ここ数日、轟くんの眉間には深いシワが刻まれていた。授業中はゆるむものの、ふとした瞬間に眉間にシワを寄せている。
今だってそうだ。ノートと教科書だけが置かれた机を難しい顔をして見つめている。
「どうしたの?」
また何やら考え込んでいる轟くんに恐る恐る声をかければ、パッと勢いよく顔をこちらに向けられ少したじろいでしまう。今日も顔が良い。
「いや、少しな……」
「ここのところ悩んでいるみたいだね」
「悪りぃ心配かけて」
今日の実践訓練も絶好調だったため、体調不良ではないのだろう。悩んでいるということを否定しなかったあたり、やはり悩み事があるのだろう。
「分かんねぇことがあるんだ」
轟くんは少しの間をおいてから、私の問いに対して答えた。
クラス屈指のイケメンであり、文武両道、神に愛された男との呼び声が高い轟くんの頭を悩ませる問題。どのような難問だというのだ。
「力になれるか分からないけど、私で良ければ付き合うよ!」
そう申し出れば、申し訳なさそうにしながらも轟くんは「頼む」といって応じてくれた。
放課後、自室でお菓子の用意をしていれば控え目なノックと共に「ミョウジ、いるか?」と声がした。
「ごめんね、来てもらっちゃって」
私の部屋を訪ねてきたのは轟くんだった。轟くんを悩ませている問題を解決するために勉強会をすることにしたのだ。
扉を大きく開けて招き入れれば、轟くんは「お邪魔します」と律儀に挨拶をしてから足を踏み入れた。
共同スペースでは集中できないし、轟くんの部屋では私が落ち着かない。その結果、私の部屋に来てもらうことにしたのだ。
「さっそくはじめよう!」
「はじめる……?」
「とぼけちゃって! 分かんないところ一緒に考えよう!」
何のことか分からないという表情をつくり、とぼける轟くん。このようなお茶目なところがあったとは。
「何やる? 教科書は貸すよ」
「……数学、課題出てたよな」
「じゃあ数学ね」
勉強会をするというのに手ぶらできた轟くんの前に教科書を並べれば、すこし悩むような素振りをみせてから数学の問題集を手に取った。
数学の授業ではスラスラと問題を解いていたし、問題ないように思うが。轟くんが頭を悩ませてしまうような難問を、私が教えてあげられるかどうかは分からないが、ひとまずノートを開くことにした。
「……手、止まってんな。大丈夫か?」
「轟くん、この問題って……」
力になると言いながら、先程から私の方が教えてもらってばかりだ。分からないことがあるという発言は何だったのかと思うほど、轟くんはスラスラと問題を解き、課題を終えてしまったようだ。
分からないことは解決したのだろうか。
「ごめん、すぐ終わらせる」
「別に急いでねぇからいいぞ」
「そのへんの漫画とか読んで時間つぶして」
手持ち無沙汰にさせてしまうのは忍びなくて漫画を勧める。棚に近づいた轟くんは一冊手に取った。
「ミョウジもこういうの読むのか?」
轟くんが手に持っていたのは、上鳴くんたちが以前にこの部屋に持ち込んだ漫画だった。すっかり忘れていた。
「それは上鳴くんたちが勝手にきて置いていったやつ」
「……よく来るのか?」
「たまにだけどね」
何か気がかりなことでもあったのか、轟くんはまた眉を寄せ、思案するような顔をした。
「どうしたの?」
「なんかザワザワした」
「寒い? 暖房つけようか」
「いや、寒いとかじゃなくて……最近たまにあるんだ」
理由を尋ねたが、轟くんは自分でもよく分からないといった反応だった。
少年漫画には興味がなかったのか、ページを捲ることもなく元あった場所に戻した。
「これは?」
「それは三奈に貸してもらってるやつ」
つぎに轟くんが興味を示したのは少女漫画だった。物珍しそうに表紙をじっと見ている。
「なんか絵柄がちげぇな」
「こっちは少女漫画だからね」
「ミョウジはこういうのが好きなのか?」
「切なくなったりドキドキしたり、私は好きかな。轟くんも読んでみる?」
なんてね、と続けるつもりだった。
「読む」
轟くんが食い気味に答えたことにより、私は言葉を発そうとしていた口をぽかんと間抜けに開くことになった。
少女漫画を真剣な表情でよむ轟くんと、ひたすら数学の問題に向き合う私。どういう状況だ!
暇つぶしになればと勧めた漫画だったが、予想以上に轟くん集中していた為、課題を終えた私はぼんやりと彼が読み終えるのを待つ。
「……なるほどな」
「読み終わった?」
「あぁ、勉強になった」
じっくりと時間をかけて一冊を読み終えた轟くんは、漫画をとじながら納得したようにひとり頷いていた。声をかければ、勉強になったと予想外の反応が返ってきた。
「触っても良いか」
「え?」
唐突な問いかけに私の頭は真っ白だ。漫画を読み終えた直後にこのようなことを言い出したのだ、影響されたに違いない。轟くんは少女漫画からなにを学んだというのだ。
轟くんの手が背にまわされ、距離が縮まった。
女子とはちがう、がっしりとした骨組みと、柔らかみのない身体。ちょうど腰のあたりに添えられた左手がじわじわと熱をつたえてくる。
心臓が胸を突き破ってきそうなくらい大暴れしているし、全身に妙な汗をかきはじめたし、すぐ近くできこえる轟くんの息遣いに乱されて呼吸の仕方が分からなくなってきている。私が石のように硬直している間も、時計の秒針はカチカチと一定のリズムを刻んでいる。
「うん、分かった。ありがとな」
ほんの数秒だったが、私にとっては永遠にも感じる長い時間だった。ほんのりと藺草の香りが鼻腔をくすぐり、轟くんの部屋は畳だったかと現実逃避をしていたところで身体が離された。
分かった、といった轟くんはどこか晴れ晴れとした表情を浮かべている。いや、私は分からないことだらけだ。なぜ触りたいと思ったのか、そしてなぜ抱きしめたのか──分からなすぎる。
「勉強にもどろっか」
頬に熱があつまっている。顔を合わせることができなくて、ノートに視線を落とすふりをして顔を逸らす。
「課題、終わったんじゃなかったか? 分かんねぇとこあったか?」
「分かんないことあるのは轟くんじゃないの?」
「いや、俺のは解決した」
私の行動に、轟くんは不思議そうに首を傾げた。
分からないところがあるといったのは轟くんだ。なんとなく会話が噛み合っていないと感じながらも、聞き返せば、轟くんは解決したという。そして、いつも通りの口調で続けた。
「俺はミョウジのことが好きみてぇだ」
少女漫画は轟くんに何を教えたというのだ!
