いつまでも余韻にひたっていることもできない。名残惜しくおもいながらも話を元に戻せば、轟も応じてくれた。
「今のところ追跡は躱せているみたいだな。このまま進んだ方が安全だが」
「下水管をたどっていくんじゃ時間がかかりすぎる」
「……上から行くしかないな」
あまり話し合わずとも、戦闘においてはうまく噛み合うことが多かったように思う。とんとん拍子で話がまとまっていくのはストレスがなくて良い。
地上まで登るための足場となる金具が取り付けられている地点は闇雲に進むよりも、先ほど通ってきた道を200メートルほど戻った方が早かった。ひたすらに足を動かし、マンホールの下までやってくる。
マンホールの下といっても、深さがあるため光は差し込んでこない。感覚が狂いそうになるが、スマホに表示された時間をみて夜明け間近のようだ。
索敵ができる私が先に登り、マンホールの蓋を個性で浮かせる。住宅街のマンホールに繋がっていたようだ。まだ太陽が顔を出していない時間帯で、人通りが少なくて助かった。
蓋をもとに戻した轟は、ちかくの公園にあった看板をみて現在地を把握できたのか、「案外近づいてたな」とひとりごとのように話した。
「このまま進めば駅が見えるはずだ」
「帽子被っておきなよ」
「悪りぃ」
ボストンバッグから帽子を取り出し、目を惹く容姿をしている轟に被せる。
個性を使用して雄英までひとっ飛びしてしまえば時間はかからないが、戦闘を控えているかもしれない状況では、体力面を考えると現実的ではない。レンタカーも考えたが、借りる際に足がついてしまう。雄英まで電車を乗り継いでいくのが最善だろう。
一般人にも気取られないように、変装は必須だ。
駅周辺は案外栄えているようで店が立ち並んでいる。食料品から衣類まで全てを取り揃えている24時間営業の量販店で、轟の服を購入する。さすがにあちこちが破け、血液が付着しているシャツのままでは注目を集めてしまう。
「助かる」
「ショートコスプレセットもあったけど、その方が良かった?」
「そっくりさんで通せば何とかなりそうだな」
裏路地で待っていた轟に購入した衣類を渡せば、恥じらうこともなくその場で脱ぎ始めた。見張りをしながらも、ショートのヒーロースーツを模したコスプレセットにするべきだったかと冗談混じりに聞けば、轟は声をあげて笑った。
お互いに軽口を叩きあえているのだ。変な緊張はしていない。
「どうだ?」
少しでも顔を隠せるようにパーカーとTシャツを用意したが、サイズは問題ないようだ。特に凝ったデザインではないが、轟が着ると無地のパーカーでも品良くみえるのだから不思議だ。
「お」
「轟のも」
「分かった」
追跡されないようにスマホを握りつぶせば、轟はまぬけな声を漏らした。個性を使用すればこの程度は朝飯前だというのに、大袈裟な反応だ。
スマホを出すように言えば、轟も手のひらの上で凍らせた。役目を果たさなくなったスマホを排水溝に落とし、そのまま駅に向かう。
二つほど電車を乗り継いで、新幹線の停車する駅に向かった。クレジットカードは跡がついてしまうため現金で支払いを済ませ、切符を片手にホームに向かう。
「何かあったら呼べよ」
「そっちこそ」
二手に分かれ、轟は先頭から、私は最後尾の車両から異常がないか確認していく。
「異常ねぇか」
「異常はなかったけど、何それ」
「駅弁売ってた」
合流した轟の手には、先ほどはなかったビニール袋が握られていた。ビニール越しにもその正体は分かったが、まさかと思い念のために確認をすれば、弁当を買ったのだとあっけらかんと答えた。
確かに昨夜から何も口にしていない為、腹が空くのも自然なことかもしれないが、この状況で食べようと思うか?
あまりにも緊張感がなく、平常運転な轟をみて気が抜けてしまった。
どっと疲れの波が寄せてきて、近くの席に腰をおろせば、その隣に轟は座ってきた。
「……よく食べられるね」
「ナマエの分も買ってきたけど食うか?」
「いらない」
袋から弁当を二つ取り出した轟は、片方を差し出してきた。私の神経は轟ほど図太くないため、喉を通りそうにない。そっけなく断ってしまったが、轟は気にした様子もなく「そうか。じゃあ食っちまうな」と言って、二人前を平らげた。
「さっき相当シちまったし、飲んだ方がいいぞ」
顔の前に、お茶が入ったペットボトルが差し出された。
水分をくれるのはありがたい。しかし飲むように促すのにもっとマシな言い回しはあっただろう。デリカシーに欠ける男だ。
一々注意するのも面倒で、差し出されたペットボトルを奪いとって、嫌がらせのごとく半分ほど飲み干せば「相当のど渇いてたんだな」と見当違いな反応が返ってきた。
この鈍さにいつも毒気を抜かれてしまうのだ。
新幹線が発車して当面の間は安全なことも相まって緊張が緩んだのか、脱力してシートに背中を預ける。
さっき、と切り出した轟がぽつりぽつりと話しはじめた。
「何で好きになってくれたのかって聞いただろ? それで、あれからずっと、俺は何でナマエのこと好きになったのか考えてたんだ」
轟に言われて、コテージでのやり取りを思い起こした。私は曖昧な答えしか返さなかったが、轟は同じ質問を自分自身にも投げかけていたらしい。
「はじめは目障りで……でも周りのことも見えるようになってから、ナマエの強さが分かって」
「……強さって?」
はじめ、とは顔合わせの日から体育祭前にかけてのことだろう。周りのことが見えるようになった時期というのは、恐らくまとっていた雰囲気が緩んだ体育祭後あたりを指しているのだろう。
体育祭で明らかになった私の実力は、彼の足元にも及ばなかった。しかしいま彼が言った『強さ』とは、肉体や個性についてではないように感じた。フィジカル的な話でないのだろうか。
過去を振り返り、自分自身の感情と向き合っているのだろう。ふさわしい言葉を探しながら口にする為、どうしてもゆっくりと、要領を得ない話し方になってしまうのだ。
それなりに彼を理解してはいるものの、どうしても焦らされているような気持ちになって、つい口を挟んでしまった。轟は承知したというように一度頷いた。
「過去とか環境とかのせいにせず、全部自分のもんだって受け入れて、前に進もうとしてただろ」
「買い被りすぎ」
「少なくとも俺の目にはそう映った」
随分と評価してくれているようだが、実際はそのように立派なものではない。そうゆるく否定したが、轟は迷いなど一切感じさせない口調で言い切った。
「個性婚、受け入れたのもヒーローになるためだったんだろ」
「……知ってたの?」
「婚約を白紙に戻すって聞いた時のナマエの反応が気になって、親父に聞いちまった。雄英に三年間通わせることがナマエからの条件だったって」
轟は少しだけ声を落として、気遣うような態度でゆっくりと話した。
どうやら私の秘密は知らないところで筒抜けになっていたようだ。今日までこのことに触れられなかったのは、轟が私を尊重してくれていたからだろう。
知らない人と結婚したいと思う人はこの世に何人いるだろうか。
富を欲した両親はそれを望んだが、私には受け入れ難いことだった。しかし雄英高校に進学するためには受け入れるしかなかった。
夢にみたヒーローになるには強かに生きるしかなかった。それだけだ。
「そういうとこすげぇと思った」
飾った言葉ではないからこそ、彼の本心が伝わってくる。「小学生の感想文?」と照れ隠しのために揶揄えば、「茶化さないでくれ」と眉尻を垂らして困ったような表情で笑った。
「なりたいもんから目を逸らさねぇって疲れるし、大変だろ。そんなの微塵も感じさせねぇで笑って夢に向かうナマエに憧れた」
個性婚が正しいとは思わなかった。それでもヒーローになるためには必要だった。私には不可欠なことだったが、轟にとってはそうではない。
私は轟の気持ちなど見向きもせずに利用したというのに、彼は私の心のうちを見ようとしてくれていたのだ。
間違っているとは思わなかったが、自分の選んだ手段は胸を張れるものでもなかった。だからこそ轟の言葉に救われたような気持ちになった。
「俺は親父みたいになりたくなくて、それでも少しずつ似ていくのが嫌だった。だから結婚もしねぇと思ってたんだ。……でもナマエは、もしそうなった時は殴り返してくれるって言っただろ? あれに安心したんだ」
轟は膝のあたりで交差させていた指を離し、私の手に触れた。傷だらけで、お世辞にも綺麗とはいえない手を慈しむように撫でる轟の表情はとても穏やかだった。
轟の言葉を聞いて、雄英に入学してはじめての冬のことを思い出した。帰り道に、周囲に誰もいないからと気を抜いた轟が結婚について話題にしたのだった。
傷つけてしまうことに怯える轟に、殴られたら殴り返すと高らかに宣言したのだった。プロポーズみたいだと轟は笑ってくれた。そのあと──
「正しい家族なんて分かんなくても、間違えたとしても、ナマエと一緒にいれば大丈夫だって」
そうだ。あのあと轟は「ミョウジとなら大丈夫な気がしてきたな」と穏やかに言った。
もしあの時がきっかけだったとするならば、轟はずっと前から答えを出してくれていたのだ。傷つくのを恐れて、勝手に轟の気持ちを決めつけて、線を引こうとしていたのは私だ。
「だが、本当に有言実行してくれるとは思わなかった。やっぱりあの時の俺の勘は間違ってなかったな」
良い拳をありがとう、と謎の感謝をした轟の表情はとても優しかった。
どうか声が震えないようにと願いながら「マゾみたい」と短く返したが、語尾が小さく揺れてしまった。そんな私を安心させるように轟の指先に力が込められ、私の手を握り込む。
「……キスしてぇ」
「緊張感! それにさっきもした」
「一緒にいたらしたくなんだろ。それに今のところ不審なやつは居ねぇし、大丈夫だ」
ぽつりと呟かれた轟の言葉につい勢いの良いツッコミを入れてしまう。しかし轟は緊張感のなさを反省するどころか、当たり前だろうという態度で開き直ってきた。
この状況でそう何度もキスなどしていられるか。周囲を確認するよりも先に、自分の頭に異常がないか確認して欲してくれと切実に思う。
コツンと横から頭を小突かれる。どうやらキスをしようとして、帽子の日除けとして突き出している部分に邪魔されたようだ。轟は鬱陶しそうに帽子を外そうとした。
「外さないの」
「でも邪魔で出来ねぇ」
上から帽子を押さえつけて、頭にかぶせ直してやれば、轟は不満だという様子を隠しもせずにこちらを見た。すぐに「そうか」となにか閃いたかのような反応が聞こえて、嫌な予感が働いた。
「フード被りゃいいのか。これで出来る」
外した帽子の代わりにフードをかぶって、身バレをする問題は解消したつもりなのだろうか。豪胆な男だ。
猫の毛のように柔らかな髪が肌をくすぐってきた。このままではまた流されてしまう。そう思って、視界に入った2本のひもを思い切り引いた。
「これ前みえねぇぞ」
「一生そうしてなよ」
フードに通っていたひもを引いたせいで、前の部分が絞られてしまい、轟の顔はほぼ見えなくなってしまった。何が起こったのかよく分かっていない様子だ。
間抜けな格好にふと笑いがもれてしまう。その気配を感じたのか、不満げに尖った唇に、軽く触れるだけのキスをする。
「一生このままも悪くねぇよな」
「フラグたてないでよ」
感触でわかったのだろう。ころっと機嫌をもとに戻した轟は、冗談か本気か分かりづらい様子でこの状況も悪くないと話した。
一生コソコソ暮らすだなんて御免だ。不用意に口にするなといえば、轟は思ってもいなさそうな、もはや口癖と言ってもよい「悪りぃ」を呟いた。