猫は旅をする

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不死川様が屋敷を空けて二日目だ。
 柱ということもあり多忙なのだろう。鎹鴉に任務を伝えられ、不死川様は隊服を身につけて出掛けていった。不在時に食事をどうするべきかと悩んでいれば、隠の者がやって来て水と魚を用意してくれた。

 どのようにして私の存在を知ったのだろうか。その真相はわからなかったが、気が利く隠の者たちに感謝の気持ちをこめて精一杯猫らしく振る舞うサービスをした。
 隠の者たちは目尻を垂らし、おそらく鼻の下も伸ばしながら私を愛でた。これが普通の反応だ。私はおそらく猫の中でも顔立ちや毛艶が美しい。やはり不死川様の反応が可笑しいのだ。
 隠の者たちの反応で気をよくした私は、すっかり自信を取り戻していた。

 昨日は天気がよく、厚く降り積もっていた雪も随分と薄くなった。天候も問題ない。怪我の具合も随分と良くなった。
 不死川様が屋敷を空けて二日目にして私は胡蝶しのぶ様の元を訪れるべく、屋敷を出た。

 不死川様が不在の時に姿を消すことに多少の罪悪感はあったが、彼が一匹の猫の所在を気にするような人物には思えない。道端にはえた花と同じで三日もすれば忘れてしまうだろう。
 
 人間の頃は身体能力が高く、鬼殺隊としてかなり優秀だった。しかし猫になった現在はかなり問題を抱えているようだ。
 身体の使い方に慣れていないことが一番の原因だと考えられるが、屋根から飛び移ったり、塀から飛び降りたりと猫が簡単にやってのける基本的な動作が苦手だったのだ。

 そして現在は木の上で降りられなくなっているところだった。鴉に驚いて木によじ登ったのは良いが、降り方が分からない。ニャーと鳴き声をあげて助けを呼んでみるが、店が立ち並ぶ通りでは活気の良さにかき消されてしまう。
 
「……大丈夫か? いま助けるからそこでじっとしているんだ」
 
 優しい声が聞こえた。恐る恐る木の下に視線を向ければ、赤みがかった髪の毛の青年と目が合った。背負っていた木箱を地面にそっと置くと、私がいる枝の元までよじ登ってきた。
 
「大丈夫、怖くない。こっちにおいで」
 
 舌でチッチッと優しい音を鳴らしながら、青年は手招きをした。穏やかな声に安心したのか、身体の硬直が解け、ゆっくりだが青年のもとに近づくことが出来た。
 
「よーし、いい子だ、しっかり捕まっていてくれ」
 
 青年の胸に飛び込めば良いのだろうか。しかしいま驚かせてしまうと青年もろとも落下する危険性がある。慎重にいくべきだ。
 差し出された手に鼻先を触れさせる。青年は喉のあたりを軽く撫でてから、抱き寄せた。どのように捕まれば良いのか分からなかったが、青年の胸に精一杯身体を密着させた。

 にっこりと笑った青年はそのまま木から手を離した。私を抱えたまま青年の身体は落下していく。
 内臓だけが宙に取り残されたような浮遊感に、鳴き声にならない悲鳴をあげた。
 
「もう大丈夫だ」
 
 人間の時よりも小さな心臓がバクバクと脈打ち、自分の居所を主張している。青年は軽やかに着地すると、もう大丈だと笑って頭を撫でてくれた。

 何が大丈夫なの、今死にかけましたけど──助けてもらった恩など忘れ、私は非難するような視線を向ける。青年はハッとした様子で開いた口を押さえると、申し訳なさそうに眉尻を垂らした。
 
「ごめんな、驚かせてしまって」
 
 まるで私の思いに返答するかのようだった。意思疎通ができているのではないか──数日前の私ならばそのように淡い期待を抱いただろう。しかし不死川様の件で学習している。話が噛み合っているように思えたのはただの偶然だろう。

 こっちは怪我猫なんだから丁寧に扱ってよね──どうせ言葉は通じないと猫の言語で不満を溢せば、青年は「えっ」と驚いたような声をあげた。
 
「本当だ、怪我をしているじゃないか」
 
 腹に巻かれた包帯に気付いたのだろう。そのタイミングは私が不満をこぼした直後だった。あまりにも偶然が続いている。
 この子には本当に伝わっているのでは──と思い、私は名前を尋ねてみる。もちろん猫語だ。
 
「俺は竈門炭治郎」
 
 やはり通じている。鬼のように空想上のような生物も実在するのだ。動物と意思疎通が出来るなどという摩訶不思議な青年がいても可笑しくはない。
 一際強い風が吹いた。竈門くんの耳元には花札のような模様をした耳飾りが揺れた。
 
「これが気になるのか?」
 
 猫の本能なのだろうか。揺れる耳飾りから目を話すことが出来ず、自然と手が伸びた。しかしそのような行動は容易に予測できたのか、竈門くんは軽く顔を逸らして避けた。
 未だに私の関心は揺れる耳飾りに向けられ、微笑ましそうに放たれた言葉は右から左へと流れる。
 
「動くものが好きなんだね」
 
 竈門くんは首を軽く左右に振り、耳飾りを揺らす。手を伸ばせばそれを軽く避ける。その動きにまんまと私は誘われてしまう。
 このような事をしている場合ではないと分かっているが、捕まえようとせずにはいられない。竈門炭治郎──恐ろしい男だ。
 
「遊んでやりたいのは山々だが、君は怪我をしているし、ごめんなぁ……」
 
 伸ばした手をきゅっと握り込まれる。手のひら、つまり肉球の感触を確かめるように指先が動かされる。これ以上は体に障ると判断したのだろう。満足するまで遊ばせてあげられないことを申し訳なく思っているのか、眉尻を下げながら謝った。
 ゆっくりと身体が地面に降ろされる。竈門くんは視線を合わせるようにしゃがんだまま話す。
  
「蝶屋敷に行けばしのぶさんに診てもらえるかもしれないんだけど」

 竈門君はひとりごちるように話した。その話の中には旅の目的である人物の名前があがった。
 猫の身体になったせいか、よく知った町でもいつもと違って見える。蝶屋敷の正確な位置が分からなくなっていた為、竈門くんに連れて行ってもらえたら助かる。しかし表情は明るくない。
 じっと顔を見つめていれば、竈門くんは口を開き訳を話した。

「もう任務に行かなくちゃいけなくて……」
 
 蝶屋敷まで連れて行けない事を気に病んでいたようだ。しかし人間と意思疎通が出来ただけでも有難い。
 ──自分で行くつもりだったから大丈夫。ところで蝶屋敷はどういけばいいの? と問い掛ければ、竈門くんは眉尻は垂らしたまま笑った。
 
「町をあと二つ抜けた先にあるよ」
 
 思っていたよりも近いようだ。これならば一日もすれば辿り着く。ありがとうと伝えれば、竈門くんも表情を和らげた。
 
「それにしても君は賢いんだね。こんなにちゃんと猫と会話出来たのは初めてだよ」
 
 まぁ中身は人間だし──と心の中でだけ訂正をしておく。そのような心の声など知らない竈門くんは感動した様子で頭を撫でている。手のひらは硬く、厚い。しかし優しい手付きは不死川様と良く似ている。心地よさから目を細めてしまう。

「白くて綺麗だし、どこかで飼われていたのか? 主人は心配しているんじゃないか?」
 
 ここまで白く美しい毛並みの猫は珍しいのだろう。竈門くんはどこかの家で飼われていたが家出をしたのではないかと心配してくれているようだ。眉を寄せハの字にした表情からも心配が伝わってくる。

 主人と言われて思い浮かんだのは不死川様の顔だ。しかし彼は可愛い猫である私を随分とぞんざいに扱った。心配して連れ戻しに来たところでもう遅い。もう可愛らしく鳴いてあげることも、手に擦り寄ってあげることもしない。私はしのぶ様のもとに向かい、さっさと人間の姿に戻してもらうのだ。
 人間に戻った暁には、命を捨てる覚悟でちょっとした嫌味でも言ってやろう。
 
「喧嘩してしまったんだね。君からは少し寂しい匂いがする」
 
 竈門くんの言葉に私は驚きのあまり「にゃ」と声をこぼした。寂しい匂いとは何だ。彼は匂いで感情を読み取ることが出来るのか? 私は寂しがっていた?

 確かに助けてもらえた日は嬉しかった。猫になったばかりで不安だった夜に一緒に寝てくれたことも、骨を取り除いた魚を分け与えてくれたことも嬉しかった。しかし彼は私がいなくても大丈夫だという態度でいた為、少し寂しかったのかもしれない。
 
「後悔しないようにしっかり考えて決めるんだよ」
 
 恐らく私よりも若い青年、いや少年と呼ぶべき年齢かもしれない。この少年は泣きたくなるほど温かく、そしてどこか寂しさを抱えている。この年齢で多くのことに触れてきたのだろう。諭す声は優しく、そのように感じられた。
 
「じゃあ俺はそろそろ行かなきゃ」
 
 どうか無事でありますようにと竈門くんの無事を願わずにはいられない。その私の思いを感じ取ったのか、竈門くんは「ありがとう」と言って頭を撫でてくれた。
 まだ背丈はそれほど高くないが、木箱を背負う後ろ姿は大きく見える。その後ろ姿を見送ると、私も目的地に向けて歩みを始めた。
 



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