猫も木から落ちる

5
竈門くんと別れてから次の町に向かった。猫としてあまりにも不甲斐ない姿を晒してしまった。その汚名返上として、誰にも見られていない事は重々承知のうえで私は民家の屋根から屋根を飛び移っていた。

 段々と身体の扱い方も分かってきた。油断をしたのだろう。
 屋根から足を滑らした私の身体はそのまま地面に向かって落下していく。目をぎゅっと瞑った。
 
「むっ」
 
 いつまで経っても地面に打ち付けられるような衝撃は訪れなかった。腹のあたりで誰かの声がした。
 目を開くと、視界いっぱいに炎を連想させるような色が広がっていた。
 
「猫が空から降ってくるとは驚いた」
 
 腹に響くほど大きな声で快活に話す人物には覚えがあった。
 
「猫も空を飛ぶ事が出来るんだな」
 
 炎柱の煉獄杏寿郎様だ。屋根から煉獄様の頭の上に落ちてしまったのだ。猫が空から落ちてきたにも関わらず動じない姿はさすが柱と呼ばれるだけある。

 ただ屋根から足を滑らせただけだったが、煉獄様は猫も空が飛べるのかと感心している様子だ。
 馬鹿なのか──相手が柱であることは承知の上だが、あまりにも純真無垢な言動に、頭が足りていないのではないかと思ってしまう。
 
「冗談だ。差し詰め屋根から足を滑らせたのであろう」
 
 全てを理解した上での発言だったらしい。煉獄様は未だに頭にへばりついている私を腕に抱き直した。
 
「怪我をしていたのか。しかし丁寧に手当てがされている……大切にされているのだな」
 
 腕は太く逞しい。常人よりも体温が高いようで、煉獄様の腕の中はとても心地が良い。
 
「暖かいだろう。童の頃より体温が高くて、冬になると弟を羽織の中に入れて暖まったものだ」
 
 吹き付ける風に身体を縮こませていれば、羽織で風除けをしてくれた。感謝の気持ちを込めてひと鳴きすれば、煉獄様は「礼には及ばん」と笑った。
 底抜けに明るい様子で話す煉獄様のお顔を拝見したくなった。こっそりと仰ぎ見れば、彼の頬には小さな傷ができていた。

 もしかして私が引っ掻いてしまったのでは──落下した際には混乱していて、引っ掻いてしまったかどうか記憶が曖昧だ。しかし小さな傷跡私の小さな爪に合致するだろう。

 大きな瞳に、顔の端にかけて持ち上がった特徴的な眉は意志の強さを表すようだ。すっとした鼻梁は高尚な雰囲気を作り出している。不死川様とは系統は違うものの美しいお顔に傷を作ってしまったのだ。

 言葉で伝えることは出来ない。しかし手当てをすることも出来ない。せめて怪我をしている事を伝えられると良い。
 隊服はある程度鬼の斬撃から身を守れるように耐久性のある素材が使用されている。猫が爪を立てた所で煉獄様が怪我をする事はないだろう。

 申し訳なく思いながらも爪を立て、煉獄様の胸をよじ登る。不思議に思ったようだが、私の行動を見守ってくれる。
 肩のあたりに身体を乗せると、傷口には触れないように最新の注意を払いながら頬を傷を知らせる。
 
「……むっ、心配してくれているのか? だが心配は無用だ。すぐに治る」
 
 頬に肉球を当てれば、私の意図に気付いてくれたようだ。太く男らしい指で自分の頬を撫でると、心配はないと朗らかに笑った。
 擦り傷とはいえ、私が慢心していなければこのような事にはならなかった。自然と尻尾が垂れ下がってしまう。
 
「そのような顔をしてくれるな。君のせいではない」
 
 感情が表情に表れていたのだろうか。頬を軽く撫でられる。小さな生き物にも心があることを知り、一つの存在として丁寧に向き合ってくれるのだ。真っ直ぐで強い方だ。
 
「それに小さな君を守れた事、嬉しく思う。だが、高いところが得意とはいえ慢心は頂けない。気を引き締めなくてはな」
 
 猿も木から落ちるという諺があるが、この場合ならば猫も屋根から落ちるだろうか。嫌味のない口調で気をつけるようにと話した。私は短く「ニャ」と鳴き、返事をする。
 
「時期に暗くなる。日が暮れる前に帰宅すると良い」
 
 あたりは暖かな橙色に包まれていた。家を飛び出してから随分と時間が経ったようだ。冬は日が短い為、冷たく長い夜が訪れてしまう。どこかで野宿をする必要もあるだろう。しかしこの辺りは猫も多く、縄張りもあるのではないだろうか。考えもなしに飛び出してきてしまったことを後悔する。
 
「次の町まで行かねばならぬのだが、共に行くか?」
 
 私の気持ちを感じ取ったのだろうか。煉獄様は穏やかな口調で提案をしてくれた。柱と一緒ならば安心だ。ぜひお供させてくださいと必死に訴える。煉獄様はじっと私の瞳を見つめた。瞳を見れば心を通わせることが出来るということなのだろうか。応えるように見つめ返す。
 
「うむ、分からん」
 
 歯切れ良く煉獄様は分からない言った。あまりの潔さに肩透かしを食らったような気持ちになり、ずるりと肩から落ちそうになった。
 
「まぁ好きな場所で降りると良い。其れ迄は共に行こう」
 
 大きな手で受け止めると、腕に抱き直してくれる。やはり羽織の中は心地が良い。煉獄様の一歩は猫の私の何歩分なのだろうか。ゆったりとした揺れが眠気を誘う。しかし柱を送迎車のように扱うなど言語道断だ。
 
「疲れたのだろう。寝ていてもいいぞ」
 
 必死に眠気に抗っていれば、胴体を撫でてくれた。続けて煉獄様は寝ていても良いと言うと、指先で軽く私の身体をぽんぽんと叩いた。眠りに誘うような動作に、赤子ではないが瞼が落ちてきてしまう。煉獄様はこんなにも静かに話すことが出来るのか──とかなり失礼なことを考えながら眠りについた。
 
「幼な子の姿をしているとはいえ、人の命を奪う鬼を見逃すことは出来ん」
 
 段々と意識が浮上し、言葉が鮮明に聞こえてきた。目を開き、羽織の外にちらりと顔を出せば童のような背格好をした鬼が涎を垂らしながらこちらを見つめていた。肌に触れる空気で分かる。この鬼は強い。弱い猫になったからだろうか、鬼を前に身が竦んでしまう。
 煉獄様ひとりならばこのような鬼の頸を落とすことは容易だ。しかし私を抱えている。私を抱えているため片手を使えず、上半身を十分に捻ることも出来ない。足手まといになってしまう。
 
「起こしてすまない。これより先は君に見せたくない。ここを離れるんだ、いいな」
 
 煉獄様はそう告げると私を地面に降ろした。そしてそっとお尻を押し、立ち去るように促した。猫は夜目が効くらしい。他に鬼が潜んでいないことを確認してその場を離れる。
 煉獄様は刀を引き抜くと、舞っているかのように美しく力強い動作で鬼の頸を落とした。揺れた髪の毛はまるで燃えさかる炎のようだ。触れたくとも触れることは許されない。
 圧倒的な力と神秘的な美しさに息をするのも忘れてしまった。我に返ると、刀の血を払いながら鬼が朽ちていく様子を眺める煉獄様の元に近付く。
 
「見守っていてくれたのか?」
 
 私の気配に気付くと煉獄様はパッと振り返り、困ったように微笑んだ。
 
「綺麗な毛が汚れてしまう」
 
 朽ちている最中の鬼に触れないようにか、その様子を見せない為にか、煉獄様は私を抱き上げた。顔の位置まで持ち上げられた。鼻先が触れ合う距離で見つめられ、たじろいでしまう。
 
「君はとても強い」
 
 相手を気持ちよくさせようなどという思いはない。ただ純粋に、真っ直ぐに向けられた言葉だと分かるからこそ、その喜びは一入だ。彼は武術など目に見える力ではなく、内面で人を評価することができる人物のようだ。
 煉獄様を師に持てる人はどれほど幸せだろうか。
 
「俺は次の任務に行かねばならん。共に行くか?」
 
 遠くの空が僅かに青白く光り始めた。もうじき夜が明ける。煉獄様は私に共に行くかと話した。それはただ道中を共にするかという誘いではなく、これから共に生きるかと問いかける言葉に聞こえた。
 このように尊敬できる人物のもとにいられるのはとても幸せなことだ。しかしそれで良いのだろうか。私は何のために家を出たのだろうか。
 
「そうか、君にも成さねばならい事があるんだな」
 
 ひょいと煉獄様の腕から抜け出し地面に降りると、煉獄様はそれを私の答えだと受け取ったようで、責めることもなく明るく肯定した。猫相手に真剣に向き合ってくれるなど真面目でとても心優しい方だ。心を通じ合わせることは可能なのではないかと思わされてしまう。
 
「また何処かで会えた時には美味しいものでも馳走しよう」
 
 大きな手のひらで私の頭を撫でてくれた煉獄様は、そのまま私が向かう道とは別方向に歩いて行った。この姿ではなくともまたどこかで会えることを願い、私も真っ直ぐ歩き始めた。
 
 



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