鼠に睨まれた猫

7
不死川さまは任務があったようで昨夜は不在だった。隠の方々が交代で食事を用意してくれたが、食べやすいように魚をほぐし小骨まで取り除いてくれたのは不死川様だけだ。

 包帯も巻く必要がなくなった私は近くの町まで出掛け、情報を集めることもあった。しかし、鬼の存在を知る者が少ない為、猫にかえる血鬼術を操る鬼などという情報は全く手に入らなかった。

 私が昼頃に帰宅しすれば、不死川様は文机に向かい、黙々と報告書を作成していた。
 本当の猫ならば飼い主の気を引こうと膝に乗ったり、半紙の上に寝転がったりしたかもしれない。しかし私は元人間だ。仕事の邪魔にならないようにと端で見守る。

 ぼんやりとしていれば、襖の隙間から黒い物体が飛び込んできた。驚きのあまりその場で飛び上がる。
 畳の上で足を滑らせながら不死川様の背に隠れれば、不死川様の背が小刻みに揺れた。
 
「……猫だろォ」
 
 背から恐る恐る顔を出して様子を窺えば、文机の上に鎹鴉がいた。随分と毛並みが良い。見惚れていれば、鎹鴉の瞳がギョロリとこちらに向けられた。
 
「鴉に怯えんのかよ」

 本能なのだろうか。全身の毛がブワっと逆立ち、尻尾が膨らんだ。不死川さまの足を飛び越え、文机の下に潜る。

 まるでそれが習慣であるかのように鎹鴉は頭を垂れ、不死川様は厚い手のひらで撫でた。鎹鴉は心地良さそうに目を細めた。
 鎹鴉は不死川様から命令を受けると、文を携えて空へと飛び立つ。
 
「そんなんでこれまでよく生きてこれたなァ」
 
 文机の下から顔を出すと、不死川様が僅かに呆れたような表情でこちらを見ていた。不死川様は正座から胡座へと姿勢を変えた。

 文机の前を足が占領してしまった為、足をよじ登るようにして文机の下から這い出れば、腕の下に手を差し込まれる。不死川様は抱き上げると、胡座の姿勢をつくる足の隙間に私の身体を下ろした。
 足の隙間に沿わせて身体を丸めれば、不死川様は頭から腹にかけてゆっくりとした動きで撫でてくれた。
  
「子猫って訳でもなさそうだが小せぇな」
 
 私の前足を手のひらに乗せると、軽く握ったり離したりして感触を確かめるようにしながら不死川様は呟くように話した。
 前足を握っていた手は、頭の上に移される。頭の丸みを確かめるように狭い額から後頭部にかけて手が動かされた。
 
「人間のこと信頼しすぎじゃねぇかァ?」
 
 撫でつけられる度に耳がぴくぴくと動いてしまう。心地よさに身を委ね、されるがままでいる私の様子を見た不死川様は、動物としてどうなのかと言外に含ませながら話した。
 まだ出会って間もない人間の腹の上ですやすや寝たり、膝の上に座ったり、これが本当の猫であった場合には人馴れをしすぎていて私も心配してしまう。しかし私は人間だ。それなりに考えている。心配は不要ですよと口にするが伝わる事もなく、「呑気なもんだなぁ」と不死川様は呟いた。

 どこからか小動物の鳴き声が聞こえた。辺りを見渡せば、畳の上に鼠がいた。
 
「鼠かァ」
 
 日常風景であるかのような反応をしたが、明らかに可笑しい。ただの鼠ならばどの民家にいても可笑しくはないが、あれ程までに鍛え上げられた肉体を持つ鼠は見たことがない。幾つかの姿勢を順に取りながら、肉体の美しさを見せつけている。
 身体は私よりも小さいが、力は明らかに鼠の方が強いだろう。
 
「もしかして鼠も駄目なのか?」
 
 驚きから動けずにいれば、不死川様は意外だといった様子で鼠も苦手なのかと問いかけてきた。
 
「猫は鼠を追っかけるモンだろう? そんなんで大丈夫かよ」
 
 確かに猫が鼠を追いかける姿はよく見かけるし、鼠から食料を守るために猫を飼う家もあると聞く。猫のように振る舞い、私も鼠を追いかけるべきなのだろう。
 しかしあれを鼠と認識して良いのだろうか。私の知る鼠の姿とは異なるが、不死川様は違和感を感じていないようだ。
 
「餌を取る訓練に最適じゃねぇか」

 気付いた時には畳の上に転がされていた。不死川様は私を膝から下ろすと、あの鼠を相手に狩の訓練をしろといった。
 聞き間違いだろうと、もう一度不死川様の膝の上に戻ろうとしたが「猫が猫被んな」と押し戻されてしまう。

 やるしかないのだろう。腹を決めると、鼠に向かって足を動かす。前足を振り下ろしたが、鼠は軽やかに宙を舞い、避けてしまう。
 
「すぐに起き上がれ」
 
 鼠は宙を舞うことが出来るのか──あまりの衝撃に、ぼんやりと眺めていれば不死川様から怒号が飛ぶ。
 どちらも恐ろしい。しかし鼠と不死川様、最も恐ろしいのは不死川様だ。

 身体を起こすと、鼠に飛び掛かる。するりと避けられてしまうが後ろ足で畳を蹴って、もう一度襲いかかる。しかし地面に着地する寸前で何者かによって身体を持ち上げられた。
 
「おいおい、人んとこの鼠に何してくれてんだよ」
「人んとこになに鼠連れてきてんだァ?」
 
 声には聞き覚えがあった。パッと顔を見れば、そこには音柱の宇髄天元様が居た。
 鼠は頭に飾りのようなものをつけていた。どこか見覚えがあるとは思っていたが、宇髄様が身に付けている額当てとよく似ていたのだ。つまり私は宇髄様の忍獣に襲い掛かってしまったのだ。
 忍び込んだことを悪びれる様子もない宇髄様に、不死川様は口元をひくかせていた。
 
「ムキムキねずみは鍛えてるし、そんじょそこらの猫よりは賢いと思うぜ」
 
 ムキムキねずみという鼠たちは宇髄様の言葉を聞くとどこか誇らしげに新たな姿勢を取った。あの肉体と素早い動きはやはり音柱によって鍛えられたものらしい。

 不死川様もあの鼠が宇髄様の遣いであることを知っていたのではないか? だからこそ二足歩行をする鼠にも驚かなかったのではないか。
 
「何か怒ってんじゃねぇか」
「そのままそいつのこと引っ掻いていいぞ」
「飼い主のこと躾直しておけよ」
 
 不死川様に嵌められたことに気付くと、不満をぶつける。シャーっと威嚇するように声をあげれば、宇髄様はぶら下げた私を顔の位置まで持ち上げて顔を覗き込んだ。
 不死川様は私に宇髄様を引っ掻いても良いと許可を出した。対して宇髄様は不死川様の態度がなっていないと私に躾をするように話した。
 私を間に挟んで会話をするのはやめてください──と心の底から思っていれば、不死川様が話を元に戻した。
 
「で、何しに来たんだ」
「風柱が猫を拾ったって聞いて、どんなもんかと見に来たって訳よ」
「早ぇな」
「まぁな。情報収集はお手のもんよ」
 
 宇髄様はどうやら風柱が拾った猫、つまり私を見に来たらしい。既に噂が広まっていると知ると、不死川様は舌先を鋭く打ち後頭部をがしがしと掻いた。
 宇髄様は大きな身体を揺らし、楽しげに笑う。首の裏を掴まれ、宙にぶら下げられた私の身体も一緒になって揺れる。どうにか降りることが出来ないかともがいていれば、宇髄様の手が私の胴体を包み込んだ。
 
「派手に綺麗な面してんじゃねぇか」
 
 鼻先が触れるほどの距離で顔を突き合わせられた。目尻がきゅっと釣りあがった大きな瞳に、鋭い鼻先は彼の顔立ちをより華やかにしている。
 視界の端でキラキラと輝く何かが揺れる。反射的に手を伸ばして捕まえたのは宇髄様の額当てから垂れ下がる宝玉だった。一つでも十分輝いている宝玉が幾つも連なっている。
 
「これが気になるか? 見る目があるようだな」
 
 宇髄様は勝手に触れたことを咎める事もなく、楽しげに笑った。私が手を伸ばしたのは美しさを理解したからではなく、ただ動くものを捉えたいという猫の本能的なものだ。宇髄様はそれを理解されているのかは分からないが、上機嫌で私と額を擦り合わせた。
 
「お利口じゃねぇか。うちに来るか?」
「勝手にしろォ」
 
 宇髄様はちらりと不死川様の様子を窺ってから私に問いかけた。恐らく反応を楽しもうとしていたのだろう。しかし不死川様は一時的に保護してくれているだけで、飼っているわけではない。引き留めてはくれないだろう。予想通りの反応だ。
 
「冷てぇ飼い主だなぁ?」
「飼ってねぇ」
 
 想像していたような反応が返ってこなかったからだろう。拗ねたように唇を尖らせ、小首を傾げながら私に同意を求める。不死川様は冷たいという部分には反応せず、飼っているかどうかという部分には即座に訂正を入れた。
 その反応の違いに気付くと、宇髄様は面白いものを見つけたというような様子で口端をにやりと持ち上げた。
 揶揄って反応を楽しもうとしているのだろう。自分のせいで不死川様が揶揄われてしまうのは申し訳なく思い、何か話そうとした宇髄様の口元を手で押さえる。
 
「虐めんなってか?」
 
 肉球を唇に押し付けられた宇髄様は、私の手を取ると、感触を確かめるように触れていた。
 口を開こうとしたタイミングで行われた行動に意図があったのではないかと、宇髄様はひとつの可能性をあげてくれた。それはまさに私の思いを代弁していて、その通りなのだと必死に鳴き声をあげて訴えかける。
 
「言葉を理解してんのか?」
「どうだろうなァ。知能が高いのは確かだが」
 
 まるで問いかけに答えるように首を縦に振り、ニャーニャー鳴き声をあげる私を見て、宇髄様は瞳を丸くして不思議そうにこちらを見た。不死川様はちらりと私を見ると、言葉が通じているかは分からないが知能が高いのは確かだと意見を述べた。
 
「こんだけ賢けりゃ派手に忍獣の見込みあるぜ」
「……障子にしょっちゅう顔から突っ込んでるやつに務まるとは思えねぇな」
「へぇー、案外過保護だったな。お前の飼い主は」
 
 忍獣になどなれるはずがない。猫の身体の扱いが未熟すぎてすぐに死んでしまうだろう。宇髄様は私のどのあたりに見込みがあると感じたのだろうか。
 無理です──と訴えていれば、僅かに間を開けてから不死川様は言葉を返した。かなり客観的に物事をみた発言だ。同感だと必死に首を振って訴えれば、宇髄様は楽しげに口端を持ち上げていた。
 飼い主という単語が聞こえると不死川様は分かりやすく目元を歪めたが、そのような反応も宇髄様を喜ばせるだけだと気付いたのかふいっと顔を逸らした。
 
「不死川から無理に離したりはしねぇよ、安心しな」
 
 片方の口端を持ち上げていた宇髄様は、口許を私の耳に寄せた。少し離れた位置にいる不死川様には届かない程小さく、囁くような口調だった。
 パッとお顔を見れば、宇髄様は大きな瞳を細めて笑った。美しいお顔に見惚れていれば、身体が宙を舞った。内臓が浮くような感覚に身を硬くする。
 
「投げて寄越すな」
「絶対落とさねぇだろ? 面白いもんも見れたし、帰るとすっかな」

 地面に叩きつけられる事なく、不死川様の腕の中に収まった。不死川様は私を胸に抱いたまま宇髄様の行動を批判した。睨みつけられている宇髄様は怯む事もなく、飄々とした様子で不死川様が必ず助けると確信していたからこそ投げたのだと話した。
 こんなに可愛い私を投げるだなんて、宇髄様はどうかしている。キッと睨み付ければ、宇髄様はクッと喉を鳴らして笑った。
 
「じゃあ明日、柱合会議でな」
 
 手をひらひらとさせていた宇髄様は瞬きの合間に姿を消していた。残された言葉を理解するまでに時間を要した。
 明日、柱合会議で──つまり明日柱たちが集まる柱合会議が行われるという事だ。これは胡蝶様にお会いする絶好の機会だ。
 柱合会議に乗り込む。作戦を立てることに集中しようと部屋の隅に移り、尻尾を揺らしていれば、不死川様も文机に向かった。



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