正直にいうと、私は轟焦凍が嫌いだ。自分勝手なところも、こちらのペースを乱すあのマイペースな感じも、全て挙げていたらキリがないくらい腹立たしく思う部分がある。それは出会ってから、現在まで変わっていない。
しかしいくら嫌っていても、なぜだか無関心になることも出来なかった。私にも誰にも言えない事情があったように、彼も何かしら事情があったのだろう。個性婚に対する異常なまでの嫌悪と拒絶は、彼のこれまでの生い立ちが関係しているのではないか。このように勝手に推察するくらいには彼のことを気に掛けていた。
しかし轟は違った。当人の意思を無視して、個性婚を強行しようとする父に向けられていた怒りと憎しみは、それに賛同する私にも等しく向けられた。私は決して個性婚に賛同している訳ではないのだが、轟の立場からすれば私もエンデヴァーも同類に思えたのだろう。
雄英ではどのような因果か、同じクラスになり、自分たちの思いとは関係なく行動を共にしなくてはならなかった。
「許嫁だってこと、誰にも言うんじゃねぇぞ。あとあんま視界に入ってくんな」
反吐が出る。そう吐き捨てるように言われた。これが入学初日に告げられた内容だ。これだけのために呼び出されたのかと思うと、とても腹立たしかった。言われずとも、端からそのつもりだ。
許嫁であることは互いに明かさなかったが、クラスメイトたちは何かしら関係を隠しているとうっすら勘付いていたようだった。感情をのせていない冷たい瞳が、私にだけは強い憎しみをのせて向けられるのだから。入学当初から不仲だった為、ひどい別れ方をした元恋人との再会なのではなどと勝手な憶測をしていたようだが、まさか許嫁だとは思うまい。
轟は体育祭で心境に変化があったのか、周囲を寄せ付けないような尖った雰囲気はなりを潜め、徐々に柔らかく穏やかになっていった。それが元来の姿だったのかもしれない。
だからといって、それを人にまで強要するのは違う。今まで見ないふりをしていたものと向き合うことにしたらしかった轟は、憑き物が落ちたような顔つきで「ミョウジも目の前のものから逃げるな」と助言してきた。
余計なお世話だ。まだ精神的にも未熟で、感情の抑制が難しかった私は轟に殴りかかったのだった。私たちの抱えた背景を知らないクラスメイトは、何が私の琴線に触れたのかわかるはずもなく、驚いていた。やはり彼らには悪いことをした。
「何があったか知んねぇけど、一回落ち着けって」
興奮して今にも轟に殴り掛からんとする私を羽交い締めにした切島は、宥めるように声をかけてきた。
「大丈夫だ。話し合ってるだけだから」
「馴れ合うつもりはない、話しかけんな」
今でも鮮明に頭に浮かぶ、あの腹立たしい言葉をそっくりそのまま返す。すると轟は少し驚いたように眉を持ち上げた。
「初めての時のこと気にしてんのか?」
私が吐いた棘のある言葉は、かつて自分の発したものであると気付いたようで、轟は申し訳なさそうに眉尻を下げていた。
「あん時は自分のことばっかで、ミョウジのことも他のことも考えられてなかったんだ。ずっと気にしてたんだよな、悪りぃ」
別人なのではないかと思うほど素直に、誠実な態度で彼は過去の発言を詫びた。罪悪感を感じてくれているのは、いつかギャフンと言わせてやると画策していた私にとって喜ばしいことだ。しかし私はただ根に持っていただけであって、いまだに心の傷が癒えずにいるだなんて受け取られ方をするのは腹立たしい。
「ちゃんと話し合う機会をくれてありがとうな」
一方的に語り、満足したように口許を僅かに緩めていた轟の顔を、再度殴りかかろうとしたが私は悪くない。
周囲の説得もあり、なんとか怒りを抑え込んだタイミングで、空気を読まない彼は口を開いた。
「ミョウジだけの問題じゃねぇ。これは俺たちの問題だから、一緒に向き合おう」
「俺たちの問題って、それってどういう……」
「言ってなかったか? 俺たち親が決めた結婚相手、謂わゆる許嫁ってやつだ」
さらりと私たちの関係を暴露され、落ち着いていられるはずがなかった。今度は個性を使用しながら殴りかかった。どちらかといえば同年代に比べて精神的に成熟している方だと思っていたのに、どうやら私は激情型だったようだ。
その後、駆けつけた相澤先生に拘束され、お察しの通りだ。御家同士が絡んだ複雑な関係だということもあり、かなり情状酌量をしてくれたうえで、説教と反省文を提出という処罰を受けた。
轟焦凍に関わると碌なことがない。平穏で充実した学生生活のために彼とは距離を取るべきだ。
だというのに、轟焦凍は性懲りもなく私に絡んでくるではないか。あるときは昼食に誘ってきて、またあるときは勉強を教えてくれと頼んできた。他に頼れる友人がいるだろう。緑谷はお人好しだから喜んで受け入れてくれるだろうし、飯田だって同じだ。
「今日この後……」
「嫌」
「なんか予定あったか? じゃあ明日は?」
「無理、一生予定入ってる」
「忙しいんだな。でも、さすがに一生はねぇだろ」
机から出した教科書を鞄に移していれば、手元に影が落ちた。誰かが私の机の前に立ったのだ。声をかけられるよりも先にこの影の主が轟であることには気付いていた。このやり取りは、すでに片手では数えられないくらい繰り返されていた。
どれだけぞんざいに扱っても、轟は落ち込むこともなく、寧ろ前向きだ。これだけ拒まれているというのに、へこたれない精神力は少しばかり羨ましい。
どうにか予定を取り付けようと引き下がってくる轟の考えていることは読めない。
「もし予定がなかったとしても、轟のために割く時間はない」
「他のやつのための時間はあるのにか?」
向き合うようにして立てば、轟は期待が混じった瞳でじっと私を見た。良くも悪くも彼は鈍感なようだ。ハッキリと言葉にした方が互いのためにすら思えた。
淡々とした口調で告げれば、さすがに鈍感な彼でも理解してくれたようだ。ただ問い返した彼の表情が、迷子の子どものように不安と寂しさに満ちているように感じて、居た堪れずについ視線を逸らしてしまう。胸の内がジクジクと痛んだ。
「……他の人に頼んでよ。みんな優しいから、喜んで引き受けてくれるよ。飯田と緑谷は私なんかより頭いいし、教えるのも上手なんじゃないかな」
「俺はミョウジがいい」
なぜ私なのだ。どれだけ拒絶しても離れようとしない。寧ろ必死に近づこうとしてくるのは何故なのだ。
「ミョウジじゃなきゃ嫌だ」
拒むと決意したのに、ハッキリとした口調で告げられた言葉に、つい揺らいでしまう。なぜそこまで執着するのか分からない。彼に手を差し伸べてやる義理もない。しかし、このようなことを逡巡している時点で、私はもう懐柔されてしまっているのだ。
「今日は本当に予定ある」
「……そうか。それなら残念だが、仕方ねぇ」
「明日」
予定があるのは、今日に限っては嘘ではなかった。分かりやすくシュンとして残念がる轟につい手を差し伸べていた。
「明日の放課後」
その一言では伝わらなかったようで、首を傾げていた。この一言だけでこの鈍感男に通じると思っていたわけではない。しかし、今日は予定があるから明日の放課後はどうか、なんて懇切丁寧に説明するのも馬鹿らしい。一緒にいたいと思っているだなんて解釈されるのは腹立たしい。
別に私はそのようなこと望んでいないのだ。しかし考えてしまったのだ。もし私が彼の立場だったら、と。
他者を理解するには、相手の考えだとか、日頃の様子を知っている必要がある。しかしそれだけでは内面までを察することはできない。自身ならどうするかというのを元にして、そこに相手の情報を反映させ、推測する。自分自身の経験や思想は、相手を理解するうえでの取っ掛かりとなるのだ。
私が突き放してしまった彼の表情は、繋いだ手をはなされた子どもと重なってみえた。拒まれた理由よりも、受けとめてもらえなかった事実だけが胸に重くのしかかってきて、泣きたい気持ちになった。
もし彼が今そのような気持ちでいるならば、手を繋いであげたい。意図的に傷つけたというのに、そのようなことを思ってしまった。曲がりなりにも私はヒーローを目指す、謂わばヒーローの卵だった。守らなくてはだなんて不意に思ってしまって、口をついて出た。それだけのことだ。
「何でもない」
歩み寄るつもりなんてなかった。一言で会話を終わらせ、轟の横を通り抜けようとした。そのまま帰るつもりだったのだが、轟が私の腕を掴んだ。
「何でもなくないんだよな? 悪りぃ、察しが悪くて。ミョウジから誘ってくれたんだろ」
察しが悪いことは最初から知っていた。だったらそのまま気付かずにいてくれれば良いのに。せめて私が去った後に、気付けばいいのに。中途半端な男だ。
これまでの行動をすべて言葉にして、私の意図を確かめようとする轟の腹に拳を見舞いしてやろうかと思った。しかし、微かに目尻を垂らし、口許を緩めた彼のわずかな表情の変化に気づいてしまった。いきりたって、腹の奥まで熱くなっていたというのに、膨らんでいた怒りはみるみるうちに萎んでいく。
「もうタイムオーバー、受付終了」
「ミョウジ」
鬼ごっこの途中で都合が悪くなったからといって、バリアなどというチート技を繰り出す子どものようだ。我ながら呆れるしかない。どうにか話を切り上げたかったのだが、いつになく真剣な轟の声に阻まれた。
「明日の放課後、楽しみだ」
「真面目に勉強するんだからね」
「分かってる、すげぇ楽しみだ」
「分かってないでしょう」
楽しみだと口では言いながら、緊張が滲み出ている。まるで果たし状を突きつけられたかのような反応だ。かくいう私も柄になく緊張していたので、馬鹿にする事はできなかった。
親同士が取り決めたことだったとしても、私にとって轟焦凍は他の人間とは違う、特別な存在になっていたのだ。その特別が、友人に対するものでも、甘さを含んだものでもない。ただ、他人とも、友人とも別の括りにいた。
恐らく轟も同じだったのではないだろうか。憎しみをぶつけていた時点で無関心ではないのは確かだ。しかし、その憎しみが消えてからの感情は、友愛、敬愛、慈愛、どれも当てはまらない。不思議で仕方がないのだろう。だから確かめずにはいられなかったのだ。
実際にその機会が巡ってくると、戸惑ってしまう。どう関わるのが正解なのか。前例などないから最適解は浮かばない。時間をかけて見つけていくしかないのだ。
仲良しこよしをするつもりはないと言外に含ませながら、真面目に勉強をするのだと釘を刺したのに、轟は口許を緩めたまま頷いた。
このまま平行線のままかと思われた私たちの関係は、当たり前のようにテリトリーに入ろうとする轟のマイペースさと、それを拒めなかった私の甘さにより、ゆるやかに変化していった。
進級し、二年になって暫くした頃にエンデヴァーから連絡があった。婚約は破談にするという内容だった。
何か粗相をしてしまったか。背中にじわじわと冷たい汗が浮かび、生毛を撫でながら垂れた。あれ程までに執念を見せていた個性婚を取りやめにする、その理由を尋ねればエンデヴァーは静かな口調で話した。
個性婚について考えが変わったのだと。息子の轟焦凍にはこれまで自分の理想を押し付け、苦しめてしまったが、これからは好きなように生きて欲しいのだ。そういった内容だった。
「良かったな」
「そ、うだね……」
ちょうど隣で話を聞いていた轟は、すでに話を聞いていたのか、大袈裟に喜ぶことも驚くこともなかった。私はというと驚きのあまり情けないほど声が掠れていた。
轟焦凍の変化は、あの偏屈そうな父親すらも変えたのだ。個性婚を反対していた轟にとっては朗報だったかもしれない。しかし私にとっては最悪の知らせで、焦りと苛立ちを感じた。
それからは露骨に彼との関わりを避けた。何かしらの理由をつけて昼食のタイミングをずらしたし、近づかれればするりと逃げた。
「何で避けんだ?」
「避けてない」
「避けてるだろ」
元来、気が長い方ではないのだろう。ムッとした表情で、ここ最近の行動について尋ねてきた。
「じゃあ一緒にいる必要があるの? もう許嫁でもないのに」
「許嫁だからとか、もうそんなの関係ねぇだろ」
打算ばかりの自分が恥ずかしくなった。しかし、その実態が個性婚であっても、私は彼と結婚する必要があった。それが私が雄英に通うため、ヒーローになるための条件だったからだ。
◇◇◇
私の家は資産家で、幼い頃はそれはそれは豊かな生活を送っていた。大きな庭は隅々まで手入れが行き届いていて、当たり前のように季節の花がいつでも綺麗に咲いていた。
しかし、私が中学校にあがった頃だっただろうか。誰もが憧れるようなうつくしい生活に影が落ちはじめた。
汚いものを全て排除し、鮮やかな花だけが並んでいた庭園に、薄茶色に変色した花がちらほらと見られるようになった。雑草が石畳を覆い隠すようになった。
どうやら、父は聞こえの良い話に乗っかり、資産のほとんどを失ったようだった。庭師もお手伝いの人間も雇えなくなり、最終的には家も手放すことになった。
豪華で煌びやかな暮らしばかりしていた父と母は、陰鬱とした空気が漂う生活に耐えられるはずもなく、毎日のように嘆いていた。
中学生だった私はというと、深い絶望の底にいた。幼い頃から夢があった。ヒーローになるという夢だ。目指すのはトップだ。その為に、トップヒーローを数多く輩出する雄英高校に進学、卒業することは必須であった。幸いにも個性には恵まれていたし、学力的な問題もなかった。ただ一つ問題だったのが、入学できたとしても学費が払えないということだった。
そのような時に舞い込んできたのが、個性婚の話だった。相手の家は強い個性を求めていた。どうやら私の個性が御眼鏡にかかったらしかった。
裕福な生活を保障する、学費の支払いも請け負うという話は、御家にとっても私にとっても悪い話ではなかった。
強い力に焦がれ、さらに強い子孫を繁栄することを望んだ者と、富を渇望した者、両家の利害は一致した。
この身と引き換えに受け取った額はいくらだっただろうか。父と母はかつて程ではないが豊かな生活を送れているし、私の学費も払ってもらっている。計算せずとも相当な額であることが分かる。
縁談が破談になれば、これまで受け取った金銭を返せと迫られるかもしれない。そのようなことを危惧したが、請求されることも、学費の支払いを渋られることもなく、私は無事に雄英高校を卒業したのだった。