掌のうえで踊りましょう







act 1.

 抱かれたいヒーローランキングだとかいう、調査対象が曖昧な統計の第一位に輝いたのは轟焦凍だった。正しくはショートだ。
 気取った表紙をしているのに、女性誌の中身には案外そういう品のないネタが多い。男も女も、やはり同じように三大欲求を抱えている為、関心の方向も同じなのだ。ただ女の方が狡猾に隠すことができるというだけだ。
 
 世間の女性はどうやらショートに夢をみているらしく、優しく抱いてくれそう、だとか、甘い言葉を囁いてくれそうだとかコメントが寄せられていた。あの王子様のような見た目に騙されているのだ。
 涼しげな顔をして、凶暴な熱を飼っている。本能のまま腰を振る様子も、余裕が1ミリも感じられない掠れた声も、どれをとっても滑稽で、私を愉しませた。その凶暴さを必死に抑え込み、けれども言動の節々に感じられる荒々しさにあてられたのも事実だ。

「ナマエ」

 なし崩しに身体を重ねた翌日、轟は私を名前で呼んできた。おまじないを囁くかのように、丁寧に音をつくった。それから何を勘違いしたかは知らないが、轟は私のことを名前で呼び、恋人であるかのような振る舞いをするようになった。
 一度セックスをしただけで恋人面をするな、という言葉は口から出ることがなかった。その理由は分かりきっている。
 共同生活をもちかけられ渋々という体で応じたのも、雰囲気に呑まれたふりをしてセックスをしたのも、全てはとある感情によるものだった。

 もし普通の出会い方であれば、頬を赤く染めながらこの感情を打ち明けられたかもしれない。しかし私たちは普通ではない。嫌悪、拒絶、このようなことを繰り返して現在に至るのだ。伝えたところで、良い返事があるとは考えられない。
 勝ち目のない試合に挑むほど私も馬鹿ではない。セフレというポジションであっても、轟の心の隅に存在を刻めるならば良い。それくらいの関係の方が気楽だし、何より傷付かずに済む。
 轟は期待のルーキーということもあり、世間もマスコミも彼に注目していた。ことあるごとに報じられる美人女優やタレントとの熱愛に、はじめはショックを受けたが、共同生活が八年目にもなれば、またかと呆れる気持ちの方が強い。

 共同生活をはじめたことを家族、親しい友人には報告したのは、生活を共にしてすぐのことだった。

「……この頃、焦凍とはどうだ?」
「仕事で時間が合わないこともあって、そのおかげか喧嘩もなく過ごしてますよ」

 エンデヴァーは定期的に息子の近況をしるのが目的で連絡をしてくる。関係性は随分と好転したとはいえ、轟は相変わらずエンデヴァーに反抗的で、仕事以外での電話は即刻切っている。反抗期は続行しているらしい。
 いつまでも反抗期を引きずっている轟と、続柄に父と表記をしてきた歴は長いものの新米パパ同然のエンデヴァー。この二人を見ていると「面倒だから私を巻き込むな」だなんて一蹴もできず、大人しく仲介役をしている。

「もう長い付き合いになるだろう?」
「そうですね」
「将来について話し合ったりは……」
「ヒーロー活動について、焦凍さんから特に相談は受けてないので、それについては私からは何とも」

 言い出しづらそうに言葉を濁していたエンデヴァーだが、おおよその見当がつく。飽くまでも私たちは同居をしているだけなのだが、男女が同じ部屋で寝食をともにしていれば交際していると勘違いしてしまうのも無理はない。その関係が何年も続けば、つぎの段階、つまり結婚はいつかと気になったのだろう。
 そのような関係ではない。そう否定することもできたが、一から説明するのは面倒だし、そこまでしてやるつもりはない。気になるならば息子にコンタクトを取ってくれ。
 察しの悪いふりをして、エンデヴァーが気にしていた『ふたりの将来』ではなく『轟のヒーローとしての将来』に話をすり替える。

「そうか」
「せっかくの機会ですし、本人に連絡してみては?」
「……そうだな」

 ルームシェアをはじめた当初、息子を心配するあまり、私たちの関係性について追求して息子に「うぜぇ」と言われたのが堪えているのだろう。これ以上探りを入れればまた息子に嫌われかねない。そう思ったのかエンデヴァーはそれ以上追求してこなかった。

 二十代も折り返しになってから、将来について聞かれるようになった。実家に帰れば両親から、友人との飲みの席で、ヒーローインタビューで……ことあるごとに結婚について話題に出されるようになった。
 結婚だなんて私には一生縁がないことだと思った。そしてそれは轟も同じだろう。彼はあまり結婚について良いイメージを持っていないはずだ。その彼がわざわざ結婚だなんて面倒な縛りをつくるとも思えなかった。
 そう思っていたのだが。

「何これ」

 私の戸惑いの声は誰にも聞かれずに消えていった。隠すかのようにクローゼットの奥に押し込まれていた紙袋の中には、ベルベット生地の小さな箱が入っていた。中身を確認せずとも分かる。これは指輪だ。
 このようなもの私は購入した覚えがない。つまり、これは轟が用意したものということになる。

 誰に? 疑問が浮かぶ。共同生活をはじめてから一度も女の影はなかったはずだ。
 熱愛報道はこれまでもあったが、本人曰くどれも一場面を切り取られ、それらしく捏造されたものだった。
 本人の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、そうであってくれと願っていたのも事実。轟が複数の女を相手にする器用さを持ち合わせているとは思えなかったこともあり、本人の主張を受け入れたのだった。
 そう思っていたのだが、目の前には想い人に渡すであろう指輪がある。彼は知らぬ間にどこぞの女とよろしくやっていたのだ。

 お相手は、二週間ほど前に週刊誌が熱愛を報じていた巨乳の可愛い系アイドルで間違い無いのだろう。アイドルの事務所に殺害予告が入り、そのためプライベートも含めて護衛をしていたと説明を受けたのだが、どうやらそれは詭弁だったようだ。

「ただいま」
「お帰り」

 中々生活のリズムが合わない中、二週間ぶり一緒に夕食を摂れると嬉しかったのだが、あんなものを見つけてしまったばかりに気分は最悪だ。部屋の隅々まで掃除をしなければ良かった。
 帰宅してきた轟はリビングに一度顔を出してから洗面所に向かった。

「先にお風呂入ってきて」
「匂うか?」
「ガス代がもったいない」
「分かった」

 いつもならば食事にするか風呂にするか選ばせるのだが、今日は有無をいわせずに風呂に入るように言った。いつもとは違う私の反応に、轟は少し慌てた様子で自分の腕に鼻先を寄せた。スンスンと匂いを嗅いでいる姿はなんだか間抜けだ。
 ガス代を理由に挙げれば、轟は納得したように頷いて、素直に従ってくれた。

 私は何をしているのだろうか。仕事だったことは知っているのだが、指輪のこともあって、女と会っていたのではないかと疑ってしまう。一種のマーキングともいえるのだろうか、私の選んだシャンプー、ボディーソープ、柔軟剤の香りに塗り替えたかった。くだらない独占欲だ。そのような感情を抱く権利もないくせに。

「そうだ、ナマエ。あとで話があるんだが、いいか?」

 轟が扉からひょっこりと顔を出して、私に伺いを立てた。話しとは、恐らく彼の将来についてだろう。先ほど指輪を発見し、彼に想い人がいることを知ったばかりだ。まだ気持ちの整理も、覚悟もできていない。

「ナマエ?」
「……奇遇だね。私もだよ」

 指輪のことも、想い人のことも上手く隠し通せているつもりなのだろう。実際に今日まで彼は上手く立ち振る舞い、女の影などすこしも感じさせなかったのだが。
 私の心情なんて知る由もない轟は、反応がないことを心配したのか、怪訝そうに眉を寄せて名前を呼んできた。これで良かったのかもしれない。何も知らずに、突然別れを告げられて情けない顔を晒すより、僅かだが状況を整理する時間があるのだから。
 私が頷けば、轟は安心したように「分かった」といって笑った。

 もし別れ話をされたとして、私は彼に泣き縋ることが出来るだろうか。答えは、否だ。きっと取るに足らないちっぽけなプライドが邪魔をして、ほろほろと涙を流すことすらできない。
 つくづく可愛げのカケラもない女だと思う。惨めであろうと、別れたくないと泣き喚けばいいのに、彼に弱さを見せられない。それでも別れたくないだなんて我儘だ。
 仕事の都合ですれ違うことはあれど、相手の気配がする空間での生活は案外悪くなかった。優しい夢をみられますようにと、あどけない寝顔を眺めながら祈ることが出来るのも、柔らかな朝をともに迎えられるのも、全てが私の心を満たした。
 嫌でも耳にする彼の熱愛報道は私の心を乱したが、それでも律儀に毎回その一件について弁明する轟をみていると、私は大切にされているんだなんて都合よく解釈すればなんてことはない。
 毎日が鮮やかに彩られ煌めいている、なんてことはなかったが、淡く穏やかな日々だった。だからこそ、この日々はいつまでも続いていくのだと疑わなかった。思い込んでいたのだ。
 紅白の髪をした轟に引けを取らないほど、私の頭はおめでたかった。私の場合は中身の問題だが。

 共に生活する中で息苦しさを感じたことなんてなかった。それもそのはず、私たちは正面からぶつからないようにそっと避けてきたのだから。
 思えば、本音でぶつかり合ったのはそれこそ出会ったばかりの頃だけで、共同生活を送るすこし前の時期──つまり特別な感情を抱いていることを自覚した頃からは、本音を隠すようになっていた。
 ヒーローをする中で、悔しい思いも、痛い思いも、数えきれないほどしてきた。それは轟も同じだろう。どうしても感情の落とし所が分からず、陰鬱な思いを腹に抱えてしまうことがある。そのような姿は見せたくなくて、そんな日は家に帰らないようにした。嫌な一面を見せずに済むように、辛い時こそ轟と距離を取るようにした。
 轟も似たようなものだろう。恐らく彼の場合は、かつての父親のようになることを恐れて、家に帰らないようにしていたのだと思う。
 辛い時をともにしたことがないのだ。穏やかな時間ばかり共有していたのだから、息苦しさなんて感じるはずがなかった。

 今さら本音でぶつかれという方が無理だ。本音でぶつかれる青さとエネルギーは持ち合わせていない。
 轟はいつ話すつもりなのだろう。風呂から上がったらすぐだろうか。夕飯は用意してしまったが、食べてくれるだろうか。
 浴室でしていた水音が止み、扉が開く音がした。思考をまとめる前に轟が出てきてしまった。烏の行水のように感じだが、それは私がぐるぐると同じことばかり考えていたせいだ。

「のんびりしすぎた。悪りぃ、待たせて」

 ぺたぺたと間抜けな足音をさせてリビングに入ってきた轟は、背後から私の胴に腕を巻きつけた。何かしら反応をして、そのまま「そういえば」といって話を切り出されたくなかった。私は無心でいた。
 不得意だった料理も、身体に染み付いたのか、今では仕上げ程度ならば何も考えずとも身体が動くようになった。轟が夕食を一緒に摂ってくれるかも分からないのに、スープとおかずを温め直していた。

「何かあったか?」
「どうして?」
「……顔がいつもと違う気がした」

 鍋の底を擦るようにしてグルグルとかき混ぜていれば、腕に力を込めた轟は横から顔を覗き込んできた。鈍いのにどうしてこのような時だけ鋭いのか。ドキリと心臓を跳ねさせながらも、調味料を探すふりをしながらさりげなく聞き返せば、なんとも曖昧な答えが返ってきた。

「おめかししてるのか?」
「おめかしって……」
「よく分かんねぇけど、その髪型いいな」

 やはり鈍感だった。いつもと何かが違うことには気付いているのに、その正体には気付かず、おめかしをしているからではないかと結論づけたようだ。少しだけ古めかしい言い方をするのも彼らしい。
 久しぶりに会えるからと、高い位置で一つにまとめた髪の毛の先を軽く巻いたスタイルはお気に召したらしい。頸のあたりに額を擦り寄せたかと思うと、何度も唇を押し当てられた。

「そういうのは……」
「こっちか」

 指輪をおくる相手がいるというのに何をやっているのだ。結婚をしてもよいと思えるくらいの相手がいるというのに、いつまでもセフレに構うなんてどうかしている。
 そういうのは想い人にやってくれ、と感情を押し殺しながら言おうとしたが、口を塞がれた。唇にすこしかさついたものが押しつけられた。

 双眸を伏せている轟はキスに夢中な様子だ。無意識なのだろうか、片手で私の後頭部を押さえて逃さんとしている。もっと深くまで味わおうと、下唇を啄み、舌を這わせてきた。いつもならばこれを合図に、口許を緩め、侵入を許すのだが、そんな気分にはなれない。

「違ったか?」
「……ご飯は?」
「食う。すげぇ腹減った」

 いつまでも迎え入れられないことを不思議に思ったのか、唇を離した轟はこてんと首を傾げながら、求めていたものは違ったかと尋ねてきた。超がつくほどの天然な彼とは、時折り会話もままならない。こちらの心情を察してくれなどと思うこと自体が間違っている。
 不満をぶつける気力もなくて、轟の問いには答えずに、ご飯をどうするかだなんてどうでもいいことを聞いて問題を先延ばしにした。
 ほっと胸を撫で下ろしてしまったのは、せっかくの食材たちが無駄にならなかったことによる安堵からだと思いたい。

「床に垂れてる。髪の毛、乾かしておいでよ」
「悪りぃ」

 ポタポタと髪の毛の先からしたたる水滴が床のシミになっていく。いつもならば拭いてあげていたのに、それはもう私の役目ではないのだ。伸ばしかけていた手をおろしながらドライヤーをするように促せば、轟は何か言いたげにこちらを見た。
 
「やってくんねぇのか」
「自分で出来るでしょう?」
「ナマエがいい」
「いつまでも私がいるとは限らないんだし」

 猫が甘える時のように、私の首元にスリスリと額を擦りつける轟の背に伸ばしかけた手を下ろす。ここで抱きしめては互いのためにならない。

「……どっか行くのか」
「私はどこにも行かないよ」

 私から離れてどこかに行こうとしているのは轟の方だ。私はずっと側にいられたらそれで良かったのに。化膿したかのように胸がグジュグジュと痛んだ。




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