土曜の授業も無事に終え、寮に戻ろうとしたタイミングで轟くんに呼び止められた。
「付き合ってくれねぇか」
交際の申し込みかと思い一瞬動揺してしまったが、「このあと時間あるか?」という言葉が続いたことで、どうやら他の用件らしいことに気付いた。課題についてだろうかと考えたが、今日はほとんど課題が出ていない。
「特に予定ないけど、どうしたの?」
「服を選んで欲しい」
用件を確認すれば、まさかの答えが返ってきた。服を選んで欲しいですって!?
「……誰の」
「俺が着る服だ」
ぬか喜びにならないように、ぐっと感情を押し殺しながら尋ねれば、轟くんから私が求めていた回答が与えられた。
「よろこんで!」
居酒屋の店員のような返事をしてしまい、轟くんを驚かせてしまったようだが、許して欲しい。だって、有形文化財に指定されても可笑しくないほど高貴な存在の轟くんの服をこの手で選ぶことができるのだ!若干鼻息が荒くなってしまうのも仕方がないことだ。
こうして轟くんを最も引き立てる服をチョイスするべく、軽い足取りで彼のあとに続いたのだが……
「何かあったか? そのまま上がってくれ」
まさか彼の部屋にお邪魔することになるとは、誰が想像できただろうか。先に部屋に入った轟くんが、不思議そうにこちらを見ている。このまま扉の前で佇んでいれば、『俺の部屋には入りたくねぇのか』なんて勘違いさせてしまうかもしれない。覚悟を決めるしかないだろう。
「失礼します!」
「すげぇ飯田みてぇだな」
飯田くんに負けないくらいキビキビとした口調、そして動きで入室すれば、轟くんは感心したように目を丸くしながら感想を呟いていた。
「飲み物入れるな。緑茶でいいか?」
「お気遣いなく!」
「好きなとこに座っててくれ」
好きなところに座ってくれと言われても、どこに座るのが正解なのか。座椅子はこの部屋の主人である轟くんが座るべきだ。第一、彼が普段座っている場所に座るだなんて、恐れ多くてできるはずがない。
しばらく立ち尽くしてしまったが、ようやく落ち着けそうな場所を見つけ、私は静かに腰を下ろした。
「お」
轟くんが驚いたように声を漏らした。散々悩んだ結果、私が選んだのは……部屋の角だった。
「すげぇ端だな」
「……端が好きだから」
苦しい言い訳だ。いくら端が好きな人であっても、さすがに部屋の壁と向き合うようにして座ることはないだろう。いま大人気の、すみっこで暮らすキャラクターたちでさえ身体の前面を部屋側に向けているというのに。
困惑させてしまっただろうか。しかしこの空間に慣れるにはまだ時間が必要なのだ。
「確かに落ち着くな」
すぐ側で声がした。反射的に振り返れば、壁と挟み込むように轟くんがいた。目の前には轟くん、顔の横には手が付かれていて、背後には壁──これって壁ドンというやつではないのか?
そういえば、轟くんは少女漫画から何かを学んだと言っていた。あの少女漫画の第1巻には壁ドンがあっただろうか……? 内容が思い出せない。しかし王道シチュエーションとしては壁ドンから……
「大丈夫か? 季節外れの蚊がいたか?」
「私の頭がバグっておかしな妄想をしようとしたから……」
「荒療治すぎねぇか? それじゃブラウン管テレビの直し方と同じだぞ」
不埒なことを妄想しようとした自分を律するために自ら頬を叩いたのだが、そのような事情を知らない轟くんは心配してくれた。勝手に脳内に登場させただけでなく、キスされるシーンを妄想しかけましただなんて言えるはずがない。
「冷やした方が良さそうだな」
「冷やしてきます」
「いま冷やすのは頭じゃなくて頬だろ」
廊下に立って反省をするべきかと、部屋を出ようとしたが、轟くんに引き止められてしまった。
ジンジンと痛む頬にそっと手が近づいてきた。まさか、右手で冷やしてくれるというのだろうか。そんなことをされたら、私は……!
「これ使ってくれ」
頬に触れたのは、大きな氷の塊だった。
「氷!」
「冷やすもんこれしかねぇから」
右手で頬を包まれてしまうのでは、と期待と焦りを感じていた己はなんと煩悩にまみれているのだろう。煩悩と共に今の記憶も消えてくれ──そう思った時には先ほどとは逆の頬を叩いていた。
「何か見えちゃいけねぇもんが見えてんのか……?」
「……これは、その、右の頬を打ったらもう片方も叩いてバランス取っておけ、みたいな教えがあるから」
「そんなスパルタな教えだったか……?」
虫もいないというのに二度も頬を叩いた私を見て、轟くんは幻覚を見ているのではないかと心の底から心配してくれた。今にもリカバリーガールのもとへ「頭がおかしくなったみたいなんで、診てやってください」と突き出されてしまいそうな様子だ。このまま騙し続けるだなんて私には出来ない!
「ごめん、轟くんの部屋だと思うと、緊張しちゃって」
「そういうことか。……でも俺しかいねぇから、そんなに緊張しなくて大丈夫だ」
正直に打ち明けると、轟くんは安心したように表情を柔らげた。その緊張しないで大丈夫だとおっしゃるアナタが原因だ──という真実は心にしまっておこう。
手のひらサイズの氷を頬に押し当てる。なんともシュールな光景だ。そう思うと不思議と力が抜けて、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。
「そういえば、服を選んで欲しいって言ってたけど、いつもの服はダメなの?」
淹れてくれたお茶で喉を潤しながら、ここに招待された用件について触れる。いつものシンプルな格好で十分にかっこいいのだが、わざわざ選んで欲しいと頼むくらいだから何か事情があるのかもしれない。
「特別だからちゃんとした選びてぇんだ」
「何かお祝いとか?」
「デートに着ていく服を選んで欲しいんだ」
轟くんは今、デートと言ったのか? デート、それはつまり逢い引きということか? 何かしら事情があるのではとは思っていたが……まさかデートとは。
「そっか、デート、なるほど」
轟くんやっぱり好きな人がいたんだ。なぜか胸がぎゅっと締め付けられ、鼻の奥がツンと痛んだ。
思いあがっていた自分が恥ずかしくて、服を選ぶフリをしながら顔を逸らす。
「……私じゃなくて、好きな子に聞いた方がいいと思うけど」
「だから聞いてる」
なるべく冷たくならないように、あくまでも自然な口調を心がけながら助言をする。しかし轟くんは噛み合っていない返答をしてきた。
「そうじゃなくてデートに誘おうと思っている子のことだよ」
「なんか勘違いしてねぇか」
「大丈夫、分かってるから」
もしかしたら本当に轟くんが私のことを好きでいてくれているのかも、だなんて勘違いしていた。大丈夫、とほとんど自分に言い聞かせるように呟き、溢れそうになる涙を堪える。
「俺が好きなのはお前だ」
「……え?」
驚きのあまり涙が引っ込んだ。つまりこういうことか? 轟くんは私とデートする為の服を、私に選んで貰おうとしていたということか。
「好きなやつに選んでもらった方が確実だって、緑谷が。どれを着た俺とならデートしてくれる?」
わずかに首を傾げた轟くんと目があった。そんなの決まっている。
「……どれだけダサくても、何なら着てなくても大丈夫デス」
「さすがに全裸はヤベェだろ」
盛大な勘違いをしていた恥ずかしさと、デートの相手に選んでもらえた嬉しさから、片言になってしまったが、轟くんは笑ってくれた。
「これを言うのが先だったな。俺とデートしてくれ」
「……よ、よろこんで!」
またも居酒屋で飛び交うような勢いのある返事をしてしまい、轟くんを驚かせてしまったのだった。同じ空間にいるだけで緊張から奇行に走ってしまうのに、二人きりで出かけるだなんて私は人間としての尊厳を保っていられるだろうか。未来の私へ、頑張ってください。
