「じゃあ私からも質問」
同様の質問をされると思っているのだろう。甘やかな余韻に浸る轟は、私がこれからしようとしている問いによって、空気が一変するだなんて想像もしていないようだ。
「何で裏切ったの」
「報道のことなら……」
「それもだけど、いま聞きたいのはそうじゃなくて……」
熱愛報道のこと、指輪のこと、問いただしたい内容は多くある。しかし私が知りたいのは、そうではない。
「なんで敵側にいるの」
轟がヒーローであることを手放した理由だ。
裏切り者が轟だと知るのは、捕らえられていたサイドキックと私だけ。
サイドキックの消息が途絶えたいま、私が口を割らなければ轟はもとの生活に戻ることが出来るが、見逃すだなんて選択肢は私の中に存在しなかった。
敵側に手を貸したとなれば、それ相応の処罰を受けるべきだ。罪を償いおわるまで待つくらいの甲斐性は持ち合わせている。自首を促すよりも先に、なぜこのようなことをしたのか轟の口から聞きたかった。
私たちの間に横たわる静寂が、真綿で首を締められているかのようにゆっくりと息苦しさをもたらす。たった数秒が永遠のように感じられるほど、嫌な沈黙だった。
鈴虫のけたたましい鳴き声、さえずりが下手な鳥の声、それらの妙に大きく響いていた音が、私たちを責め立てているかのように聴こえた。
「話が読めねぇ」
「……あの組織との内通者、轟でしょう?」
怪訝そうに眉を寄せた轟がこちらの真意を探るような視線を向けた。この期に及んで知らないとでも言うつもりだろうか。絡めた指先から温度が失われていく。
轟の唇がゆっくりと開かれた。
「ナマエじゃねぇのか?」
「は?」
轟は何と言ったのだ? この場に第三者のヒーローがいたならば、その者を味方につけるために私に罪を擦りつけるのは賢い振る舞いだ。しかしこの場にいるのは私たち二人だけ。この場合は、「裏切り者ではない、何かの間違いだ」と弁解すべきだ。
恋愛において鈍い男ではあるが、頭の回転は私なんかより遥かに良い。この状況での立ち振る舞いを間違えるだろうか。
「……サイドキックの口封じしようとしたでしょう?」
「それはそっちだろ」
ベッドに預けていた背を持ち上げ、いつでも戦闘できる姿勢をとっていたのは轟も同じだった。
──闘いたくない。散々交戦しておいて何を言っているのだと思うかもしれないが、私と轟は確かに同じ願いを持っていて、握りあった手のひらでどうにか繋ぎ止めようとしていた。
サイドキックを攫った事実を突きつければ言い逃れができないと思った。しかし轟は意味が分からないというように眉間に深いシワを刻んだまま、私の言った内容をそのまま返してきた。
何かがおかしい。例えるならば、小骨が喉に刺さったかのような、コートの中で袖がぐしゃぐしゃに縮まった時のような、不快をのこす違和感だ。
任務に向かう前の事務所でのやり取り、サイドキック救出時、爆豪の言動──この全てに共通して感じた違和感。
「おかしい」
どちらからともなく呟いた。完全に身体を起こし、下着を身につけてから膝を突き合わせるようにして向き合う。
「親父の事務所のサイドキックが狙われてるって聞いて、セーフハウスで匿っているあいつを護衛すんのが俺の役目だったんだ。そこに奇襲があって……」
「それが私たちだったって訳ね?」
先陣を切ったのは轟だった。私が組織のアジトだと聞いていた場所は、轟からすればセーフハウスで、サイドキックを奪わんとしたのは私だという。
私が受けていた説明と真逆だ。
「私はその逆。裏組織に捕まったサイドキックを奪還、セーフハウスまでの護送をしようとしていた」
「そこを俺が襲ったってわけか」
異常な状況を理解したのか、深いシワを眉間に刻んだ轟は納得したように頷いた。そして無意識のような手つきで顎を撫ぜながら口を開く。
これではまるで──
「俺たちが潰し合うように仕組まれたみてぇだ」
どうしてこうもこの男は口に出すことが憚られるようなこともあっさりと言えてしまうのか。
恐らく任務と感情は切り分けているのだろう。今はその冷静さが憎らしい。
「俺は親父から直接要請もらった」
「私もエンデヴァーからって聞いてる。……ジーニストを通してだけど」
小さく付け加えた言葉を轟は聞き逃さなかった。
「ジーニストが怪しいな」
「そんな人じゃない」
「やっぱりジーニストのことが……」
表情は平常時と変わらず、口調も淡々としていた。轟の考えは最もだ。いま一番怪しいのはジーニストだ。
轟があまりにも冷静な為、真実を突きつけられたような気持ちになる。つい感情のままに反駁してしまった。轟の表情が曇る。視線は私の右手薬指に向けられていた。
好きなのか──彼の言わんとしたことが予測できてしまった。
彼はこの指輪を勘違いしている。ここまで任務の詳細を話したのだ、この指輪について今さら隠す必要はない。
「これは通信機を兼ねたもので」
「……いま何て言った」
「だから通信機……」
端的に説明をしたというのに、轟はなぜか聞き直してきた。その表情には緊張のような強張りを感じられた。もう一度同じ説明をしている途中でようやく事の重大さに気づいた。
「ナマエ」
「はめられた」
薬指から外した指輪を、轟が個性で燃やした。
──通信機の機能を備えたもの。肌身離すなと指示のもと装着させられたもの。音声、居場所を端末に転送するものの、こちらからのアプローチは一切できないもの。
欠陥品のように思っていたが、そうではない。私の動きを把握するためだけに作られたのであれば、これは一級品だ。
「索敵してくれ」
「……囲まれてる。20人以上いる」
轟の指示を受け、慌てて周囲に意識を向ければ、コテージの全方位囲まれていた。
ただ天体観測にきた者とは考えづらい。特別な用がない限りは、山中のコテージになんて足を運ばない。
特別な用──例えば『邪魔者を消す』などだろうか。
夜の静かな空気を揺らすような爆音が響き渡る。深夜だというのに窓の外が灯りに包まれている。慌ててベッドから飛び降り、壁に身体を張り付けながら窓からそっと外を覗き見る。
「この個性って……」
「爆豪か」
同様に外を確認していた轟も私と同じ意見だったようだ。この個性は爆豪のものだ。あの様子では、爆豪とは敵対しなくてはいけないようだ。
なぜ爆豪があちら側にいるのか。口車に乗せられるようなタイプでも、誰かに忠誠を誓い言いなりになるようなタイプでもない。
「待って、爆豪だけじゃない……上鳴も、切島だっているよ」
「どうなってんだ」
コテージを取り囲む者の中に、友人たちの姿があった。全員ヒーロースーツを身に纏い、戦闘に備えているようだった。
「仕組まれてたんだよ……」
交戦するべきか。ただのごろつきならば幾ら居ようとも関係ないが、実力のあるヒーローが二十人ちかく集められているのだ。私と轟の二人で敵うだろうか。
いくつもの策をたてるが、どのルートを辿ったところで最終的に行き着くのは最悪の結末ばかりだ。
「ひとまず逃げんぞ。これ羽織っとけ」
「轟、まず靴」
轟に腕を引かれ、良くない方向にばかり働く思考を止めた。自分が着ていたシャツを投げて寄越した轟に、ちかくに転がっていた靴を投げ返す。
下着の上にワイシャツを羽織り、コスチュームのブーツを履く。どうやら轟もブーツとヒーター兼ラジエーターのベストだけは持ってきていたようで、黒色のタンクトップにズボンを身につけただけのスタイルにそれらを身につけた。
玄関の扉が破られる音がした。突入されてしまったのだろう。
「ちゃんと玄関から入ってくるなんて、随分とお行儀が良いよね」
「こういうの邪魔すんのは野暮ってやつだろ。行儀良いって言えんのか?」
階段の手すりに寄りかかりながら、ぞろぞろと土足で入り込んでくる不届き者を見下ろしす。
皮肉をこめて行儀が良いと言ったのだが、額面通りに受けとった轟は納得していないといった様子だった。
牽制するかのように腰に腕をまわした轟は、視線を鋭くさせた。冷やされた空気は、冬の朝はやくに吹きつける風のように肌を突きさしてきた。
「悪いが退いてくれ」
「すげぇ邪魔しちまった自覚はあんだ! 悪りぃ! けど、俺たちにも色々あって、二人を連れていかなきゃいねぇんだ」
「そういうこと! 俺たちを助けると思って! 頼む!」
轟の苛立った声に動揺したのか、切島と上鳴が慌てて取りなすような態度をみせた。
誰かから依頼を受けているのだろうか。それとも、これは真実を覆い隠すためのブラフなのだろうか。
顔の前で手を合わせ、うやうやしい態度で頼み込んできた二人はいつもと変わらないように見えた。事情を聞いてやるべきかと悩み、轟に視線を向ければ、彼も同様に悩んでいたようで訝しむような表情をしていた。
「すぐ済ますから待機してろって言ったわりに呑気にお喋りしてんなァ?」
「平和的に済ませる努力してんの!」
扉の向こうが一瞬明るくなり、次の瞬間には扉とその一体の壁が吹き飛んでいた。黒煙の中から姿を現した爆豪は、切島と上鳴を押しのけて前に出ると、私たちに鋭い視線を向けてきた。爆発に巻き込まれ、煤けた顔をしている上鳴はギャンと叫ぶ。
「従わせりゃ良ンだろ」
「平和的って意味を辞書でひいた方がいいんじゃない?」
どうやら爆豪は平和的に解決するつもりはないらしい。そちらが武力を行使するならば、こちらも手加減は不要だ。
一触即発の張り詰めた空気に、上鳴は「あーもう」と声をあげた。
「ここ、破壊したら怒る?」
「今さらだろ」
「ありがと」
建物の損壊を許してくれるかと念のため確認をすれば、轟は今さらだと言って許可を出してくれた。
手のひらサイズの手榴弾からピンを抜き、階段の下へと落とす。爆豪にもらったものがこのような場面で役に立つとは。
破裂した水道管から漏れ出した水を凍らせて氷壁をつくった轟も、私のあとに続いて窓から外に飛び出る。コテージの一階は嫌な音を立てて潰れていった。
「テメェらの考えなんざお見通しなんだよ」
「轟、こっち」
子供騙しは爆豪には通用しなかったようだ。いち早く建物から脱出していたようで、後ろに向けた手からだす爆破の勢いで前進してきた。
「乗って」
「俺が運転する」
「私の方が上手い」
運転席側のドアを開け、先にのった轟を助手席に押し込む。表に停めていた轟の車は恐らく押さえされている。面倒だったが裏の駐車場に停めた自分を褒めてあげたい。
轟が席を入れ替わろうと、ハンドルに手を伸ばしてきたが、気にせず発進する。いきなりアクセルを踏み込んだせいか、轟が頭をぶつけて小さなうめき声をあげた。
開けた窓から手を出し、手荒にはなってしまうが、個性で木を払い通り道を作る。ならされていない道を走れば、ガタガタと車体が揺れる。轟は揺られながら、焦ったような声を上げる。
「飛んでいった方が早いんじゃねぇか」
「上鳴の無差別放電は防げない」
「爆豪に追い付かれる」
私の個性で飛んで逃げた方がはやいかもしれない。しかし上鳴がいる以上は、彼の攻撃を警戒する必要がある。車の中にいた方が安全だが、爆豪の追跡をかわせるほどスピードも出なければ小回りも効かない。
「舌噛まないでね」
何をするつもりなんだ、と轟の戸惑う声を聞きながら、私はアクセルを奥まで踏み込み、個性を使用する。回転数があがったタイヤは凹凸のある道を跳ね上がり、その勢いのまま風で浮かせる。
重量がある分だけ個性のコントロールが難しく、とにかくはやく遠くまで飛ばすことだけに集中する。コテージのあった森は小さくみえていて、爆豪が追跡してきている様子もない。
「落とすよ」
「落とすって……!」
「ごめん」
速度をゆるめ、徐々にコントロールの比重を増やす。勢いを殺しきれず、車体は前のめりになったまま道路に近づく。迫りくる地面の恐怖に耐えながら、目を開かせる。フロント部分を地面に打ち付け、そのまま前転のような要領で倒れる勢いを風で弱める。
「……生きてるか」
「何とか」
天地が逆になった車内で、轟はそれはそれは深い安堵の息を吐いた。
新しい傷はできたし、あちこちぶつけて全身打撲の状態だ。無事とは言い難いが、生きているだけ良かったと思って欲しい。
「アイツらにやられるよりも先にナマエに殺されるかと思った」
「先に謝ったでしょう」
さきに割れた窓から脱出した轟が差し伸べてくれた手につかまり、車から這い出る。
何がおかしかったのか、服についたガラスを払いながら轟はくつくつと笑っていた。ムッとしたのが表情に表れていたのか、機嫌をとるように頭を撫でられた。その手を叩き落とし、私はもう一度車の中に身体を突っ込む。
「もっていくのか」
「何かしら役に立つはず」
ボストンバッグをみて轟は眉を寄せた。家を出ていくときに私がすべての私物をまとめたものだ。その時のことが思い出されてしまったのか、拗ねたような表情をした。
子供じみた反応がおかしくてゲラゲラと声をあげて笑えば、轟は飴玉のような色をした瞳をまんまるに見開いた。
「なんか良いな」
「え?」
「雄英の頃に戻ったみてぇだ」
不機嫌さはなりをひそめ、轟は懐かしむように目を細めた。
あの時期は箸が転んでもおかしい年頃で、声をあげて笑っていた気もする。周囲に個性的な友人が多かったというのも一つの要因な気もするが。
「行こう」
「こっちだ」
愛おしいものをみるような表情を向けられるのは落ち着かない。この場から立ち去りたくて、話を切り上げれば、轟に腕を掴まれた。